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心の視覚認知

七夕短冊
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動画で七夕の話が出てきました。

その時、先週の七夕の時に「昔、短冊書いたよね~」と言う話になりました。

そしたら、「短冊書いたよ」と小5むすこ。

みせてもらうと、泣きそうになりました。

「おとうさんが、ながいきで(きます)ように」。。。。。

まるでおじいさんのような扱いです。

急いで書いたのか、文章には難ありですが気持ちが伝わるんで良しです。

確かに、サッカーのコーチやおともだちのおとうさん・おかあさんよりは一回りは上と思うけど。

こんなこと書いてくれるとうれしくなりますね。

思わず机の横に貼ってしまいました。

そんなことに浸っていると、小2のむすめが「おとうちゃん100歳以上生きるんだよ」と言って来る。

「はぁ?」

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文章を書く目的

この短冊の「サッカーせんしゅになりたいように。」と言う願い事ですが、変な文章です。

いかにも、あとから末尾の「に。」をつけたのが見え見えです。

「短冊には願い事を書いてください」と先生から指定があったと思うのです。

そうすると、むすこの頭の中で「誰に願いをするんだ?」と言う疑問が沸いてきます。

「織姫さんに願い事をしましょう。」と説明があったはずです。

「織姫」と「彦星」の話はお話しとしては知っていますが、

そうすると、むすこ的には、短冊に願い事は良いけど、突然出てきた「「織姫」に願いを掛けるなんて何でだ?」となる訳です。

経験から学ぶことが得意な方ですが、現実感が無いものを理解するのは難しいむすこです。

これまでは、夢は自分で実現していく!とこれまで周りから言われてきて、サッカーの練習もそれなりに努力をしてきたむすこです。

それなのに、いきなり「織姫」に願い事をするなんてなんだ?神様か?

んだったら、じゃあ良い「サッカーせんしゅになりたいよう」と織姫に見せれば良いんだと言っていたむすこです。

しかし、記入した後に、周りのともだちの短冊をチラ見して、違うこれはメルヘン的な「儀式」の一つに過ぎないとようやく理解して、あわてて末尾に「に。」をつけたということです。

短冊一つ書くにも、混乱してしまうと言う事がわかりました。

もっと、具体的に「何を、誰に、何で」と空想と現実を交えながら説明してくれないと現状では文章を書く目的に混乱が生じる訳です。

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心の視覚認知

この短冊「事件」を見ていて、ひとつの仮説ですが、実際の視線が定まらずに大量の文字や記号を見て混乱して視覚認知があっちこっち色んな角度で見てしまう事が、「心」の中でも起こりやすいのかなと感じました。

簡単に言うと「思い込み」なのかもしれません。

だれにでも「思い込み」はあると思いますが、それがきっかけで混乱がひどくなり、一生懸命状況を把握し認識しようとして結局3周半回って、結局自分で思った通りの行動してしまう。

以前に、「頭の中で画を描くことはできるけど、言語化が難しい」と記述したことがありました、今まで経験してきた現実の世界と今初めて聞いたメルヘンの世界を聞き比べて時に、伝達された文字や事象の周りをグルグル回るような心の視覚的な刺激があるように思われてきました。

ただ単に、視覚的な思考の整理をするのが遅いだけなのかもしれません。

ディスレクシアむすこ自信を無くした時には「頭の回転が3回転半回ってるんだよ、回り過ぎ」と励ます。
感覚過敏なのか、五感が小さい頃から敏感だったむすこ。勘に頼って字が不得意なのか?不得意だから勘が良いのか?

いずれにしても、自分の視点を自分が一番見やすい場所からみているのは間違いないと思われます。

むすこは、サッカーの試合をしている時に「敵が近づくのが分かる」とか「グラウンドの上から見ているような気持ちになる」と言っていたように、自分の視線を自分自身の体の上から見ているようです。それは、自分自身を一番把握でき、見やすくて便利なところだからでしょう。

心の視覚認知をコントロールできるか?

しかしながら、サッカーの時に心の視点を自分の体の上に置いているからと言って、その時々であっちこっち行ってしまうのが、むすこのディスレクシアの特徴です。

この視点を常に意識的に置く場所を決めておけるようになることはできるでしょうか?

そうすると、心の視覚認知が可能になるかと思います。

ここに視点を置いて置くと決めれば、外からの情報や、自分が経験した世界をうまく俯瞰できるようになると読んでいます。

従って、心の視覚認知を安定させると心も考え方も定まってきます。

実際、七夕の願い事の話も、見方があっちこっち行ってしまったので、短冊に自分の誓いなのか、誰に書いた願いか、何が何だかわからん文章を書いてしまいましたが、理解が定まった瞬間に語尾に文字を足して、短冊の目的を達成することが出来た訳です。

体裁的にはかっこ悪いものですが。。。。

心が集中できなければ、視点も集中できない

むすこの場合は「心が集中できなければ、視点も集中できない」は間違いの無い事だと思います。

小さい頃から興味のある方に気持ちが動きがちだった方です。

ところが、サッカーやゲームや動画のおかげか、小5になってようやく「集中」と言うことを理解できるようになってきたように思われます。

サッカーの時のボールへの集中力、ゲームをしている時の自分の置かれた状況の読み方、外で大人の知人に声を掛けられれば、その声に集中して「挨拶」をするようになってきました。

ちょっとした事ですが、集中すべきことを自分で意識してできるようになった場面が増えてきました。

特別な訓練はしているつもりは全くありませんが、

周囲の関わりある他人との触れあいや自分の興味を逆手に取って、心の視覚をもっともっとコントロールできればなと思います。

それが、できるようになるように、見守って行きたいなと思います。

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まとめ

七夕の短冊の話しから、気付いたことを記述してみました。

ここでは心と言いましたが、現実的には脳みそですよね。

脳みその視覚への働きが一定すれば、認知があっちこっちいかずにもう少し体力的、学力的パフォーマンスは上がっていくと信じています。

できるかな????

ビジョントレーニングをやっていくと効果はあると思いますが、自身の力でなんとかがんばっています。何気に個別学習でもそれとなくやっていただいています。

ペースを乱す原因にならないように、黙って一緒にがんばっていこうと思います。

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