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ぼくは、今年小5むすこ(ディスレクシア)が学校で習ってきた教材は全部残してありました。
最初は1年置きぐらいに処分すればいいやと思っていたのですが、
LDがわかった今、過去のむすこががんばってきたものを振り返るためにも残しておいてよかったです。
先日、過去の学校教材の整理をしました
先日、学年末のむすこの教材の整理をしていました。
1年生の頃のノートなんか、ついこの間と思っていたのに、懐かしい。。。。。
低学年の拙い字で書いてある、作文、日記、書き取りをついついみてしまいました。
1年生、2年生だから拙い字も仕方ないなと思っていた頃です。
そんなかわいい字に、担任の先生の容赦ない赤字直しや注意もありました。
当時は、先生に書いていただいた事を真に受け「まだ小さいけど、言っておかないといけないな」と思って間違っていることぐらいは、注意したこともしました。
(ぼくは字が下手くそなので上手に書けとか決して言えない)
でも、むすこは全く気にすることなく、2年生、3年生と進級していきました。
そうなんです。
先生の手書きで、赤字で辛辣な表現で注意を書かれても、読めない(読んでいない)のです。
だから気にせず、3年生の終わりまで文字知識をスルーしてきてしまったのです。
なんで?気付いてくれない?わかってくれない?
前に読んだ本で、海外では学校の先生から「ディスレクシアよ」と教えてもらえるケースがあって、初めて親の方も気づくということがあると読みました。
全て当時の担任のせいにするわけではないのですが、
学校の先生と言うのは、「あれ?この子、書字がおかしいな。読字がおかしいな。」と思われる子が一定数いるはずなのですが、なんで気付いて教えてくれないのでしょうか?
それとも、その「学習障害」というのを知らないのでしょうか?
いやいや、そんな訳はない。
「教育」のプロなのですから、勤務されているからには色々なケースはあるはずだし、様々な研修などで研鑽を積まれているはずです。
ぼくらなんかより、全然知識は豊富だろうし、一斉教育をする際に配慮していく方法等は聞いているはずです。
それが、赤ペンひとつで「きちんと書きましょう」とか、「毎日1ページ書きましょう」の一言で済まされていたと思うと、非常に情けがないなあと言う気持ちになりました。
なんで?いちいち親が言いにお願いしにいかないといけない。
うちの場合「学習障害」の判断をしてくれたのは、学校では無く外部機関です。
しかも、妻が気付いてくれて「wisc」検査(知能検査)を受けに行きました。
最初は全て、インターネット上の情報から引っ張り出して理解していきました。
インターネットが無ければ今頃どうしていたか?恐ろしいです。
「おかしい」と思っても、学習障害の、検査自体も学校ではやってくれません。
そこのところも理解できません。
検査をやってくれるところを探して、順番待ちをして、多額の費用を費やして検査を受け、
更に、改善のための個別指導だって、ボランティアにお願いしている訳ではありません。
遠方まで出かけないといけないケースもあるでしょう。
学習障害の場合は、学校の教室では大人しくしている子が多いので、授業を妨害することがないのでスルーされてしまいます。
日本では、5~8%もいると言われているディスレクシアです。
その子たちを見て見ぬふりをして、ぼくの方から言っていく親の子だけを配慮していくというのは全く公平感を欠くように思われてなりません。
「あ、この子、おかしい?」と思ってた時は、週に1度か、月に2回程度でも良いので通級指導教室か特別支援教室で見極めるための指導をして行く必要があると思うのはぼくだけでしょうか?
判断の遅れが境界知能をうむ?
むすこは、小3の1月に「wisc」検査を受けて、「境界知能」の診断をされました。
その検査を受ける少し前の事です。
ぼくから見ていても運動神経も記憶力も良い方ですし、ともだちも多く、はつらつとしている方ですので、人物的には何の問題もない、こう言うのも何なんですが、むしろ「こどもらしくて良い」タイプの子です。
但し、一般的な「知識」が欠けることがすごく気にはなっていました。
自分の好きなことに関することへの傾倒はかなりすごいのですが、興味の無い事には1mmも振り向かない子でした。
それは、当時「どうせ、ぼくはバカだから」を連発していた時期です、読めない訳ではない字を意味のあるものとして理解するのが難しいので、興味につながるもの以外は自分の中で排除(選別)していたのだと思います。
ここまでで、興味の無い1年生、2年生の学習を頭の中から取り出すこと、それと見向きもしなかった低学年で知って欲しい知識(お金の数え方とか)が欠落してしまっているのが今の見立てです。
勉強の仕方
その、「境界知能」を言い渡された時に、そんなむすこの勉強の仕方、させ方というのは、ぼくには全く分かりませんでした。
むすこの小学校は、特別支援学級と通級指導教室もありますが、
学校も学習障害で「境界知能」と言うだけでは、「特別」な支援はしないとのことでした。
通常の教室の中で、担任が気を付けていただいて配慮すると言うやり方でしかないようです。
こうなったら、家でやっていくしかありません。試行錯誤の始まりです。
とりあえず「勉強アレルギー」ですので、「勉強しろ」と言うことは言いません。
その時に、ぼく自身が、親から「覚えられなければ、100回でも200回でも書いて覚えろ!」とうるさく言われていたことを思い出しました。
しかしながら、ぼくはそのやり方に手ごたえを得たことは1度もありませんでした。
覚えられるものは1度聞けば覚えられたし、不得意なものは何度聞いても、何回書いても覚えられませんでした。
そのことを思い出して、本人の意志以外は何度も書かせることはやめました。
あと、担任や外部で通っている個別指導の先生から「経験から覚える」「情景がわかるとすぐ覚える」とご教示いただきましたので、動画やなるべく情景を思い浮かぶきっかけになるような事を言って、記憶の定着に努めることにしました。
読めないので、ぼくから本や教科書を読ませることもやめました。
教科書の読み聞かせや、音声付教科書、NHK for schoolで飽きない程度にやるようにしました。
計算問題をやっていくほどバカバカしいものはないので「電卓でやりな」と言ってしまいますが、まじめなむすこです。そうはいかないようでしたので、宿題で20問出たとしたら、2~3問だけやってもらって、残りはぼくが計算をしました。
こんな感じで、負担にならないように学校教材中心に学習を行い、なるべくリラックスできるような状況でさせるようにしました。
個別指導の先生から春休みに入る前に「3年生レベルをはじめようね」と言われたのですが、先週は「3年生レベルでもほとんどできるね」と言われるようになってきました。
むすこ自身ががんばってくれた結果です。
この1年で、やった分改善し、知識も語彙も増えてきたと言う手ごたえがあります。
但し、読字の弱さは変わりありません。
文字を意味のあるものに変換をするのが苦手なのは変わりありません。
語彙と言う「文字の塊」で覚える術がわかってきたので、もう少し変換作業が速くなっていくことでしょう。
最後に
むすこが1年生の時にともだちが持っていると言う理由で買って欲しいと言った「うんこ漢字ドリル」。
当時一世を風靡しました。
確か、冬休みの学童での勉強道具として持たせました。
一生懸命やったのですが、こんな感じの文字がオンパレードでした。
文字でなく、画を描くように書いているように見えました。
それでも障害の知識が無いぼくには「学習障害」と全く気づきませんでした。
「そのうち出来るようになるだろう」と
このドリルの最後の裏表紙にこんなことが書かれていました。
「うんこ きらい うんこ どりる」
よっぽど嫌だったんだなーと思います。
このドリルを自分から「買って」と言ったのも、勉強しようとすることを見せることで、親を安心させたかったのかもしれません。
おもしろいドリルですが、このドリルでもむすこの場合は漢字は覚えられませんでした。
まとめ
ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが、過去の教材を整理していて、担任の先生の赤ペン直しがむすこの立場になったコメントが全くなく、腹が立ちましたので記述してしまいました。
ここでは、その過去の赤ペン直しを公開することも止めにします。
1年生と2年生の時の先生は、ぼくと同じぐらいの年と、もう定年されてしまった方でした。世代が上だと「学習障害」と言われても全く分からない世代なのでしょうかね?
きちんと研究されていらっしゃる方は世代関係なく、当然理解はあると思うのですが、現場までその研究や提言が耳に届かなければ何の意味も無いですよね。
こども世代は人口比率から言って、マイノリティと聞いています。
時代もずいぶん変わっているでしょう。昔のままの思想で教育をしていくのはちょっと無理があると思います。
教育の為に配布している教科書の内容を全員に理解させたいと言う方針であるならば、こどもそれぞれの教え方があって然るべきだとぼくは考えます。
「教え、育てる」のが「教育」なんでしょう?
あー今度の担任にも、学習障害の配慮のお願いしにいかないと!!
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