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学習障害の小5むすこのために、学校には何度かお話しと、保育園並みの連絡帳でのやり取りでできない時の「合理的配慮」をお願いしております。
具体的には、
- 長文、抽象的、情景を思い浮かべる昔話等の文章を読む事は困難。
- 文全体を見てしまい、ひとつひとつのことばや数字を見かけから判断してしまう。
- ことばの想起が遅れることがある。
- 語彙力の不足。
- その他上記における付帯事項等々。。。。
こんな事をお伝えして、先生の方には、具体的に物事を伝えて欲しい等面倒なことを色々、試行錯誤してもらっています。
そんな甲斐あって、今では分からなくても「ぼくなんかどうせ。。。」と言うことばを発することなく、分からないなりにやる気を見せてくれることが多くなりました。
自尊心と言うか、自己の肯定感が高まってきました。
学習障害がわかった3年生の終わり頃は、本当に勉強に対して自信を無くしていました。
そんな息子を見て、ぼくの方も「勉強なんか無理にやらせなければいいんだ」と考えていたこともあって、事実「わからなければやらなくていいよ」と伝え、先生の方も「無理であれば空欄でもいいよ」と優しい顔をしてご機嫌を取るように勉強を一緒にやっていました。
ところが最近、また変わってきた事があります。
本人は勉強を理解したい
やばいフラグ
確かに、今でも決めたことを「やれ!やれ!」と言うと壊れていきそうな感じがします。
例えば、学校から配られたタブレット学習(ドリルパーク)。
「毎日やろうね」と約束をしましたのですが、彼にもともだちとの約束や、体調もあります。
それに、大量の宿題が出たりします。もうこれだけでうんざりです。
そんな時に、「はい!最後にドリルパークやろう」なんて持ちかけると、死にそうな顔になります。
(げ、やばい)「やばいフラグ」が立ちます。その時はタブレットは中止します。
欲張らずに、宿題を完結させるようにがんばればそれでいいのであります。
ドリルパークをやらなくていい日は、、、
ひとつ肩の荷がおりて、少しリラックスして計算ドリルの宿題に取り組みます。
この計算ドリルの宿題は20問ぐらいあるので多いです。
ぼくも、多いと思います。
小5になる前のむすこなら、「3問だけでいいい?」と言うところです。
今でも、ぼくもこの量は気にかかるので「無理しないでいいからね」と伝えますが、
「いい、自分でやるよ」と覚えられない九九の表とにらめっこしながら、解いていきます。
最近では、できるだけ自分でやれるところはやれるようになってきました。
勉強したことを理解し覚えておきたい
勉強が好きと言う気持ちは、1ミリも無いと思います。
でも、ともだちがやっていることであればできるだけ自分で理解し、覚えておきたいと言う気持ちが最近ついてきたと感じます。
さっぱり、記憶から出てこないものは除いて、計算のプロセスを理解したものは自分の力でやっていきたいと思っているのでしょう。
まだまだ、記憶や理解にムラがあるので、ぼくがついていないと難しいのですが、そのムラの幅が小さくなってくれれば、社会に出ても十分通じるのではないかと願うのであります。
「やらなくていいよ」ばかりではダメ
本人は学習について、今ではあきらめの気持ちが抑えられ、みんなと同じように勉強を理解していきたいと言う気持ちがついてきているようです。
今まで通り、「無理だったら、やらなくていいよ」と言うと逆にやる気を阻害させ、自尊心を低下させる原因になるでしょう。
小学校・中学校の勉強について「こんなもん無くても生きていける」と言う方もいらっしゃいますが、ぼくはそうは思いません。
せっかくやる気の芽が出てきそうなむすこです。
「合理的配慮」はあくまで学習の補助の為の配慮であって、やる気の出てきた人間を「更に理解を深められるような配慮」であって欲しいものと考えます。
無理なものは無理ですが、過度に気を遣って「やらなくていいよ配慮」だけでなく、そこから「やれるようになる配慮」にこれから転換してむすこにぶつけていこうと思います。
まとめ
小5のむすこ。ちょっと自分からやる気が出てきたかもと言うことを記述しました。
ともだちのおかげでしょうか?それともいもうとに追いつかれないように??
まだ基礎が置いてけぼりなところがあります。
頑張る気持ちは十分わかりました。
焦って自滅しないように、注意していきたいと思います。
結局、親ができることなんてね。大したものでは無いのかもです。
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