「今・現在」の壁を越えられない時にめんどくさがる、むすこ。

サッカーゴールディスレクシア
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こどものプライドと言うのは、育ちの過程において親がして欲しいと言う事を邪魔をすることがよくあります。

そのプライドが育ってきたのは、成長の過程だし決して親が壊してはいけないことであります。

うちの小5むすこの場合、かなり小さいころから自分のプライドは高く大事にしてきた子じゃないかなと思う事は多くありました。

これまで、やりたいことは大いにやらせ、やりたいことは無理にやらせず、自然に任せたままにやらせてきました。

先日、むすこの担任に言われて心配されたこととして「自分に嫌なことがあると不安に思う」「予期せぬことがあると落ち込む」と言う事です。場合によっては涙ぐんでしまうそうです。

みんなそれぞれそんなことは当たり前のように起こることでありますが、先生が勉強よりそれを「心配している」と殊更に口に出しておっしゃいました。

そのような人物だと分かってはいました。

長い教師生活の経験の中からことばでしょうから、何か悪い事につながりやしないか少し不安を感じるのであります。

めんどくさい

サッカーやゲームはめんどくさがらないんだけどな

結論を急いでいるのでは無いのかも。。。

むすこは、しばしば「学校行くのめんどくさい」と言います。

日常の宿題も「めんどくさい」と言って、漢字の書き取り宿題は普通に書けるはずなのにめんどくさがって殴り書きになったりしています。

そんな、漢字ドリルノートを見ると、配慮していただいている先生に申し訳なく思うのが正直なところです。

また、今一生懸命自分の中では「なんとかしよう」と考えていると思われる、分数の計算問題も途中にわり算の「ひっ算」をしないといけなかったりする場面に出くわすと、それもめんどくさがる。。。。

なんで、自分の嫌だと思う事を瞬間的にめんどくさがって出来もしない頭の中で処理しようとするんだろう?

“急がば回れ“と言う事はしないのだろうか?

ぼくは、そんなむすことずっと付き合ってきて、結論を急ぐ性質なのかとばかり思っていました。

ところが、急いでる訳ではないんじゃないかな?と考えるようになってきました。

「今」が全てなのか?

むすこみたいにまだ小学生で精神的にも未熟でしかも学習障害で問題の意味を読み取れないと感じている子は、いま目の前にあるものが全てになってしまうのではないか?

わり算のひっ算は出来ない訳では無い、テストプリントにひっ算するスペースが小さかったりする些細な理由だけで「めんどくさい」と感じ、越えられない壁が目の前に現れる。

つまり、「今」が全てなのでしょう。

克服できる子は、ちょっと視線をずらしてやるべく「ひっ算」をプリントの裏でやってみたり、出来る問題から先にやる方法を見つけるでしょう。

それが、今ある壁が全てなむすこは、それが出来なくて小さいスペースでゴチャゴチャになった自筆の数字を見て、頭の中では「もうだめだ」「涙ぐんで」うずくまってしまう状態です。

絶望が絶望を生んで、雑に処理してしまって、結果間違いになります。できるはずなのにね。。。

「めんどくさい」と説明する

そんな時に親であるぼくが傍らにいてやれば、「もう無理ならやめようか?」と声掛けができると思いますが、第三者や担任の先生はそうはいかない。。。。

そして、後から出来ない理由を「めんどくさい」と簡単なことばで説明をする。

「めんどくさい」と言うことばは未熟な子にとってはとっても便利なことばです。状況をうまく説明や釈明ができないおとなも使います。便利すぎて、中身がまったくわかりません。

中身がわからないので、もう、どうやって救ってやればいいんだ?状態です。

でも、もっと困ってるのはこどもの方なんですよね。

まとめ

これから、成長していって「めんどくさい」と言い続けることは、社会的に通用しません。

自分で生きる道が見つかって、仕事、人との付き合い、それを「めんどくさい」と思ってほしくありません。

そういうおとなにするためには、どうむすこと向き合っていくか?

自尊心や感情を育てるには「失敗してもいい」と認められるようになることが大事だけど、そのための成功体験も乏しく、プライドもあるむすこ。

投げやりではない「まぁいいか、またがんばろう」と思える土台を作るにはどうしたらいいか、ぼくには、またまた大きな課題が出来たように思うのであります。

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