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反抗期:2 むすこの「不機嫌」が最高潮

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昨日も以前にもブログに記述していますが、むすこの「不機嫌」が最高潮です。

ずーっと記述しているような気がしますので、いつから不機嫌が始まっているのか?いつ終わるかわかりません。

2023.11.14記述

この齢の男の子特有の反抗期、思春期ではあります。

この現象はあたり前の事と思っていますので、ぼくも妻もついでにむすめもあんまり気にしていなくて、むすこ的にはひとりで色々と頭の中を巡っている事でしょう。

ぼくにもその感情というのは経験がありますが、昭和時代でしたのでどちらかと言うと外に出すことは親の鉄拳制裁が飛んでくるので生活の主要になる場になるはずの家ではつまらない事にならないようにグーっと抑えていました。

反抗期を自分で封じ込めるような事は、将来に渡って精神的にも肉体的にも、更には能力を発揮しないといけない場になっても負の作用が生じて来て能力を最大限に発揮することを躊躇してしまうこともありますので、絶対に避けた方が良いと自分の経験から考えるのであります。

従いまして、ぼくら家族の構成員はむすこがどんな不機嫌であろうと、それが原因で失敗をしようが、笑って「かわいいね」と言って肩透かしをさせて、家庭内が円滑・円満になるようにいくのであります。

だってね、彼の怒りを封じ込めても、何を求めているわけではないのでね。

人によっては、こどもに反抗されて親がこどもに「なめられてる」と考えている人がいることをSNS等で散見されるのですが、抑えつけることが虐待と感じ、逆に体が大きくなった時に将来なめられるよと言いたいのであります。

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反抗期、容認派家庭と否認派家庭

妻がむすこのサッカー仲間のおかあさんたちとお茶している時に、「絶対反抗期はやだ!」とおっしゃる方、「反抗期なんかあたりまえじゃん」とおっしゃる方どちらも居ておもしろいと言っていました。

「反抗期」容認派はうちとあまり考えが変わらないとして、「絶対やだ」派の方は事情がそれぞれ違う。

「絶対やだ」派の、あるご家庭は、父、母、兄(中3)、弟(むすこと同じ中1)の家族構成。

父と兄は身長190cm近くある巨漢。弟も学年1背が高くて170cmを超えているらしい。

この間すれちがったけど、ぼくなんかはもうすぐ追いつかれそうです。まだひょろだけど十分おとなの風体です。

お母さんは小さくはないけど、それほど大きくない方。

「それはね、家族男全員あんなに大きくて、かわいがってた弟もすでにその兆候があるから、襲われるわけじゃないけど、あんなでっかい男家族が何かしでかしたら何が起こるかわからないってところから思ってるんじゃない?」

「そうか、反抗期そのものよりも、そっちか!!」

そして、妻が大きい男がいるのは仕方ないけど、でかい図体の人をみかけると、女としてある意味恐怖を感じることがあるのは正直なところと切々と熱く語っていました。(長いから、あんまり聞いてなかったけど。)

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反抗期だって捨てたものではありません。

さて、そんな「不機嫌」最高潮のむすこですが、色々言われるのも嫌なので自分で出来る事はやっていて「えらいね~」とこれまた余計な事を言ってしまいます。

例えば、国語の反復練習宿題のような、むすこ的には身にならなくて機械的にできるもの。

こんなものは自分で進めてくれています。

その他の、読解や紙面を見て思考するような問題は(数学や英語の読解等)、「知覚推理」の処理速度の苦手さがあるので、補助があると理解が進みますので、一緒にやるようにしていますが、その他自分で処理できるものは自分でやっているようです。

これまでは、1から10までチェックして一緒にやるようにしましたが、この「不機嫌」状態を悪化させないようにできるところは自分でやると言う、成長を感じます。

そう考えると、反抗期・思春期は学習に関してにおいても成長のひとつにつながるように感じます。

将来の仕事の処理能力にもつながりますしね。

つまんない仕事は先にやっておくとかね。

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「不機嫌」を容認する。

知識を詰め込んで学力を高めるというのも大事かもしれません。

こんな事を言うのはなんですが、小中学校の学校での勉強はレベル的には大したものではないと思っています。

勉強に問題の無い子はテスト対策の精度をあげるような、どちらかと言うと試験で1点2点を争うために、記号と記述を間違えないようなしないとのようなそんな訓練をしているようなものです。

(だから、模擬試験とかそんな商売が成り立つ。)

逆に、勉強に苦労している子は、勉強が出来ないなら何をしようか?とか自分を見つめて、得意なものを探し出してがんばっている。

それでいいのではないかな?と思う今日この頃です。

出来る子も苦手な子も今のうち、将来への幹をつくれば、自分の考えがブレることなく社会でやっていける、そう願います。

そのために、13歳の「不機嫌」で自分を見つめて、且つ家族は容認して暮らして行くことが大事ではないかなと感じます。

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