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百科事典と動画

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インフルエンザ4日目。

昨日の昼頃から、ダルさも抜けました。

連絡いただいていたクライアントさんに「お返事待って!」と言っていたものを片づけて、いよいよ年末の再始動です。

しかし、これからが咳き込みや鼻や痰が酷い。

悪いもの排出作業開始ですね。

特に、寒いからとたくさん着こんだり、布団に入り込んでぬくぬくしようとすると酷い。

ぼくの体の抵抗力が暖かさと共に盛り返しているのがわかります。

がんばれ!がんばれ!

完治までは1週間ぐらいかかると思いますが、歳をここまで取ってもこどもと同じぐらいで回復できたことを感謝です。

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小4女子の好奇心

小学校4年生と言うと、益々好奇心が上がって洞察力をあげるにはどうするか、自分で色々と調べる時期でもあると思います。

興味分野によっての偏りはあるかもしれませんが、小4のむすめも今そんな頃です。

ぼくの場合は、母親から無理やり押し付けられた当時の学習用の百科事典全集をあてがわれました。

3年生か4年生の頃です。

当時は、何か知識を得るには書物、もしくは運よくテレビで扱っていればそれで知るということぐらいです。

その百科事典は自分で選んだものでは無くて、勝手に押し付けられたのは気に食わないのですが、その時の百科事典は物凄くありがたく、毎朝ご飯を食べる前や寝る前に必ず適当に開いて眺めていました。

今でいうと、小学館の「こども百科事典」よりも小学校中学年程度に編集されていて、読む部分が主体になったものです。

たまたまイヤイヤながらその百科事典をもらったらハマってしまったようでよく読みました。その後の知識のベースはその百科事典からできていると思って過言では無いと今でも思っています。

全巻当時で定価5万円程度したとネットの情報で見ましたが、その頃、母親が教育や教科書の出版社の関係者でしたので、そこで少し傷がついていて中味には問題無いけど、市場に出せないB品を安くで「むすこさんにどう?」と言われて購入したものだそうです。

こどもの知識の積み上げと言うのは段階があって、幼児期、低学年、中学年。。。。と、それぞれに合った無理の無いものを、周りのおとなが見てあてがうのは大事だなと身を持って感じます。

年代に応じて、その子に応じて、優しすぎてもダメ、難しすぎてもダメ、なんですよね。

その後の、自分で選ぶ本の種類にも影響してくるとも思います。

中学生、高校生になっても「あれ読め」「これ読め」と言うのはあまりよくない。

「推薦」程度なら良いと思いますが、大事な人格形成期に「おとうちゃんは、中1の時にこの本を読んで感動した。だからお前もこれを読め。(そして立派な人になれ!)」なんて言われるとうんざりしてしまいますし、何か本を選ぶ時にうるさいおやじの顔が脳裏に出てきて「もういいや、本なんかくっだらねー」となってしまうこともあるので要注意だと思います。

こどもだって何を読もうが、何を眺めていようが勝手です。

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百科事典なんかない。何を使うか。

小4むすめの話に戻りますが、この時代に小学校中学年程度の百科事典の新版なんか存在しません。

単体の辞典として、より細分化したマニアックなものはあるのですが、全体を掴めそうなものは百科事典的なものはありません。

巷の百貨店が衰退して、専門店が盛り上がっているそんな構図が出版界にもあてはまっていておもしろいです。

そこで、好奇心いっぱいのむすめはどうしているかと言うと、学校の図書室や、Youtube等の動画やネットが百科事典代わりになっているみたいです。

学校の先生に怒られてしまいそうですが、小1の頃からiPadを持たせて自由に使わせています。

最初はむすこに釣られてゲーム動画やこどもYoutuberの動画を見て喜んでいましたが、今ではYoutube動画の質が一部上がっているものが多くなって、興味のあるものはみんな動画で確認しています。

動画を見て満足しているのではなく、その裏を取るのも好きなようで「〇〇の動画と〇〇で違う事言ってたから、調べたらこっちが正解なようだよ。おとうちゃんどう思う?」

そんなことを言い出します。

しかも、興味があることであれば大抵の数字を覚えています。

その数字を覚えていて、何かの際に出てきた時に間違いがわかったら、もうその動画は信用しないモードに入るようです。

それを見ると、むすめの中にも「百科事典」的なものは必要なくて、特化したものに傾注しハイスキルなものを習得しようとしているのではないかと見ているのです。

市場が「百科事典」を一般的に必要としていないのはこのような構図が普通になってきたからだと思います。

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ハイスキルとロースキル

社会の人手不足を解消するには、ハイスキル人材よりも、どちらかと言うとロースキル(単純作業)人材育成の方が改善効果が高いとされます。

こう言ってはなんですが、ロースキル人材は手っ取り早く効率良く教育出来た人間でも可能ですので、いまのような付け焼刃的な政策に走るのでしょう。

こればかりですと、効率が悪くコストのかかるハイスキル習得をしている子たちの将来のインセンティブを受けることが難しくなる世の中になります。

その結果中長期的に見ると、せっかくの全体の人材劣化が起こってしまう事になりかねないのです。

前に、Xにもポストしましたが日経新聞でこんな記事を見ました。

アメリカでAIでこれだけの騒動になるのに、日本ではそれほどでは無いのはそもそもAI開発が出来るハイスキルな人間が一握りしかないないからではないからだと思います。

先日あったような、オープンAIからMSに行く!とか何とかのような、ハイスキルな人達同士の摩擦が日本にも起こってもおかしくないような話もスルーしてしまっているのは当然なのかな?そんなことを感じます。

むすこやむすめには口を出さずにこう願っているのであります。

「君たちの時代なのだから、好きな事をするんだよ。」

そして、

「好きな分野で、得意な事を使って、尖った人間になるのだよ。」と

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