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「あと〇〇日で、4年生も終わりだ~」とむすこ。
今年のクラスでは期間が短かったけど、むすこ的には気に入ったクラスだったみたいです。
勉強以外は、いつも楽しそうなんですけどね。
低学年の時とは違って、みんなそれぞれ個性が固まってきたみたいで、関わり方と言うのが安定してきたのかな?と言うのを感じます。
それだけに、今までは「ともだちがいれば誰とでも」と言うことではなく、趣味の合う者同士、サッカーチームの者同士、気が合う同士、、、、同士でつるむ場面が増えてきているように感じます。
でも、むすこの場合、ちょっとまだまだ幼児のままで誰でもウェルカムって言う感じです。
たまたま、そこで出会ったともだち次第で、集まる人間が変わる程度です。
10歳で「人生の岐路」だと?
むすこの同級生のお父さんが気になることを言っていました。
「人生を左右する岐路が顔を見始めている、
指示されたことはやれ、そろそろ忘れたじゃ済まないよ、、、、、、云々」
のような事を10歳の子に言っていました。
(えーーーー、むすこと同い年の子にそんなこと言っちゃう???)
むすこなら、全く理解できない用語でしょう。しかも実感も無い。
「指示」された事って何???
「人生の岐路」って親が決めるの???
ぼくも、正直言って見ていて恐ろしくなりました。
それとも、むすこ、むすめに「指示」なんかしたことないし、将来の事は自分で決めろと思っているし何もしてないぼくはバカなの???
うちの子たちの考え方
むすこはいつも一番に将来は「サッカー選手になりたい」どうなるかはこれからですが、これは3歳ぐらいの頃からブレません。
むすめはピアノをやっているので「ピアニスト」と言っていましたが、この間は「宇宙飛行士」になってみたいとボソッと言っていました。
いずれも屈託のないこどもの話ですが、それはそれで大事にしてあげたいと思います。
むすこは、サッカーをプレイすることが好きなので「サッカー選手」なのですがそれ以外に、どうやったらサッカー選手になれるのか?どんなチームがあるのかとか何にも知りません。調べようともしません。
本も読めないし、まだネット検索も出来ないのでともだちからの聞き伝えで知っている程度です。
だから、本気で実現しようと言う時は、かなりぼくらや周囲の方の助言等が必要になると思います。
むすめの「宇宙飛行士」については、図鑑やサバイバルシリーズを見て調べが入っているみたいでぼくが知らないことをポンポン言ってきます。今は、本気で考えているみたいです。
こどもの夢なんてこんなものから始めて行って、親が助けるべきところは助けてあげて、徐々に自分の能力と折り合いを付けて大人になる頃には、夢見ていた事に少しでも自分自身の力で近づけていければそれで良いんじゃないかな?と思っています。
それだけに、このお父さんは高々10歳で「人生の岐路」がもう会って、指示をしたことは確実にやれ!と言う事がちょっと理解できないのでありました。
こどもへの助け
こどもを助けると言っても、横から口を出したり、ケチをつけたり、最初から道を作ってそこから逃げられないようにするようなことをすることではありません。
遠くからみてるけど、何か失敗したら、親が介助をする程度です。
死んでも「おまえは〇〇大学に行って、〇〇〇みたいなところに勤めるんだ!」なんて言いません。言えるような立派な父ではありませんので。
いつの時代だよ。。。。
他所のご家庭の方針です
とは言っても、それぞれのご家庭の方針なので、どうぞ勝手にと思ってはいるのですが、何せその子はとっても良い子だし、頭も良いし、ハイハイしてる頃から知ってるし。。。。
なんか、家庭ではもう何も言えない状況に持っていかれてるのかなあと言うことも感じるので、可哀そうだなぁと思うのです。
うちのむすめに道端で声かけてくれるぐらいの良い子だけに、変な風にならなければいいなあと遠くから心配してしているのであります。
そういう自分もかつてむすこに心の中では期待はしていたことも。。。
うちは、むすこの場合、小学校に入った時にはいささかなりとも今後の進路や将来については、期待していたこともあります。
やはり、自分の子ですので、多少はそんなことを思ったことは事実です。
ところが、、、、学習障害があると言う事実に直面して、「学習障害」のがの字も知らないぼくが「えー、なんだそれ??」と自分の考えをひっくり返しました。
それが、2019年12月の半ば過ぎです。
自分の考えを変えようが無かろうが、「学習障害」の事実は変わりません。
「指示」も「岐路」も何もありません。
ぼくは、淡々とむすこが大人になって困らないようにして、むすこが自分で「岐路」を作って、やりたいことを実現したいとの思いを高めてあげるだけです。
そのためには、今後も手を掛けないといけないこともあると思いますが、あくまで言われた時だけ。
家庭内で何も相談事を言えない状況を作ることは避けるために、なるだけ「自由にやらせる」、それを「許す」、「否定しない」。
この方針をぼくの中で決めたのであります。
がんばるの自分の意志
いくら「学習障害」と言っても、自分の状況と言うのは自分が一番良く分かっていると思います。
「ここ一番の踏ん張りが親等の応援でがんばれた!」なんていうようなことを教材系のうたい文句で聞くこともありますが、確かに応援されたからがんばれたって言うのはあると思いますが、
やっぱり本人のやる気やがんばりあってこそだと思います。
ここで実現できたのは自分ががんばったからと言う喜びを味わってもらいたいと思うのであります。
だって、親の為にやるんじゃないもん。自分の為だもん。
特に、周りより比較的年寄りのお父さんは切に思うのであります。
まとめ
なんか、他人が言っていたことが妙に気になって、今回はこんな記述をしてしまいまいした。
とりとめのない記述で恐縮です。
特に、うちなんかどうなるか分からないし、色々言いたくなっちゃうのは正直なところです。
でも、ここはちょっと息をのみこんで、一歩引いてむすこの動向を見て行こうと思います。
もちろん、危ない事、法に触れるようなことは、全力で止めさせます。
それ以外であれば、こんな感じで子育てを進めていこうと思います。
毎日、寝不足で眠いけど、子育ては忍耐なのであります。
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