|
小5ディスレクシアむすこ。
先日まで「おとうちゃん、あのね。ぼく、もう6年生になったら(個別指導には)いかない!」と言っておりました。(おとうちゃんの前では一人称が「ぼく」になります。)
このことばっかりは自分ばかりか、ぼくの勝手な判断はつかないのですが、取り敢えず黙っていました。
きっと、また思い直して違う事を言い出すと思ったからです。
そしたら、案の定。。。。
「おとうちゃん!やっぱりぼくは6年生になっても(個別指導に)行くよ。研究所行く!」
そうだそうだ、あんたがあそこ行かないとダメなのだ。
自分の為でもあるけど、これからの「学習障害」界隈全体のサンプルとして役立つかもしれんあんたがあの施設を通して、論文対象になる可能性もあるので、行かないとだめなのだ。
その後、「あ、そう。よく分かってる先生についていた方がいいもんね。それより、来年どうしようかと思って、〇〇ちゃん(妹)と一緒に(通級指導)行かせようと思って、スクールカウンセラーに相談するとこだったよ。」
「それは、いやだ!!」(学校のともだちに知られたくない。)
「だろ。だから、来年1年また連れて行くから、一緒に行こうね。」
「わかった!」
中学生になったら、また状況は変わるかもしれませんが、取り敢えず大変ですが、来年度1年間は個別指導に連れて行くつもりです。
自尊感情と漢字
自尊感情
前にも一度記述した「自尊感情」ですが、今のクラスの雰囲気が良いのか?
「失敗しても大丈夫!」
「わからないことは聞く!」
と言うのが以前よりは出来ているようです。
「失敗したらどうしよう。。。」
「みんなの前で、恥ずかしい思いをしたらやだな。。。」
3年生ぐらいまでは、そんな事ばかり気にしていたむすこです。
ぼくが、「漢字」について「これは何て読む?」と聞いても涼しい顔で答えられますので、
ドヤ顔できるように、予習をしているのだと思います。
ところが「おれは出来ないんだよ!だっておれ「障害」だもん!!」なんて心の中では開き直っているように思えます。
この間、むすめにそんな事言っていました。
そりゃ、そうなんだけど、その開き直り過ぎは良くない。
しかしながら、「障害」と言うのを逆手に取って、他人に聞けるスキルが出来て来てきたのなら、むすこのもんでしょう。
中々、他人に知っていて当然のことを「聞く」と言うのは難しいことかもしれません。
それでも、理解出来ないことや知らないことを分かる人に聞くスキルは、一瞬の恥ずかしさだけで済む話です。
一瞬の恥よりは、これからのコストや時間を考えると何でもない事だと思います。
そうやって、自信の肯定評価を得て行って「自尊感情」「自己肯定感」を高め、価値ある存在であることを身に着けて行って欲しいと思います。
漢字
その「自尊感情」を自信が知らずに育てられたと思ったものに「漢字テスト」があります。
小学校入学以来、本当に漢字には悩まされてきました。
「表意文字」である漢字は見ただけで意味が通じてしまう厄介者です。
逆に、その「表意文字」なだけに意味が通じてしまうので、日本人には「学習障害」は少ないはずだと言う信じられない過去の話を聞いたことがあります。
低学年から「書き順」「トメハネハライ」と先生方もそれをきちんと教えて行かないと言うある種の責任感から来る強迫的なお考えをお持ちの方が多かったのも悩みの種でした。
ぼくも書き取りは50年ぐらい前に経験してきたことですが、それを宿題にして何度も書かせて、細かい間違いをチェックされて、先生の「感覚」とお手本と一致するまで何度も訂正させるようなことをさせています。
普通に出来てしまう子には簡単な事かもしれませんが、うちの学習障害のむすこと凸凹発達障害傾向のむすめは苦痛で仕方がありません。
むすめは一・二度書くだけで覚えてしまうので、まだ良いのですが。
むすこの場合は、書いたって覚えられません。
はっきり言うと学校で教え方がむすこには合わなかったからです。
書いても書いても覚えられないのに、「覚えるまでやれ」と先生や親から言われ続けて、おとなが熱心になればなるほど、勉強が嫌いになるきっかけとなっていました。
「がんばって、やろう!」なんてむすこへの呼びかけなんて、何の励みにならないのはお分かりでしょう。
おとなの意向とは全く逆の意向がむすこに作用していたと言う事です。
低学年の頃「読めない」「書けない」むすこですが、幸いな事に「表意文字」である漢字の見た目で意味だけは自分なりに理解していたようです。
それから、ミチムラ式漢字カードの「部品」で覚えることが、部品自体が「表意文字」だった故に彼の頭に入ってきたのだと思います。この事で書くことは克服が出来ました。
しかし、読むことは未だに難しいものがあります。
今は、漢字を読むことに集中して自分で勉強しているようです。
教科書よりも漢字ドリルを使っているようです。
ドリルをフラッシュ提示するように早くめくって何度も読みの練習をしているそうです。
表意された漢字と音訓と読み方がたくさんあるものを一致させるのは大変です。
自分で練習したり、人に読ませたりして、漢字テストを100点目指してがんばっているようです。
みんなに「障害」の事はバレたくない。
でも、聞くことは恥ずかしくない。
そんなことを分別できてきたむすこに「漢字」への不安が少しずつ溶けてきているような今日この頃です。
まとめ
「漢字」に対する対策が自分なりにできてきたむすこです。
しかしながら、長文となると苦手はまだ消えていません。
文章の読みは、いくら何でも他人に聞くわけにはいきません。
読めるのに読めないと言う悩みだからです。
なんだかよくわからない悩みですが、分かる方には分かると思います。
ぼくなりに助けてあげられる方法があれば考えてみようと思います。
コメント