|
「早とちり」癖がある小4むすこ。特に算数では困ります。
「+」と「-」を間違えるのは5問あったら1問ぐらいは普通にあります。
計算問題を見た瞬間から間違えているのでしょう。
「よく見てやろうよ」と言うと、計算問題なんかは5問取り組むのが我慢の限界。
それ以上の努力を持続させるとそれ以降の問題にも影響してきます。
興味の無い事に取り組んでいる時は、違うことを考え出してしまうのも日常茶飯事。
むすこのそんなことを見ていると、「早とちり」や「注意を持続させられない」ことから、調べていないのですがADHDの不注意系が入っているのだろうなと予想されます。
こう言ったことは訓練をしてもだめだと思いますので、何か補助的なもので自ら支援できればいいなと思う次第です。
宿題計算ドリル
毎日、計算ドリルの宿題が出てきます。「放課後くらぶ」や家で「すらら」をやった後にこなしています。最近知恵がついてきて、途中から嫌になり半分ぐらいは解答を丸写ししているように見受けられます。
ディスレクシアで数字を書くのも大変ですし、それに加えて努力の持続を要することを避けたい特性上仕方のない事ですね。
電卓
むすこの計算ドリルの宿題を丸付けをするときに1問ズレていたりすることもあるので何となくわかるので、丸付けの際は「答え見て書いたでしょ」といちお指摘はします。答えを丸写しするのはそれこそ、何にもならないので、
「答え見てもなんの意味ないから、電卓使ってやりな」と言いました。
筆算の途中だけ写して答えは電卓でやると言う方法です。
でも、筆算等の計算方法を全く知らないと言うのも、テストの時に困ってしまうので、いちお、何問かは自分で手を動かして答えてもらうようにしています。
学校では何故か電卓が禁止ですし、答えを丸写しされるよりも、電卓の使い方も覚えて欲しいと思っているからです。
なんで電卓?
大人になって実務時の計算は、Excelや電卓で行う機会の方が多いかと思います。
ぼくも長年大人をやってきてどう考えても、単純計算は「手段」に過ぎない。
それより、この場面ではどういう計算をしたらいいのか「想起」出来る方が大事。
その計算をどの場面で使うかが大事で、計算問題だけをこなす機会というのも必要あるのかな?とむすこの計算ドリルの宿題を見て思います。
単なる計算問題をやらされている時は、精神の鍛練の場に見えて仕方がありません。
そんなに計算を得意にさせたいなら、「そろばん」でも毎日やらせればいいのにとも思います。
もちろん、計算ドリルには文章問題も載っています。
それの方法と結果だけが正確に考えられることが最も大事な事ではないかと思うのです。
ですので、むすこのように持続を強いる学習が苦手な子ばかりでなく、他の児童にも「電卓」を与えて「考える」問題をじっくりさせる方が、他の発見も出てくるのではないかと思ってしまうのです。
学校でも電卓の使用があっても良いと思っています。
むすこの場合、文章題の場合読めるかどうかも問題
ただ、文章問題は、うちのディスレクシアむすこの場合はまず読んでくれるかどうかが問題。それと読めた時も、内容が頭に入ってくれるかどうかも問題もあります。
どうしても読むのが困難だなと言う場合は、国語でも読み上げ教科書を使ってるぐらいですので、文章問題ぐらい読み聞かせだと思って、ぼくが読んであげても全然構いません。
それよりも、この問題が理解できるかどうかを重視したいと思っています。
テストの時
算数テスト時、比較的得意だった計算問題、学年があがるにつれて複雑になってきて、5問あれば1問ぐらいは間違えるようになりました。
例えば、足し算を引き算と間違えていて、引き算だったらあってるような間違いです。
集中が持続していなく、他の事を考えてしまっているからこのような勘違いをするのでしょう。
それでも、ディスレクシアでもがんばって後半の文章問題を読み切って理解して、1問だけ解答して力尽きるような感じです。
ですので、最後の文章問題2問ぐらいは、手つかずで時間切れになっています。
それで、70点とか80点とかになります。毎回こんな感じです。
ぼくの方も、時間なんか気にしないでやれるだけやってごらんと言っているのでその結果こうなっているのですが、単純な計算問題なんかテストに出す必要はあるのかなと疑問を持ちます。
多くて計算問題は3問程度で良いのではないかと思います。
まとめ
単なる計算問題は必要は無いことはないと思いますが、過度にやらせる必要はないと思います。
その他に電卓の使い方を教えてくれると将来に向けて役立つような気がします。
負担をなるべく無くして、文章問題を正しく理解して、計算するときは電卓を使って負担を減らし、考える能力を養う方向に行く方がずーっとよろしいのではないかな?と考えます。
実務以外に買い物等の生活上もそうだと思います。
学年が上がるにつれて、ディスレクシア以外のものが目立って来るようになってきました。
ぼくの方も、注視してむすこの状況に応じていこうと思います。
コメント