|
$$怒る ≠ 叱る$$
「怒る」と言うのは感情にまかせて怒鳴ったりすることかな、
「叱る」と言うのはしつけも含めて良い方に行ってもらいたい願いがこもっている。
なんて、区別がされているのかと思います。
が、言われているこどもにとっちゃどっちも同じで、怒られているには変わりはしない。
ぼくの方も、注意が感情に加わって「怒る」に変わって言ったりして、家全体が険悪なムードになってしまう。
言われたむすこも意気消沈してしまって、その後の行動がうまくいかなかったりする。
「怒る」と言うことが何とかならないかとこの1か月程考えて、「怒る」ことを抑えて逆に「笑顔」でいることに徹してみました。
自分がやられたことは子供にもやってしまう
自分の親の事
時代が時代だったので仕方が無いと言われればそれまでなのですが、ぼくも親に何かと怒られたり、お小言ばかり言われてきた口であります。
もちろん、叩かれたこともあります。やり返してやろうとも思うのですが、さすがに手は出ません。その時に痛いのが分かってるから。
当たり前ですが、それは自分のこどもにも同じです。手をかけたことはありません。
テストの点数、進学、就職、大きな節目の時はもちろんですが、読んでいる本、好きな教科・嫌いな教科、好みの音楽、、、、ありとあらゆるものを否定されるような事を言われてきました。
ひと言目は、「くだらない」
二言目には、「くだらないこと考えてないで、勉強しろ!」
まあ、こんな感じです。そんな感じで、ともだちと外で自由に遊びに行った記憶もあまりありません。
やってられないので「もっと、上を目指せ」と激励を言ってくれてるんだとグッと飲み込んできました。
その割には、ぼくなんか大した成績も業績も残してきた人物ではありません。
まんがに出てきそうですね (笑)
親の記憶はそんなことが強すぎるので、むすこが生まれた時にはとにかく自分の親とは反対のことをやってやろう。それでどんな子に育つか見せてやると誓って今に至ります。
表面的には反対の事ができてるかも
ろくに外で遊ばせてくれなかったせいかわかりませんが、ぼくは幼少の頃は体が小さく、そして病気がちな子でした。
3年生の頃から水泳をやったおかげで、病気がちなところは無くなりましたが、今でもむすめから溶連菌とかインフルとか変な病気をもらうと、とことん行ってしまい、家一番症状が悪化します。丈夫にはなりましたが、処世術が出来てないようです。だから、時間があればランニングをして鍛えるようにしています。
そんな感じで、とりあえずむすこには
- 丈夫な体
- 病気に罹りにくい体
- 体幹を良くする
この三つは絶対に決めて、小さい時から暑い日も寒い日もむすこに付き合って公園に連れて行きました。
むすこは、元々体を動かすことが好きだったのでしょう。
小さい体で、逆上がりを見せてくれたり、平均台も走って渡ってきたり、体幹も良くなりました。
病気も、3歳ぐらいからはほとんどせず、今までインフルエンザにも罹ったことがなく。夜に9度近く熱が出ても朝には治っていると言う不思議な体力をつけてくれました。
うししし、大成功じゃ。
思い通りの事をしない(できない)
ただ、瞬間的に何か危ない事をしたり、物を壊したりすることもあるので、大きくなるにつれてぼくに怒られることも多くなりました。
その度、むすこはシュンと小さくなっていて、ぼくも可哀そうだなと思いつつすぐには許すようなことはせずに、しばらく反省をするようにと言う態度を取ってしまっていました。
こどもなので、間違いばかりだと思うのですが、ぼくの方も自分の思うことと真逆の事をやっているむすこを見ると、許せない気持ちもあって怒るというより「怒り」に変わって行ったこともありました。
(これじゃ自分が親にされてきたことと一緒じゃん!)
学習障害だと言うことがわかって
1年生~3年生まで(学習障害を知らない頃)
小学生になって、むすこが怒られる要因がひとつ増えました。
それは「学習」です。
実は、ぼくは小学生低学年の頃は宿題も無く、家で勉強した記憶もありません(昭和40年代の話です)。
しなくても、なんとなくわかったしテストだって、授業でやったことしか出ないので簡単です。
でも、むすこはそれを「わからない」と言いました。
100点なんか、1回あったかないかの程度です。
(なんでこんなくそ簡単な問題がわからんのだ?)と不思議に思いつつ、
「できるまで、考えてみな」とかひどい事を平気で言って突き放したりしました。
そこで、妻も何がなんだかわからずとりあえず、反復学習させれば出来るようになるだろうと、今となっては悪夢の問題集であります、反復計算問題と漢字練習をやらせたことによって、むすこが壊れてしまって「学習障害」と言うことがわかりました。
そうなんです。字を読むことが難しかったのです。
ただ、救いは、勉強自体を理解していない訳では無くて、紙に書いてあると何がなんだか混乱してしまうと言う障害だったと言うことです。
それまでは好きな事だけを探して理解していた
生まれてから、好きなことには異様に興味を示して覚えようとするむすこ。
見ても読んでもわからないものは、むすこが書いてあることや映像で映されるものを「興味深いもの」と「興味のないこと」を分けて生きてきたと思います。
無駄な作業避ける、当然の判断だと思います。
学校の教科でもそうです。算数のようなシステマチックなものは聞いているだけで理解できるので「好き!」。
国語、社会は、まず書いてあることを読まないと理解が進まないので「大嫌い!」となっています。
彼の好き嫌いは生まれた時から、学習障害が大きな影響を与えてきているのだと思います。
学習障害がわかって
そんなにすぐには受け入れられない
むすこの学習障害が分かって、ぼくだってそんなに急に受け入れられたのではありません。
じゃあ、ということでコロナ休校の時も、一緒について勉強を教えてあげる機会が増えました。
ただ、勉強を進めるにつれて、一向に理解が進まなかったりするとそっぽ向いたり、息苦しい表情すると、教えるこっちもバカみたいに思えてきて、怒ってしまうこともありました。
ただ、おとなしく座っていないむすこが「親自身の思い通りになっていないから」から怒ってしまうのであって、ぼくが実親にやられていたことと同じで、むすこの現実を考えるとそんなことで怒っていても何の対処にはならない。
と自問自答する日々が続きました。
むすめの成績を見て
昨日のブログに記述しましたが、むすめはZ会はやっていますがほとんどぼくも手を掛けなくても成績が自分の子じゃないんじゃないかと思うぐらい良い方です。
先月、むすめとむすこの「あゆみ」通知表を見た時、片や成績も生活態度も全部左側に〇が付いているあゆみと、片や(むすこの通知表)生活態度はみんな左側に〇がありますが、学習面では凸凹が大きくみられる通知表を見比べてしまった時に、何かやはりぼくも大きく変わって行かないといけないなと思いました。
その時に気付いたのが「むすこを怒って教えること」です。
間違いでも笑いながらやれば記憶に残るかも。。。
むすこはつまらない勉強では、そっぽを向きがちです。
でも、楽しく勉強ができれば、興味が出てこっちを向いてわからなくても教科書の文章に興味が出てくるんじゃないかなと考えました。
それで、「怒る」ことをやめてみました。
そうしたら、あれだけ嫌いだった漢字練習の字がきれいにかけるようになってきました。
「おとうちゃん、この漢字うまいでしょ!」とこんなことまで言うようになりました。
あと、「ここ点が一個足りないぞ」と教えるのも笑いながら伝えるのと、「注意しながら」言うのとはだいぶ違います。
「あ、しまった!」と言って頭の記憶から掘り起こすように、書き換えるようになりました。
勉強だけじゃなくて他のことも
勉強だけじゃなくて、他の生活面でもそうです。
生活面でも、うるさく言うのは止めました。
そうしたら、何となくあの3歳ごろまでに見られた屈託のない笑顔が見られるようになってきました。
自分でもわざとあの頃の笑顔をしてくれます。覚えてるんですね。
そんな笑顔を見せてくれると、こっちもうれしくなります。
まとめ
やはり、「怒る」事はどんな理由があるにせよ、家族間では良いものでは無いと言うことが、この1か月で分かってきました。
これから、もっと厳しい現実が出てくると思います。
今後も笑顔で乗り切れれば良いと考えています。
むすこのあの3歳ごろまでに見せてくれた笑顔をいつまでも守ってあげたいですね。
コメント