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こどもの「親権」「監護権」

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「学校行きたくないな~」と小5むすこ。

あんたの「行きたくない」と言うのは「授業が嫌だ」と言うだけで、行けば行ったで「仲間」に会えますし、広い「校庭」でサッカーして遊べます。

従って、むすこの場合はメンタルに影響と言う程まで来ていないので、ぼくも聞き流しています。

むすこの場合は、口癖みたいなものです。

小2のむすめが「学校行きたくない。。。」と言うのはちょっと違う。

むすめは、ひとりの時間を持ちたがる特性でありますが、ともだちとの付き合いは適度にやってるし、勉強だって好きだと言ってるし、意外な事に運動も悪い方では無く、ここまで聞けばちょっと変わってるけど何の問題の無い少女となります。

それだけに、この少女が「学校に行きたくない。。。」と言うのは、むすことは全然違うのかな?

個性の違う兄妹。特性が違う兄妹。

この間までは「おもしろいな」と思っていましたが、そんな次元ではなかったので色々と動いてしまったのが先週まで。これからどうなることやらです。

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昔は先生は神様?なわけない。

先週は、仕事以外にむすめの事で何度か、むすめの現状をお話しに学校に行きましたが、少し前までは、むすこのディスレクシアの話しで行くぐらいで、「こんなに学校って親が行くもんかな?しかも兄妹両方の件で。。。問題家族かな?」とふと思ってしまいました。

また、その間に仕事で出かけないといけませんし、仕事メインか?学校メインか?どっちかよくわからなくなってしまいました。

ぼくだって小学生・中学生時代に、怒られたことあるし、根拠も無しに濡れ衣を着せられたり、とんでもない事(今考えると人権に関わる)を先生に言われたり、何が何だかわからないのに「全体責任だ!」と怒られたり、宿題を忘れた女子生徒が往復ビンタやけつバットを10回受けていた暴力を目の前で見たことがあります。

成績は悪くはない方だったのですがテストの点数とかや通知表のことは全く覚えてなくて、そんな事ばかり思い出されます。

低学年の頃に理不尽な扱いを受けた時に親に言った時も、「あんたが悪いんでしょ」の一言で取り合わず、そのうち言っても仕方が無いので学校内で起こったことは親に話す事は無くなっていたなぁと言う記憶があります。

70年代後半~80年代初めの頃なので、時代が違うと言えば違うのですが、当時は「学校に行きたくない」と言うことを考える発想はそもそもありませんでした。
ぼくはいじめは受けた記憶は無いけど、例えばともだちからのいじめがあっても、先生に毎日責められようが、嫌いな教科があっても、病気やケガしているならともかく、とにかく朝登校して用意されていた椅子に座っていると言うのが、小学生・中学生のデフォルトでした。

当時は先生=神様に勉強を教わりにいってたのですよ。多分。

明治新政府が出来て以降うちの実家はいなかで先生一家だったと聞いています。
実際、帰省した時にいなかの実家の庭に学生服が集まっていて「先生、先生」と言っているのを見た事もあるし。。。。
神様だったのかな?そんな訳ない。

それは心の根底として残っているのかな?

基礎になる法律はお題目のように変わっていないのでそうなのかな?

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身上監護権

ポケット六法

ぼくも、むすこ・むすめの親権(民法第四章第818条~)を持っています。
民法の親権の章を読んだって大変抽象的なことと書かれています、その「親権」には「身上監護権」と言うのが引っ付いてくると考えられています。

この「身上監護権」には「教育」「肉体的成長」「精神的発達」が含まれると言う親の義務が内含されていると言う見方があります。みんな大きな意味ですが。

この「教育」の部分では勝手に勉強をさせると言う事では無く、国家が社会政策的に「教育基本法」か?その辺で制限をかけていますので、その教育基本法に沿って基本的に無償の義務教育に通わせることになります。

そんな状況で、こども本人が喜んで、また親も安心して通わせられるということであれば、何の問題なく学校に通わせて、おとなになってから日本人として清く正しい社会のいち構成員として巣立ってもらえれば良いのかもしれません。

ところが、今回のむすめの不登校に関してはこの親の義務である親権のあるこどもの「精神的発達」が阻害される原因が学校にあるとぼくは考え 「身上監護権」 を勝手発令して、むすめの精神・命を守るために一時休ませ、担任には再三お伺いを立て、原因を突き止めようとしたのであります。

e-Gov 法令検索
電子政府の総合窓口(e-Gov)。法令(憲法・法律・政令・勅令・府省令・規則)の内容を検索して提供します。
教育基本法:文部科学省
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担任は本当に分かってくれたのか?

再三のお話しで、さすがに担任もわかってきたのか、ぼくが度々電話をしようものなら、声が小さくなっているのがわかります。(決して強く言ったり、暴力的なことはしていません。)

でも、その小さくなっている態度は本当に分かってくれているのかいささか疑問を感じます。

本当に分かっているのなら、前向きなご意見を頂戴しても良いと思うのですが、それはありません。

グッと自分の個性を殺して言い訳や言い逃れを言っている風にしか感じません。

これでは、逆に担任にストレス反応とぼくに対するアレルギー症状が生じているに過ぎません。

それは、ぼくの望んでいることとは違います。

担任を潰してしまった事につながるかもしれません。

みんなが幸せになるにはどうしていけばいいのか?

当初は、担任だっておとななんだから自分で考えろ!と思っていましたが、逆に主任教諭や副校長から担任の先生の状態を伺ってみようと思います。

もう少し前向きになろうぜ、世話が焼けるぜ。

大丈夫か?

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まとめ

おかげさまで、むすめは元気に学校に通っています。

まだ、朝は「おとうちゃん付いて来て」と言ってきます。

一緒に付いていかなくなるようになれば、むすめの件の一つの区切りにしようと思っていますが、中々払拭できないようです。

次の担任との話し合いは何もなければ、発達障害の検査結果報告の事になると思います。

できれば、スクールカウンセラー、養護教諭、主任教諭も交えてやってみたいと思っています。

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