小5むすこや小2むすめには、こんな時代ですからある程度のICT機器を与えています。
幼児期~低学年ぐらいは、ゲーム機が欲しい時代ですが今はswitchでむすめが「あつ森」をする程度です。
もうほとんど、iPadかPCで色々とゲームやら通信やら画を描いたりごちゃごちゃやっています。
そう考えると、ゲームですらパーソナルな時代になっていて近い将来ゲーム機と言うものもこどもは必要のないものになってしまい、一定のマニアの趣味になっていくのではないか?と感じるのであります。
「ファミリーコンピューター」と言っていた時期が遠いものになるんでしょうね。
学習の困難さから与えたiPad
むすこには学習の困難さを補助するために、iPadを一昨年前に与えました。
様々な教材やアプリを試してはいますが、むすこにとって「何が困難なのか?」と言うのがiPadでマッチするものが、非常に難しいのが現在の状況です。
もちろんたまたま以前、コロナ休校あたりから取り組んでいたタブレット学習の「すらら」や「デイジー教科書」はかなりの効果は得られたと実感があります。
ただ、それは困難がはっきりする直後の話し。
「すらら」「デイジー教科書」で1年以上学習して、彼の持ち前の努力で、ある程度改善されてきた時には、次のフェーズへ移らなくてはいけなくなりました。
それで、次のレベルの物を探しました。
しかし、次のものが見つかりません。
あったとしても、レベル的には通常の子が使っている教材になってしまいます。
通常の子がやるもので補習をしようとしても、学習に耐えられるものと耐えられないものが混在しています。
これは結構学習問題の選択が難しくて、高度な問題に直面してしまうとせっかくここまで努力してきたのに、「やってもだめなんだ」とやる気にも影響してしまうことになります。
そうなると、むすことしても一緒くたに考えて全部「(難しいから)やりたくない」となってしまいます。
じゃあ、と言う事で分からないことがあったら前の学年のものを見直しをすることや、みんなと同じ「学校での授業」と療育として通っている「個別指導」の2本に絞ろうとしているのが今の状態です。
iPadの使い方の覚え方
ICT機器を購入してあげた時は、「学習障害だからこれで困難が軽減されるだろう」と夢のようなマシンにぼくもむすこも見えました。
これを使えば、今までみんなに合わせなくても教科書は読み上げてくれるわ、ペンで書きこむ事も可能と教科書を読むことが困難だったむすこもかなり期待しました。
我慢していたことを我慢せずに済むと思ったことも間違いなくありました。
ところが、ここで勘違いしていたのは「使い方」を毎回いちいち教えないと自分でアプリを操作することが出来ないと言う事です。
基本的なアプリメニュー設定の仕方から、入力した際の文字サイズの変更、等々です。
なんでそんなことが起こるかと言うと、細かい文字を読むのが根本的に苦手で、表示されている日本語のメニューが難しいことばで表記されているのでなんか間違ったことをしてしまうんじゃないか?アプリが壊れてしまうんじゃないか?とそんなことを思ってしまうようです。
まるで、失敗するぐらいなら使わない方が良いとスマホ使用を嫌がるぼくの老母のようなものです。
そんな子に、学習のレポートを作れ、ノート作成に活用せよなんて親が要求しても無理な話です。
また新たな問題に昔のように混乱していくだけです。
学習以前に、今後はICT機器を自由に使えるようにしてほしい
だからと言って、現代っ子のディスレクシア少年であるむすこは、ICT機器に関心・興味が無い訳ではありません。
手段としてのICT機器を自由に活用させて集中力を持ってチャレンジしています。
ともだちとのコミュニケーション(音声・動画・メール等々)、ゲーム(プレイ・ボイスチャット)、動画、写真撮影・鑑賞、、、
まぁこんなこと、普通の小学生なら当たり前のことかもしれませんが、メニュー画面等基本設定でビビっている子としてはこんなことから入るのもアリでは無いかと考えました。
苦手が興味を上回っていた時期もありましたが、現在ではこれがないとと言うレベルまで来ているように感じます。
もう、生きるツールとしての活用時期一歩手前に入っているようにも感じます。
「遊びの道具にしかなっていないじゃないか!」と不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
学校では、SNS指導として近所の警察署の生活安全課からわざわざ出張授業を開いてくださることもあるようです。
経験がなければ、話が右から左に流れてしまうむすこです。
ともだち、家族、学校とのやり取りの中で、ICT機器に対する付き合い方を早いうちに良い事も悪い事も実感していけば、それなりのリテラシーを上げるきっかけになるのではないかと思います。
そこから、ICT機器を使って何ができるか?何に活用できるか?何を作れるか?全体を見渡すことが得意なむすこが将来何かに気付いてくれるとおもしろいことが起こるかもしれません。
Chromebookの使い方を教わるおとうちゃん。
うちの区では学校からChromebookが貸与されています。
そのChromebookですが、ぼくだって、初見で見た時にわからない事や、機器が固まってしまうこともあります。
ところが、そんな時にはやさしいむすこがやってきて「どれどれ」とトラブルシューティング的な事をやってくれます。
「学校で教わった」と言っていますが、慣れと関心が無ければできないことでしょう。
学校ICT機器で学習での生きづらさから解放を
こどもは、自発的に活用できる場面があれば、集中力を持って使う事ができることがわかりました。
ところが、学校での学習ですが、ただでさえ学校の授業が合わないむすこに、一律の環境しか用意がないことに理解ができません。
障害を抱えているいないに関わらず、児童生徒それぞれに特性というものがあってそれに応じた教育というのが必要じゃないのでしょうか?
同じLDにしても書字、読字、、、様々あってその類型で分けたとしても脳の特性と言うのが違うはずです。またむすこのように、これを克服したらこれ、次はこれと言う風に発展的に新たな対策が必要になって行く子もいると思います。
ですので、児童生徒それぞれのICT機器を活用して合理的配慮をしていかないといけないとおもうのであります。
例えば、疑問点は以下
- コンピュータ選定をなんで一機種一OSに絞り込むのか?極端な例で現実的ではないかもしれませんが人によってはタブレット型では耐えられず、デスクトップで大きな画面、標準サイズのキーボードやマウスが必要じゃないのか?とそこまで想像して選択できるようにならないのか?
- 端末だけ揃えても、学校でのICTの基本中の基本であるwifi通信環境が整っていない。(通信制限のあるデータカード渡されても、病院や家庭で授業を受けらえるようにする配慮は無い。)
- 周辺機器やソフトウエアの整備されていない。
ぼくは、ICT環境の整備は今後色々な教育活動に関わってくることは重要だと思っています。
英語の発音、学習動画を見る、ドリルをすることは普通に考えられることですが、レポート提出や人によってはノート作成が効果的な事が多いと考えています。
もう少し多面的な視点で教育を最適化しないといけないのではないかと思います。
制限、制限で根本的な環境が間に合っていないせいで、今むすこのクラスでは連絡帳に使用しているぐらいです。
もう要望済ですが、区には公園の公衆wifi整備より、学校のwifi整備も早期に実現して欲しいものです。
その方が先生も便利でしょ。
まとめ
久しぶりにむすこのiPadその後を記述してみました。
上記に記述しましたが、もうむすこ的にはICT機器は無くてはならないものになってしまいました。
学習が生きるツールにしていくと同様に、iPad、PCも同じく生きるツールとして活用して何とか「読み」の不得意さを補完に役立てて欲しいものです。
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