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むすこがお風呂で使うバスボール(むすこは”おふろのシュワシュワ”と言っていた)がちいさい頃大好きだった時期がありました。
その当時の笑い話でスーパーのおもちゃ売り場で映画カーズのバスボールを見つけ「ごはん全部食べるから”シュワシュワ”買って!」と言って持ってきました。
ごはんを全部食べるなんて当たり前の事だし、それにむすこはごはんを残したことはあまりありません。
今となっては笑い話として思い返すのですが、当時は何でそんな条件を付けて言って来るのだろう?と思いつつ、きちんと考えもせずここまで来てしまいました。
きっと、保育園かなんかで「ごはんを全部たべるのは良い子」とか良い子の模範みたいなものが刷り込まれていて、そんな条件を付けて言ってきたのかなぁと今となっては戻る事の出来ない過去を勝手に検証するのであります。
市場経済での条件付き
おとなの世界でも条件付きで何かを達成させるなんて世界があります。
ぼくの昔の例ですが、とある企業の販企に所属していた時に、「ある一定の量の商品を売ってくれた代理店に施策金(バックマージン)あげるキャンペーン」とか、「代理店が、旧製品の値引き用に使える施策金」とか色々と、キャンペーン名を変えて考えたものです。
もう、その業界にはいないのでわかりませんが、今でもそのような業界はあると思います。スーパーやネット上サイトの値付けの変化を見るとその時の事を思い出します。
でも、それは市場での話なのでありな話です。
量をたくさんまとめて買ってくれる場合は条件をよくするのはあたり前ですし、旧製品をいつまでもメーカー指定の定価で売るなんてバカな話はありません。
家庭内での条件付き
そんなものを、社会にあてはめ、中でも家庭内に持ち込むのはどうかな?と考えてしまうのが、冒頭の「シュワシュワ」の話になります。
ぼくもお調子者ですので、「シュワシュワ」の頃から小学生に成長したむすこに「(サッカーで)ゴールしたらベイブレード勝手やる!」「漢字50問テストで合格できたら、V-Bucks買ってやる!」なんて、「報酬」でこどものやる気をたきつけるような、外では言えないことを言っていたのであります。
ただ、そんな情けの無いおとうちゃんを見て育つこどもと言うのはよくできたもので、最近では「報酬」よりも「優勝トロフィー」とか、自分を磨くことに力を注ぐような、そんな事を言い出しています。
「目の前の人参」=「報酬」よりも、自分を鍛える事が好き。。。。
かっこいいぜ!むすこ!!と思っているところに、読まなきゃいいのに衝撃的なことが書いてある本を見つけてしまいました。
家庭内での条件付きはやっぱりやめよう
小学生には400円というお金よりも同額のトロフィーの方が大きな効果があったことがわかりました。この実験からもわかるように子どもが小さいうちはお金よりも子どものやる気を刺激するようなご褒美を用意した方が効果はあります。一方、中高生にはトロフィーよりもお金の方が効果的だったこともわかっています。
学力の経済学
唖然、愕然です。。。
そうか、、、、今は賞状やトロフィーでも良いけどね、来年度から変わるかもと言う一説です。
予言の書のように見えます。
う~ん、中学生になったら「勉強する!」と言っていたがどうなることやら。
もちろん、ぼくは心の中では、今までのこととは逆に、市場規範よりも社会規範に乗ってそれに頼りたい方です。
しかし「なんで勉強するのか?」と言う事を話していても、そんな自分にうんざりしてしまいます。
どこまでもダメおやじです。
こんな事では、こどもへのエネルギーよりも自分へのエネルギーの方がたくさん使ってしまいます。
甚だ効率が悪そうです。
来年度は、むすこ個人の目標と学習をする達成感、予定通りに行ってると言う充実感等を共有しあってぼく自身も良い習慣を充実しあおうと思っているのですが、どうだろ。
思春期だしな。
これまでの実験から学んだように、現金ではある程度のことしかできない。社会規範こそ、長い目で見たときにちがいを生む力だ。
予想通りに不合理
まとめ
むすことは、来年度と言っても未確定な予定等がたくさんあるので、その時々にある程度のフェーズを決めて適度にやるべきことを習慣化していこうと思います。
もう、こどもじゃないしな。
歩みよってもちょっとしたことば遣いにも注意しないと、悪い方向に行きかねないお年頃です。
小さな事をコツコツと小出しにやっていくこれが良いのではないなと思っています。
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