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ディスレクシアむすこ、学習の「量」と「質」

ディスレクシア
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学習は「量より質」、「いや、質より量でしょ。量から質が生まれるでしょ」なんてことが交わされています。

「量はわかるが、質ってなんだ?」とぼくは考えてしまいます。

経済活動であれば、2,3年で結果が出てくることもあるでしょう。
しかしながら、学習の場合、こどもの成長に合わせますので、ながーい、ながーい年月をかかります。20歳前後でようやく修了しますので、先が見えない訳です。
ひょっとしたら、ぼくなんかはいい年齢ですので、見届けることもできないかもしれません。

更にこの長い年月の間、本人の感情の起伏、いろんな誘惑、取り巻く環境によっては、思わぬ方向に行く場合も考えられます。

取り敢えず現状維持で行ける家庭環境の場合の方で、「質」の良い学習が常に出来る方は一瞬にして全ての学習内容がマスターできると思います。それはそれは、さぞかし勉強に関しては素晴らしい成果を上げられる学生生活が送れるんだろうなとうらやましく思ったります。

振り返ってみると、ぼくの一族でも極々一部のいとこで日本産業界で一瞬要となった製品の研究開発をしていたような秀才もいましたが、ぼく自身は凡の凡人なので、良「質」の学習なんかできたことが無いと思います。

おっしゃる通り「量」をある程度こなして、やっと見えてきていました。

特に数学なんか。

でも、それは好きな数式等の探求できたからだったのであって、この間むすめがやっていた「時計は今何時?」なんてのをあんなに大量に出されると半分ぐらいで「ふざけるな!」と言う感情がひしひし沸いてくるのであったでしょう。

何なんだ?どうなってるんだ?このドリル。こんなの時間の無駄だと思うむすめの時計の宿題。
どうせならデジタル式も半分ぐらい出して欲しい。AMとかPMとかもあるでしょう。

こんな風に、わかりきった反復練習はあまり意味が無いと思います。これは「量」ではなく、不注意や間違いを意図的に誘う「嫌がられせ」の部類になるのかな?と思います。
ここで言う「量」とはこういうものではありません。

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ディスレクシアのうちのむすこはどうだ?

そもそも「量」をこなせない

うちのむすこ。
ぼくのむすこなんでディスレクシアの症状が無くても勉強したって凡人も凡人だと思います。
ある日突然、改善が進んで「量」をこなすことが可能であれば、平凡ぐらいのレベルにはいけるかもと想像しています。(あくまで想像です)

現状は、字を読むことが苦手でありますので、あらゆる問題をパッと手に付けることが難しいのであります。

例えば、「良ーいドン」でわり算のひっ算問題練習をみんなが20問こなす間、5問ぐらいで疲れ切ってしまう。そんなイメージです。

でも、彼にとってこの「5問」と言うのは精一杯がんばって、頭の中の文字変換データベースを駆使して計算した結果です。ですから、彼にとって十分に「量」をこなしたと言う事になります。

ディスレクシアとわからなかったら、3問の限界がわからない

上記の「5問」と言うのはあくまでディスレクシア症状がわかったからこの辺が限界だろうと言うのがわかったまでで、このまま症状に気付いていなければ、反復練習の鬼となって泣いても宿題ぐらいはやらせると言う苦行を彼に課していたに違いありません。

そのうち、その限界をおとうちゃん・おかあちゃんも分かってくれないから腐ってしまい、宿題なんかやっていかないで、先生に叱られ、それを聞いた親がまたこどもを叱り、逃げ場の無い状況に追いやってしまっていたのではないかと、非常にむごたらしい状態の夢を見てうなされたこともあります(マジです)。

そう考えると、ディスレクシアとわかって良くないけど、良かったとつくづく思うのであります。

このまま、中学生ぐらいになったらどうなっていたのだろう?と思うと涙が出ます。

むすこにとっての「質」の良い勉強とは?

「勉強しろ」と言わない

むすこが小学校に上がる前に自分に誓ったことがあります。

「勉強しろと言わない」ことです。

ぼくは、「勉強しろ」とかなり言われて育ちました。そんな時代です。

「こどもの仕事は勉強だ!」と仕事にされてしまったこともあります。

やらなくてはいけないことと分かっているので、「勉強しろ」と言われるのはあまり気分のいい言葉ではありません。

早くから無理やり自室を与えられ、机に向かっていれば満足しているような親でした。

それなのに、勉強を見てもらったことはありません。点数でしか判断してもらえませんでした。

そんな感じなので、勉強に関してはあまりいい思い出がありません。

ディスレクシアがわかった現在ぼくはむすこに対しては、「勉強しろ」とは言いませんが、いっしょにやるようにしています。

一度に「量」をこなすことが不可能なので限界を見る必要があることと、字を読んでやることで理解を深めるようにして上げることが、ぼくの任務だと思っています。

量をこなすことを否定していません。

むすこが「量」をこなすことが難しいと、ここまで書きますと勉強で「量」をこなすことを否定していると思われると思いますが、決してそうではありません。

むすこの場合は、読みに困難が多少あるので「一度に量」をこなすことは難しいからやめれと言いたいのです。

更に、時間を測って、漢字50問テストや計算100問ドリルテストをやるとかそんなことがあったとしたらむすこにとって死刑を宣告されるようなものですので、学校に対してコンプレインの対象とさせていただくこととなるでしょう。

もしあると直前に聞いたら、親として「1問も手につけるな!」と予め指令を出すことでしょう。
本人の意思で手を付けるのであればそれはそれで良いと思っています。

一度に量をこなすようなことを避ける代わりに、毎日1問か2問出来る問題と分からない問題をぼくと一緒にやるようにしています。

また、読字が苦手だと計算ドリルをノートへの転記もうまく行かない事が多いですので、ノートに転記をしてあげるとかで、なんとかかんとか日々の宿題を切り抜けています。

おとうちゃん、小数点わり算テスト少しできたよ

3学期の最初は「小数点があるわり算」がお手上げ状態でした。

読字障害のせいか、ゴチャゴチャな文字や線や点で、小数点の位置、桁の位置とかも全く定まらない状態でした。

むすこ以外のみんなも難しいらしく、先生も計算ドリルの他に、プリント問題(20問)も宿題で出してきます。

むすこにとって、こんな苦痛なことはない。

計算ドリル捨てて「答えを全部うつしていいぞ!」と命令し、プリント問題と格闘です。

20問も出来ないので、この中の5問ぐらいを厳選して一緒にやり、残りはぼくがやります。

これでも、むすこは発作寸前状態です。

そんなことを2,3週間続けていたある日。

「小数点わり算のテストあったよ。少しできた、」

全然できなかったのにすごいです。

「最後の文章問題もできたよ」

読字障害ですが、算数の文章問題程度の文字量であって1文字づつ読めて単語・熟語で知らないものが無ければ、最近調子よくできます。

全部は出来なかったみたいでむすこ的には残念そうでしたが、少し進化したようですので、むすこ的には満足のようです。

理解して、体に染みつく

今回の、「小数点わり算」を見てて、「理解が出来」「体に(作業)染みつく」ことが大事なのかな?と感じました。

それには、人によっては、ひたすら「量」をこなして理解が深まったりする人もいるでしょう。
うちのむすこみたいに、人の手助けと、コツコツ毎日少しだけでも「量」をこなす方が良い人もいる

人それぞれ、こなせる「量」の時間が違いますけど、それで理解できればそれがその人の「量」であり「質」である学習法なのかな?と思います。

それでも、まったく理解してもらえなければ。。。。。あとは、本人の意思に任せるところです。

無理にやらせる必要は感じていません。

まとめ

学習の「量」と「質」について、ディスレクシアのむすこで実践していることを記述いたしました。

毎日、毎日、課題が出てきて、書きたいこともどんどん頭から出てくるので、今回もまとまりの無い文章になって恐縮です。

障害についてはむすこ自身も何とかしたいと言う気持ちで一杯なのが、伝わってきます。

ぼくは、勉強は机に向かっている時だけではなく、遊んでいる時、ゲームしている時、サッカーしている時、妹と遊んでいる時、、、、、常に勉強だと思います。

そんな中から、学校で習ってきたことがうまくはまると理解が深まる子です。

「経験から学ぶ」。
むすこの場合、これに尽きますので「好きな事」と「ちょっぴり学習」をしながら成長させていきたいと思うのであります。

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