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自分で稼げて、独り立ちできる子に支援していくために

計算ドリルの転記
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先日、小5ディスレクシアLDむすこが、珍しく風邪を引いた時のことです。

朝、「おとうちゃん、のどが痛いんだよね」と訴える。

風邪の症状を訴えるのは、生まれてから初めてだと思います。

10年以上付き合っていて記憶がありません。

鼻が出ても「大丈夫?風邪ひいた?」と聞いてもただの花粉症だったり。

インフルエンザが蔓延している時も、熱っぽいから医者に検査行っても「陰性」と言われて、当日の夜には全快する。

インフルエンザにも罹ったことはありません。そんな子です。

今回は、「薬でも飲む?」と聞いても「飲まない」と言いました。

朝起きて自分でうがいして、のどスプレーはやってきたと言うので、マヌカハニーとヴィックスドロップを与え、学校には絶対行くと言うので、ちょっと心配でしたが普通に学校に行かせました。

帰って来て「大丈夫?」と聞くと、「え?なに?」と言います。

あ、治ったのか、、、、、風邪の症状も忘れている。

もういいや。そんな子です。

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支援することは難しいのであります。

この時の風邪の件ですが、身に降りかかることは意外に自分でやる方です。

むすこは朝一の時点で既に、自分でのどスプレーを自分で使いそれなりの対処をしました。それに、学校には行きたいと言う意思表示をしてくれましたので、その通りにぼくは対処をしました。

むすこは、これから何かをしないといけないと言うなんらかの「意図を持ってくれた」のでぼくは支援をしてあげたまでです。

学校に行って、具合が悪くなったとしたらそれはその時です。

きっと学校では「全然大丈夫!」、「ちょっと悪くなったけど、このまま授業は大丈夫」、「保健室で少し休んで様子見て、大丈夫であれば放課後までいける」、「もう、だめだから家で寝てたい」そんなことを自分で何らかの「意図」を持って先生に訴え行動してくれることでしょう。

式を転記してあげる支援

支援ってなんだ?

「配慮」ってのは学校にお願いしている事で、、、

ぼくのやっているのはなんだ?

「支援か?そうか。。。。」 

「支援」と言うことばをむすこの辞書で調べてみると、

力を支えて助けること

三省堂例解小学国語辞典より

かなりざっくりしたひと言でよくわからん。かえって難しい。こういうところが小学生用ですね。

他の電子辞書等を見てみると、「何らかの活動を容易にするために支え助けること」と言う記述がありました。

これでもよくわからん。。。。

ぼくなりの解釈をしてみました、「支援」=「他人の意図に働きかけその意図の質を維持、改善させ、最終的にその他人に自信を与えたり、能力を与える」

そんな事なんでしょうか?合ってますかね?

つまり、1から10まで助けて、最後までやってあげるということではありません。

どこかの職場で「おれ、ここでなにやればいいんすか?」と言ってくる場合に、手取り足取り指導することとも違う。

それに、支援したい人の意図を理解せずに支援と言う事もあり得ない。

「支援」と言うのは結構難しいな。。。。。。

LDの子には、前にも記述した「配慮」とこの「支援」の二つのことを考慮して対応していかないかんのので本当に大変ですね。

LDの子って本当は、勉強のやり方が「普通」とは合わなくて、人とは違う能力に長けたところが多いはず。絶対。それで凸凹なんすよ。

それだけに「意図」ある行動や思想が普通より多いはずだとぼくは感じます。

それを無視して一斉教育するというのはその子にとっては酷なんでしょう。

逆に教える側に完ぺきな「配慮」と「支援」を要求するのは、教育現場の体制が不十分な分、酷なんだろうな。

先生方も悩むところでしょう。

その他人に自信を与えたり、能力を与える

この「支援」についての、ぼくなりの解釈ですが、もう少し嚙み砕くと、「意図ある行動や思想を尊重してそこを伸ばして、今ある、これから伸ばしたい能力に自信を付けてもらって、独立すること。」そんなことなんでしょう。

うちの場合、まだ小学生ですので「意図」と言うものが定まらずあっちこっちしていたり、それに加えてまだまだ親に甘えたいと思う気持ちがあります。

その「意図」が定まり、親の目から逃れ自分の責任でなんとかしていきたいと思ってくれた時は、「支援」から外れる時なんでしょう。ぼくとしてはそれはそれで寂しいものであるのかと思います。

ただ、LD坊主なのですぐに100%支援から外すことをするのはまだまだ先の話になるのでしょう。

その本人の「意図」が決まった時の、「支援」はすっかり半分大人になりかけているこどもとしてはとてもうざいものと感じると思います。その時は、「支援」しない振りをしながら「支援」をしていかないといけない、むずかしい舵取りをする必要があります。

とにかく、自分が何で独立したいのか?それには何が大切なのか?いまのうちはそれは自分自身でしっかり見定めてもらえれることが大事です。

それに対して、ぼくが不明な点をしっかり支援していく。そんなものが理想的であるのかと考えております。

どんな良い子と思っていても、ぼくは親の手のひらの上で転がって生きていくような子は逆に不安になります。

むすこの成長の為には、自分の出来ない事をしっかり今のうちに見定めてもらい、出来る事や好きな事を成就してもらいたいのです。

いまから将来、支援解除の着地点を頭の中でシミュレートしながら、今習っている漢字や計算問題の理解してもらおうとがんばるのであります。

一生親が支援しないといけないと言う事はあり得ないのだ。

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まとめ

むすこに対する「支援」と言う事が気になって思った事を記述してみました。

字が読むことが苦手と言っても、自主性を尊重してむすこが今後生きていくプロセスのお手伝いをしていくことが大切ですね。

そんな心配は無用であればそれに越したことはないのですけど。。。。

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