小5ディスレクシアむすこ。
ディスレクシア読字困難と言っても、完全に読めないわけではないのです。
なかなか理解してもらうための説明は(学校の特に融通の利かない)先生にも難しい。
「何の為の説明だったのだ?説明のしがいがないね」と毒づきたいのも抑え、そんなこどもの計り知れない苦労を思うと悩むのであります。
- 文章が全く読めない!
- 文章を素晴らしく上手に読めて、理解も完璧だ!
小学校では、この2択でしか理解・評価してくれないのかな?
どうなってるのだ我が日本の教育方針は? とまたまた毒づきたくなるのであります。
その2つの中間もあって、中間も色々あるのだよと、うちの例を知ってもらいたくて記述してみようと思います。
「読めない」と「読める」の中間
むすこの音読の欠点
「中間」と言っても、多分うちのむすこの場合は限りなく「下の下の方」です。
最近では実際に音読させると、漢字、カタカナはとちりまくりですが、ひらがなは結構うまいレベルになってきました。がんばっています。
文章を音読するにあたって、むすこの場合の欠点として以下が挙げられます。
- 漢字の音訓それぞれ違う読み方に迷いが出て、読めなくなる。
- ことばの切れ目が曖昧。
- 行替えのところが苦手。(行が飛んだりする)
- 長い時間・量、読めない。(すぐ疲れる)
全てに共通しているのは、 表示されている文章全体を見てしまい、一個一個の文字を捉えることが難しい。
それでもって文字ひとつひとつが形(画)として認識をしているために、文字の理解が難しく、文章全体としての理解が頭の中で破綻してしまうのだと思います。
長い文章を読めと言われると、途中から癇癪や過呼吸、涙目になってくることがあります。
もうその時点で脳みそが「音読やめとけSOS」信号を発している表れなんだと考えています。
「音読の効果で読解力が上がる!」なんてどこかの自己啓発本にありそうですが、うちの場合は全く合いません。万人に合うように錯覚するような書き方をしないで欲しいものです。
ぼくも本は好きですが「音読」は好きではありません。音読して頭に入ってきた記憶はあまりありません。本ぐらい自由に読みたいものです。
日本語は難しい?
日本語の特徴として、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「数字」等があって、特に「漢字」は「音読み」「訓読み」「熟語」「慣習での読み方」があって色々と難敵です。
同じ意味を伝えるのに、これだけの文字種類があるのはかなり、言語としての我々の母語はかなり高度な方ではないかな?と感じます。
日本全体でディスレクシアは8%ぐらいはいると言うのは、納得できるのであります。
さて、夏休みの読書感想文
「読書感想文すいすいシート」
「読書感想文すいすいシート」とは、読書感想文を書くための「下書き」&「ネタ帳」のようなものです。
実際に「読書感想文」を作成するのは2学期になって学校でこの「すいすいシート」を利用して書いていきます。
最近では、この方式を取っている学校が多いようです。
夏休みの読書ぐらい自由にさせれば?
むすこのクラスでは今「読書キャンペーン」をやっていて、むすこも一生懸命本に挑戦しています。
この間は「本っていいね!」なんて奇跡のことばを発しておりました。
自由に好きに読む読書は、読むのが不得意でもそれなりに効果はあるのだと思いました。
この「読書感想文すいすいシート」にそれまでの「読書キャンペーン」で読んだものでいくのかと思ったら、「違うもので行く」と言うのでそれでまたこっちも何の本が良いんだ?と右往左往してしまうのであります。
去年はどうしたか?
いちお、「読書感想文すいすいシート」は宿題ですので全部提出したいむすこのために、ぼくの方もどうやって本の内容を理解させて、「すいすいシート」に書かせるのが悩みの種です。
去年は、仕方ないのでNHK for schoolで「走れメロス」の動画を見せてそれについて書かせました。もちろん、学校で読書感想文を書き上げるので本も購入しました。
それはそれなりにうまくいきました。
むすこも「走れメロス」の内容を理解してくれて、まあまあな感想文を書いていました。
夏休みの読書感想文(すいすいシートも含めて)は任意でどう?
そろそろどうでしょうか?
夏の「読書感想文」は任意の宿題にするって言うのは?
どうしても「感想文」を書かせたければ、「映画」等の動画でも良いと思います。
それぞれの特性に合わせた教材で「読むことに自信のある人は本」、「自信の無い人は映画」、「その他不自由のある人は何でもできるもので良し」。
提出方法も決まったフォーマットに手書きしたい人はそれで良し、ワープロ打ちも良し、あるいは口頭でも良し、そんな自由なやり方がこれから考えていかないといけない時期じゃないんでしょうか?と。
みんな本の内容は違えど、一様のフォーマットに記入して提出するのは、何かこうシートを完成させる作業をすることに達成感を味あわせるものだけのような気がします。
ぼく(大人)の本の読み方
ぼくの本の読み方は、感想文を書くと言うよりは、知識や技術を得るためと娯楽のための読書になってしまいます。
こどもの読み方とはだいぶ変わります。
「最初から全部読もうと思っていない。」
「作者に同意しようとは思っていない。」
「飛ばし読みをする時もある。」
「必要なところだけ読む」
とそんな感じで、更にぼくが「つまらない」と思ったら、もう捨ててしまっています。
それぐらい自由に読んでいかないとつまらない本を最後まで読み続ける程、辛いものはないからです。
つまらないテレビは消してしまう。それぐらい自由に読んでいかないと、いつまでもその「つまらない」と思った本に囚われてしまい先に進むことができないからです。
読書感想文なんか書くことは未来永劫無い、全く参考にならない話ですみません。
まとめ
「読書感想文」と言う夏の風物詩のようなものはいつからあるのか知りませんが、ぼくの時代にもありました。
その時代も読書は奨励されていて、当時にもいたであろうディスレクシア児は誰にも理解されず相当、嫌な思いをしてきたと思います。
まだまだ世間の認知が低いディスレクシアですが、当時よりは知られてきた症状になってきました。
この「読書感想文むりやりすいすいシート」が任意または自由宿題になった時には、本当の認知が進んだ時であるとそう思うのであります。
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