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LD・ディスレクシアむすこについて色々動いてきたこの3年弱、2年半ぐらいかな?
「学習障害」と言うことばは嫌いだったけど、当時すぐに本人に「学習障害なんだってよー」と伝えました。
3年生当時、この「障害」と言うことばにかなりショックを受けて、本人は「どうせバカだから」とか後ろ向きのことばをつぶやいておりました。
そんなむすこを見ていると、いささかなりとも二次障害につながらないかと心配しておりましたが、そこはぼくは敢えて慌ててフォローするのはやめました。
普通に接することにしました。
確かに、当時は文字、漢字、文章が読めないし、九九は言えないし、桁揃えられない。。。幼児レベル程度。。。。
ぼくが経験をした事ない、勉強の不自由さをむすこは小3の終わり頃まで直面していた訳です。
「どうして学校に行かないといけないんだろ?」
「どうして勉強しないといけないんだろう?」
今でも言っていますが、当時は今以上に悩んでいたと思います。
そう思うと、それまで約3年間放置してしまってかわいそうでたまりませんでした。
「学習障害」が分かった当時は、コロナ休校で課題も無いし、外で遊んで、夕焼けチャイムが鳴ってから帰ってきて30分ぐらい基礎学習して、あとは好きなゲーム。
そんな自由な時間を作ることが出来たのがラッキーでした。ぼくも仕事も激減で相手する時間がたくさんできました。
「学習障害」が分かってからは、至ってむすこには普通に接していって、弱いところや、困った事を中心にじっくり教えていくというか、アドバイスしていきました。
親が慌てるとこどもにも影響が出やすいですよね。それゆえに、普通に、普通に、笑顔で、穏やかに接するようにしました。
そのように接していくと、学習に楽しくは無いけど、嫌がらずに向き合ってもらえるようになりました。
小学生入学程度のところまでは来たと思います。そして、自信を取り戻してきたように思いました。
よし!このまま一気に!!学力、追いつけ!!と淡い期待もありましたが、無理はいけません。
ディスレクシアと言う「特性」なんで、それは無理!絶対治らないと言う事を前提にして、向き合う日々でした。
学習時も笑顔が増えてきて、何とか二次障害と言う最悪な事態は逃れたのでよかったと思っています。
小学生時代までは、周りに関わるおとなの影響力と言うのは相当強いものです。
そのおとなが「特性」を認知してあげることが必要です。
それによって、本人も自信を取り戻し、自分の強みを見つけようとするもんなのです。
無理に世間一般で言う定型にはめてしまって、例え不得意分野がたまたま卒なくこなせるようになったとしても、臨機応変に対応する能力が必要とするのが社会です。
社会に出た瞬間に悪いストレスが発生し、破綻してしまうでしょう。
こどもの不幸は見たくありませんね。関わる無責任なおとなが悪いです。
それを避けるためにも、これからの学生生活も含め得意で好みの分野を発見しそれに向かう必要があるように思います。
そのために、何をしていても、笑顔と穏やかにこどもとはいくつになっても接する必要があるだろうと、今回のLDディスクレクシアむすこと関わってきて感じるところです。
当時の「特性」告知による、ショックは10歳の少年には計り知れないものがあったかと思います。
でも、今やその「学習障害」と言われている「特性」を2年半ほどで自分なりに昇華して、「特技を活かすにはどうするか?」と日々試行錯誤しているようです。
まだまだ小6だしLDなので現実味の無いことを中二病的にベラベラ言い出しています。
そんな語りを聞くと、順調に思春期だなぁと笑ってしまいます。
でも、言い出す事にも「特技」を活かしたいと言う根拠があることが伺えます。
こどもは未来ではなく、100%現在なのです。現在をどうするかなのです。
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