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最近、中1むすこが気になる事を言います。
「最近、数学が見えるようになってきた。」
「最近、おれ記憶力が良くなった気がする。」等々
いえいえ、決して学校の成績と直結しているわけではないです。
テストの点数とかね。
「結果が全て」と厳しい価値観の方には、「数字が上がらないとだめだろ」と言われてしまいそうです。
そのペーパーでの数字と言うのは確かに学力の確認や評価的には大事なんだけど。
ぼく的には、「だからなに?」って言いたくなってしまいます。
だって、本人が紙に書かれている文字が苦手なんだもん。
それを無理やり、どこぞの塾に行ってとか、反復練習をして訓練をして表面的な数字をあげて何になる?と言う派です。
実際、ぼくだって苦手な教科を一夜漬けでやって表面的に点数あげても、今となってはその分野については何にもなってないんだもんね。
逆にその該当の教科嫌いに対して、嫌いに輪をかけてしまい今でも見る気にもなれません。
昭和40年代、50年代の勉強地獄、受験地獄のなれの果てです。
時代が時代だったので、なんとか受験は乗り切ってここまで生きてこれましたが、それよりか自分に自信のあるもの、興味のあるもので生きてもらいたいというのがぼくの考えです。
ですので、一生懸命自分を行きたい方向に導いているむすこに対してはとにかく「自分の信じた道」に進んでもらえるようにしてもらいたいそんな風に思うのです。
日常不自由する事や、進みたい道に障害があった場合にその手助けをする。
だけど、あまりに点数が悪いものがあると、本人の自信にも響くのでそこは注意するべきでしょう。
そんな風にやってきたつもりです。
最近、数学が見えるようになってきたこととは?
数学が見えるようになったと言うのを見ているとこんなことだと思います。
むすこは、数学が急に苦手になっちゃいました。
与えられたものを素直に淡々とできる方ではありません。
何の計算をしているかわからない抽象的な計算問題はもちろんですが、それに輪をかけたのが文章題です。
文章題も抽象的と言うのはありますが、納得いかない答えを求める日本語の問い方に問題があるようです。
例えば、人数を求めろの答えを「1.8人」と答えがおかしいと思ってやり直していたり、記号で答えろ(答えは、ア、イ、ウ、エのどれか)と書いてるものにx,yがあったりするとどの記号なんだろう?と混乱する。
だったら、「ア~エの記号から答えなさい」と問題にあればちょっと違うと思います。
そんな、常識的な考え方や見え方等、基本的なことに挑み悩みながらやってきました。
ところが、比例、反比例の関数に入ったあたりから「見える」と言ってきました。
「な、な、なんだ~??」
どうやら見ていると、数直線、グラフ、座標等の図で自分の立ち位置と言うか視点が定まると、わかりやすようになってきたようです。
これらには、方程式も関わりがあるので、方程式の方も自分で解けることが多くなってきました。
まだまだ、一歩進んだだけですので、次のテスト結果に結びつくわけではないと思っていますが、本人的には着実に何かを感じ取ってきたみたいです。
この関数座標の見方は、他の事に役に立ってきたみたいです。
それは、見るのも嫌で苦手だった地図を見る事です。
Google Mapのナビだと自分の位置が出て来るので「わかりやすい」ようです。
自分は、座標点の(0,0)の位置に居てあのグラウンドは北のあの辺、西の方に行くとあのグラウンドがある。。。。
そんな感覚が掴めてきていればラッキーです。
そう言えば、この間一緒に風呂に入った時にこう聞かれました。
「おとうちゃん、日本で一番西の島はどーこだ?」
「一番東の島はどーこだ?」
そんな事を例の地図を見ながら聞かれました。
数学が先か?社会が先か?それとも日常の自転車でのサッカー通いが先か?わかりませんが、自分の立ち位置決めに数学が役に立ったのは間違いないでしょう。
絶対他のものにもつながる。がんばれ!
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