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小6むすこ、小3むすめの学校公開日に授業参観に行きました。
取り敢えず、先生に来年度の特支教室決定の報告をしました。
それはそれで「漢字50問テスト」の話しで盛り上がりました。
「すごくがんばりましたね~」と先生
「いやいや、それでも合格点届かなくて大泣きでした。」
「あ~、そうでしたか~、それは残念ですけど、練習ノート見せてもらいました。あれだけ練習して、合格点には惜しかったですが、本当によくやりましたよ。あの問題あそこまで出来るようになるなんてすごいですよ。」
「いやいや、ぼくがテストを出したり、自分から積極的に練習してたんですけどねー」
「I先生(5年時の担任、主幹教諭)にも、テスト見せたんでしけど、先生もびっくりして本当に成長したねと驚いてましたよ。」
「えー、そんな事おっしゃってました?それはうれしいですね。ありがとうございます。」
「〇〇くん(むすこ)、本当にがんばってるんで今回はその点ではすごくよかったと思いますよ」
「ところで、先生。3学期も50問テストあるんですか?」
「あります!」
全国の小学生、特に6年生のみなさん。
卒業がもうすぐだからと言って、油断してはいけません。
3学期も「漢字50問テスト」があるそうですよ。
しかも、1年間のおさらい!!
覚えといてください。
授業参観今回は社会(歴史)
今、小6むすこが社会で習っているのは「歴史」です。
この時の単元としては「明治の新しい国づくり」で、主に江戸時代から急速に発展していった日本のことを授業で紹介しておりました。
明治維新以降、建物がよくなったり、乗り物が汽車に変わって行ったり、、、と資料を見て気付いたことをどんどん児童に聞いていました。
例えばこんな感じです。
「散切り頭??ってなあに??」
「ちょんまげを切って分けた頭だよ。」と先生が言ってすぐにネットで調べて電子黒板に写す。
こんな、口でいうだけでなくて、すぐに画像や映像で確認できるのが、今流ですね。
それと、教育についてです。
「教育で貧富の格差が無くす」、「教育は個人を自由にする」、「教育で社会に貢献する」、それと「男女同権」等の事を教科書と資料集の中から取り上げていました。
そして、最後に「これはね、みんなの好きな1万円の人が言ってたよね。」と先生が言います。
「おー、1万円! 誰だっけ??」
「福沢諭吉の”学問ノススメ”ですね。これからの人々は勉強することによって、身を立てられる。そんな事を言った人ですねー」
お札の話で盛り上がっておもしろい。
学生の時は、歴史はあまり一生懸命やらなかったので、こんなことやってるんだと新鮮な気持ちで授業を拝見しました。
学問ノススメ
明治維新までは、武家社会が何百年も続いて「封建社会」と「儒教思想」しか理解できない国民に、維新によって急に近代民主主義への転換や、儒教を否定されたって、当時の国民は戸惑ったことでしょう。
それと学問については、日本の独立、発展、維持には必要なんだと「学問ノススメ」で説かれた時に、知識層にはかなりのインパクトがあったことだと思います。
これまで束縛されてきた日本人が、国としてそして個々に独立を維持できるならみんな勉強せなあかん!とこの本は大流行りしたことでしょう。
そして、日本人はこれまでの武家社会での生活を捨てられて、誰かに束縛されるぐらいなら、勉強して身を立ててやる!と必死に勉強して、今日まで発展してくれたのだと考えています。
そして、それぞれが学習して確かな知識が増えれば、それによって創造し、商売もできて、お金が儲かるかもしれないと、みんな教育に飛びついたことでしょう。
ぼくは、この授業を聞いていて、昨今の教育ブームは、明治維新、富国強兵、学問ノススメから始まって今に至るんだと思いました。
儒教思想の弊害
とは言っても、何百年も続き根付いた思想を変えると言うのはこの150年程度では変わる訳はありません。
特に明治維新に否定された「儒教思想」。
本などで聞きかじったおおよその知識で恐縮ですが、大体の事と私見を記述します。
(論語なんかは退屈なので読んだ事ありません。)
この儒教の教え、どういう訳か東アジア地域における倫理観の基本になっていると言われています。
ざっくりと「仁・義・礼・智・信」の「五常」の徳目を守って、「父子・君臣・夫婦・長幼・朋友」の関係を維持しましょうと言う内容です。
そこから戦国時代頃に派生した「朱子学」は江戸時代には官学とされて5代将軍綱吉が湯島聖堂が建立されます。
別に派生した「陽明学」は幕末に広く学ばれ、尊王攘夷論に結び付き明治維新への原動力となったと言われています。
また、儒教思想は政治体制を実現するための為政者に好まれます。
これらの徳目に沿って人々が秩序を作ってくれ、国家が理想的に運営できると言う事からです。
儒教は、親、同族、上下の秩序を重んじます。
これは当然に差別意識を生まれやすくし、体制が硬直化し、努力しても結果が変わらず、競争が起こりづらい世の中を生む結果を招きます。
全ての人が高潔な存在であれば、この思想は素晴らしいものですが、そうもいきませんので実際には様々な問題が生じてきます。
明治維新で否定された「儒教思想」ですが、それ以降150年程度で人々の根底から抜けるものではありません。
その習慣、風習は脈々と地域社会やそれぞえの心の中に脈々として残り、自由を標ぼうしながらも上下関係等で人々を縛っている事でしょう。
自分の頭で考える。自由と平等。
ただ、最近ではどうでしょう。
ぼくは、先の東北の大地震で津波で多くの小学生が流されてしまったことがありました。
その時に生き残った子は、校庭で整列させようとした先生の話を無視して高台に登って難を逃れた子達でした。
それは、自分の頭で考える、危機を察知する事がいかに重要であるかと言えると思い知らされました。
目上の人の言う事を聞いたばっかりに流されてしまった子の事を考えると、上記の徳目にまだまだ囚われているところがあって、自分の判断をさせられなかったり、させなかったところがあったことでしょう。
この事から、ぼくはこの震災でこれまでの考え方を転換せざるを得ないなと強く感じました。
今、むすこの担任は25歳と聞いています。
震災当時は中学生です。
このニュースは当然に見聞きしていると思います。
この先生は、日頃学習はもちろんですが、それ以上に「個性」を大事にしてくれているのは、そう言う経験や教えが積みあがってきていると感じています。
学習の教示内容は変わらないとしても、教え方やそれぞれの特性を重視し、自由と平等を本当のものにする。そんな思想が当たり前の先生が現場に進出してきています。
全ての新任の先生がそうだとは限らない例もあります。
しかしながら、国も時代によって教育における自由と平等をスピーディーにもっともっと重視して行かないといけないと考えています。
命に関わった後では遅いですもんね。
まとめ
むすこの小学校の授業参観はあと何回かな?
それにしても、この特に学年は活気にあふれていておもしろいです。
そんな好き勝手に発言している児童を、怒鳴ったりすること無しにうまくコントロールして授業を進めている先生には頭が下がる思いです。
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