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円周率「3.14」と「3」から思ったこと

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小5ディスクシアむすこが「3.14」を習ってきました。

「おとうちゃん!直径×3.14で、丸(円)の周りの長さが計算できるんだって!!」

「うんうん、なんかかっこいいね。そのまま覚えちゃいな」

「わかった! 直径×3.14だね」

絶対、円周率の話なんか小学校のうちに出来る訳無いと思っていましたが、自分から言って来るなんて、なんだかうれしくなりました。

記憶に残るように、彼なりの方法でぼくに言ってきたのだと思います。

たまたま、この「3.14」と言う数字が大人びたものを感じ、彼の頭に突き刺さったのかもしれません。

しかしながら、ちょっとしたことで、この「3.14」を彼の感じ方次第では全く受け入れられないものになっていたとも考えらえます。

数字だし、小数点もあるし、しかもこれ円周率単体では勉強にならない。

厄介なものと思ってもらわなかっただけもうけもんでした。

他の子で勉強が苦しく感じてる子で「3.14」は辛い子はいないかな?

そう思うと、「これで円の周りの長さが計算できま~す」的な教え方で、
学校って昔から教授する方法も同じで、こどもに教え方が硬直化してこどもに合わせることができていない、機関のひとつだろうなと思ってしまいました。

どう考えても、この「3.14」を字面の雰囲気だけで覚えられただけだし、これはうちにとってはよかったけど、他の事に関しては苦労しているし。。。。

このブログの最初の頃に「ユニバーサルデザイン」の事を何度か記述しました。

それがきっかけで、このブログのwebフォントをモリサワさんの「UDフォント」にしています。

web用 UDフォント・ユニバーサルデザインフォントの選択
ディスレクシアの方でも認識しやすい、web用フォントはあるか?第1回目の検証・採用記です。

学校の勉強自体も誰でもわかるような「ユニバーサルデザイン」的なものが必要なようなことが、この「3.14」で感じるのであります。

教え育てるのが「教育」です。従って、学校はどんな子でもそれぞれのレベルできちんと伸ばしてもらわないといけません。それと同時に「本当に大丈夫か?」とやきもきしているぼくに「大丈夫、大丈夫、ほら大丈夫でしょ」と暗示だけでなく、本当に安心させてもらえるような機関になって欲しいのです。

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「3.14」は「3」?

むすこの算数の教科書

ゆとり教育

ぼくのもう立派に社会人になっている甥っ子達が特にお兄ちゃんの方が小4・小5ぐらいまで「ゆとり教育」の子で、小学生の頃に彼らの親であるぼくの妹が「3.14を3で教えるんだって!」と嘆いていたことがありました。

ぼくは、計算なんか頭の中では大体概算ですることもあるんだから「3」として、近似値で計算してもいいんじゃんって思って聞いていました。

現実には、円周率を「3」で教えられたことはなかったそうですが、「学級会」のような時間や課外活動をする時間が増えて、「わたしの頃とは全然違うよ。楽そうだよ~」と学習内容が減っているという事を聞きました。

宿題に関しても、「ゆとり教育」時代と「脱ゆとり教育」でだいぶ、量が違ってきたと言っていました。

その頃からなんでしょうね、「読み・書き・算術」等基礎的なものの学力保障をしたい要求から、外部からの学習方法として「百マス計算」等が取り入れられてきたのも。

評価の仕方も順位による評価と言うのも無くなって、こどもひとりひとりの活動の成果による「絶対評価」になっていたとのことでした。

こどもは、今ある能力やレベルが違うと思います。それぞれの出発点から決められたノルマへがんばってる度合い。。。。そんな評価でしょう。

「特別支援」的な教育です。

こどもが全員、算数が得意なわけではなく、体育が得意なわけではないのです。全ての子にその子に合うものを提供する。それが、ゆとり教育をやろうと決めた実情だったのではないでしょうか。

それが続いてくれれば、むすこなんかはとても助かったかもしれません。

今の教育状況が変わってくれていたかもしれません。

ぼくの感じる「脱ゆとり教育」

いま、むすこ・むすめが学校で教わってくる勉強は、どう考えても「ゆとり教育」の反動のような気がします。

むすこの担任はぼくと同じぐらいの歳(50代後半)の方です。さすがベテランで児童ひとりひとりに向き合ってくれてとても頼りになる教師です。

しかしながら、「ゆとり教育」と「脱ゆとり教育」と当時振り回された教師の一人でもあります。

責任感も強いのか、授業のノルマを達成するために懸命に半ばパニックになりながら5年生のクロージングに走っています。

児童達はそれに振り回されている事でしょう。

そうなると「自主性」も何もあったものではなく、聞いただけで覚える記憶力の良い子は詰め込み詰め込みでも良いと思いますが、反対に出来ない場合は苦しい子を量産するきっかけにこの3学期の大詰めにきているようにも思います。

むすこはLDを抱えているのでその末端にいるひとりです。

例え、覚えられるものがあっても、何をやっているのかさっぱりわからず達成感は無いように思えます。

たまに、テストで高得点を取って来て「すごいね!」とほめても、「あ~」と気のない返事をするのはその為なんだと思います。

つまりテストで結果を出した時でも、何となく達成感が無く「おまえはできない」と追い詰められている状態なんです。

これでは、学校自体、児童たち自身がとげとげしいものになってしまうのでは無いでしょうか?

その殺伐とした児童の気持ちを払拭することと、これからの社会を維持するために、取り入れられたのが「道徳」と言う教科なんだと、いち国民としてそう解釈しています。

うまく考えるもんだと思います。余計なお世話です。

宿題

そのむすこの先生が言っていました。

「宿題は親御さんたちの要請でもあるんですよ~」

宿題を出すというのは、親の願いみたいなことを言っていました。

まぁ、LDが分かった初期の頃に、宿題がなければ、むすこの場合どこまでわかっているかぼくが把握することはできませんでしたので助かった部分はあります。どれぐらい知っているか?のものさしです。

でも、よく考えてみると、学校で学力が付かないと先生が思っているから宿題になるんでしょう。

本来、小学生は遊んで学んでと言うのが基本だと思います。

常に、学校の学習が気にかかるような状態では、可哀そうな気がします。

むすめの担任なんかは、ポエムを読むような授業をしていて、椅子を引いた音がうるさいと怒って時間を食っています。そんなんでは児童がどれだけ学習の手応えがあるかわからないでしょう。
だから、毎日、毎日、どこからコピーしてきたかわからないドリルまで持って帰って寄こすのでしょう。それで、到達の目安にしている。そんな気がします。

むすめなんかは、分かり切ったことをすぐに何度も反復学習をするのを嫌います。

だから宿題が辛くなってしまうのです。

これなら、学校で「スマイルゼミ」をやっていた方がずっと学力つくんじゃないか。

あ、またむすめの担任の話になってしまった。。。すみません。

ゆとり世代の先生

むすこ、むすめの小学校の教員で活躍されている方には「ゆとり教育」を受けて来た方が多くなってきていると思います。

どの時代もそうなんですが、特にこの世代に関しては「自分で考えられる人」と「言われた事をを忠実にやりたい人」に2分されているように感じます。

十人十色の受け持ちクラスの児童に対応が可能な教師と言うのはどちらが合っているか自ずとわかってくると思います。

比較的今活躍している若い世代(30歳以下ぐらいの方たち)は、ユニークな人も多く、他人の気持ちがわかってくれる人が多くて好感が持てる人が多いような気がします。これはゆとり教育から出た良い点なんだと思います。

小さい小さい小学生たちへの学習は「苦手」「出来ない」だけで測ることは出来ない筈です。そんなことに危機感を感じて手を出したいと言い出すのは、自分の都合だけを考えているもっと上の世代です。

圧力に屈しないでやれるようにこどもばかりでなく、若い世代も扱って欲しいものです。

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まとめ

むすこが「3.14」を言い始めて、またもや色んなことを思い考えてしまいました。

むすこの世代はどんな世代になるんだろうなー とても楽しみです。

ぼくが中学生の頃、学校のとある先生から吐き捨てるようにこんな事を言われました。

「お前らの時代なんて碌なもんにならないだろうから、生きたくない!それまでいたくない!」

冗談半分に言っていたのでしょうが、

ぼくは、当時ショックを感じながら、本気でその言葉を受け取りました。

今でもその話は忘れません。

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