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「こども自身の理想」に近づけるようにがんばる手伝いをしていきます。

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中1むすこが、一生懸命自分のやりたい事(サッカー)を打ち込んている姿を見ていると親なんですけど、うらやましい気持ちになります。

勉強に関しては、特に本を読んだり、紙面に書いてあることを読み取る事が苦手なので、勉強が苦手なのは仕方ない。

日常で困ることがないようにと、ともだち大事なむすこが学校へ通うことにつながる自信を欠如させないように、親として補助しています。

もち、補助したことによって望んだ以上の成果が出れば、儲けもんですが。。。。

人間なんて、マルチに優等生になれる子なんてほんの一握りだろうし、優等生であってもその人なりの悩みを持って生きていると思うので、こっちを引っ張り出そうとすると、せっかく優等なあっちの分野が凹んでいってしまうと感じたりもします。

ですので、むすこには出来る可能な範囲で、あなたの持てる力で生きて行って欲しいなと思うのであります。

実は、それに関して懸念があって、それは、むすこ自身がWISC検査直前に「おれ、今回の知能検査自信ある!」と言ったことです。

確かに、良くなった分野(ワーキングメモリや理解度等)は、むすこが日頃身を持って感じたことだからでしょう。

しかしながら、それは他の数値で測れないものに影響しているのではないか?そんなことを感じています。

「WISC検査は成長と共に伸びる部分は伸びますよ~」各方面の方々から聞いておりましたので、身体能力、運動能力、思考能力と共に伸びているならそれで良いですが、とある機関(特に教育機関)が勝手に決めた指標ですので、それだけが伸びていて、五感を越えた「勘の良さ」等の彼特有のものが凹んでしまってないかな?と思ったりしています。

スポーツ、特にチームプレイをやっているむすこですので、そのスポーツ理論や必要な体力、体幹等はあたり前に身に付けるように励んでいますが、それを超えるようにするには個人の特性にかかることも大きいと感じているからです。

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ことばの暴力・虐待

むすこのサッカークラブチームで「5教科で150点も取れないのか―」とおとうさんに叱れれて、「250点以上取れるまでサッカー禁止だ!」と言われてしまって、過去に結局やめさせられた子がいたそうです。

ううう、うちのむすこの1学期の成績を見ると、笑えねー。。。かわいそうに。

表向きにはそんなことですが、親子の間ではもっと酷い暴言等を言われてしまっていそうですね。推測ですが。

その子は上級生ですが、クラブチームに入ってまでサッカーを続けていたなんて、余程サッカーが好きだったんでしょうね。

おとうさんが、その250点目指す子に何を求めていたのか知りませんが、おとうさんのむすこさんに描いた理想と程遠いものを感じてしまって退団と言う事になったのでしょう。

要するに、「サッカーばっかりやってねーで、勉強しろ!」ってことでしょう。

ぼくの実感として、幼少からこの時期の親からの暴言って将来に渡って影響します。

「そんなものばっかり聴いて(音楽)ないで、勉強しろ!」(ウォークマンを取り上げられたり)

「そんな本なんかなんの役にも立たねー。課題図書とかそんな本を読め!」(唯一の楽しみの読書にケチをつけられる)

「おまえなんか画の才能がないんだから、画は俺みたいに書け」(と課題を取り上げて勝手に描かれたことがある)

「こんなんでどうするんだ!おまえなんか落伍者だ!」(ちょっとテストで失敗したところがあるところを見て)

このようにぼくを否定する暴言はもっとあるのですが、キリが無いのでここまでにします。

もちろん、食事の皿や灰皿を投げつけられたり、殴られたり、おこづかいを貯めて買ったウォークマンを投げつけられて壊されたこともあります。

今でも、実家に行くとその時についた壁の傷をつい見てしまい、フラッシュバックする時があります(家族には言えない)。

別に、親に反抗していませんし、何もしていなかったつもりです。

机に向かって勉強をしていない時間があったからと問い質されて、大事にしていたウォークマンを粉々に壊されて叩かれました。

よくわかりませんが、父親として自分のこどもは時間を守って、規則正しい時間を過ごし、親の考える時間に机に向かって勉強しているのが理想だったのでしょうか。

ぼくだって、疲れてしまっている時もあるし、勉強は長時間する派ではなくて、授業や電車の中でやれば十分でしたし、、、(家では軽く復習程度・・・)

父親は狂ったように怒鳴っているし、妹は恐がっているし、母親は助けてくれません。

挙句の果てに母親に「自分が悪いんでしょ。」の一言で済まされてしまいました。

時代的には、こどもが親に逆らうなんてご法度で、「こどもは親に逆らってはいけないけど、親はこどもを殴っても構わない」と言うそんな時代でしたので、「自分が悪い」と自分に言い聞かせ我慢をしていました。

「実親を殺めたら、無期懲役か死刑」と言う刑法が当時は既に死文化(法律としては無効)していましたが、条文としては削除されずに残っていた時代です。

そんなぼくにとっては嫌な思い出で忘れよう忘れようとしていたのですが、いざ自分のこどもが思春期になると急に暴言・暴力を振るわれたことを思い出すようになりました。

正直言って、ぼくの親がぼくに対する育て方は時代が違うとは言え「間違った子育て」です。

当時の父親も、何が正解がわからなくて思い悩んでいたと思います。

こどもを自分の理想通りの立派な社会人(人によって価値観は違いますが立派な社会人って何?)に仕上げることに思い悩んで、感情を表に出さないと自分を保っていけなかったのでしょう。

これは、今で言うと虐待です。

こどもを否定しつづけると、碌な方向にはいかないのは昨今の事件を見ても明らかです。

昨今どころか、ぼくらの時代も悲惨な事件はありました。

ぼくの事はもう過ぎ去ったことですし、父親も亡くなっているので戻って何かをすることはできません。

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教育方針として・・親の理想は押し付けない。

ぼくにとって辛いことですが、むすこ、むすめには出来るだけ対等な立場で話をするように心掛けています。

特に義務教育を過ごすにはあまりにも辛いむすこは自分の自信を保つために、自分の得意な事を伸ばそうと懸命に活動しています。

勉強ごときとは言いませんが、ぼくの教育方針として、これまで通り将来社会で困らないように、悪い人に騙されないように、最低限の教育をぼくや学校から伝えてもらって、親の理想ではなく、あくまで「自分自身の理想」に近づけるようにがんばる。

こどもの考える理想・心情・思想を阻害しない。

その手伝いをしていこうと思います。

※愚痴みたいになってすみません。

子どもの権利条約 | 日本ユニセフ協会
子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)は、世界中すべての子どもたちがもつ権利を定めた条約です。1989年11月20日、第44回国連総会において採択されました。

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