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今まで教わった事を使えるものにするために。

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「もう九九は大丈夫。」

「もう筆算のたし算ひき算は大丈夫。」

「もう、かけ算のひっ算は大丈夫。」

「もう、わり算は大丈夫。」

「少数点の計算は、落ち着いてやれば大丈夫。」

「分数の計算もよく見えれば大丈夫。」

以上、小学生までの算数の課題が、その時々の心の状態によって変わる結果を心配しながらも、「大丈夫」と言う、根拠の無い励ましと共に進んできました。

小学校から与えられたドリルやテストプリント問題をぼくが見た際には、

「こんなにたくさん出して何の意味があるんだい?逆にこれが得意な子は耐えられる特性があるんじゃないかい?」とぼくが逆切れ気味になったりすることもありました。

ぼくだって、1枚に20問、30問と計算問題があると見ただけでやる気が失せるよなぁ。。。。

さてさて「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせてきた割には数学が「不得意」なのは変わらないむすこ。

中学生になって初めての、この夏休みはどうだったかな??

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自分の事と考えて欲しいんだよね・・・

昨日、数学のお勉強は同じく「不得意」な大変だけど妻がやることになりました。

ぼくは、問題を出して分からない事に答えるだけ。

でも、今のところ分からないところを聞かれたことは無いのであります。

そして、色々とむすこの分析を妻としました。

数学の問題をやる際に懸念されることを挙げてみます。

「中学数学になっても、不得意な理由」

  1. これまで習った手法を横断的に使わないといけないので、それが頭から出てこない。
  2. 俯瞰してみてしまう癖が邪魔をする。個別の事で処理しないといけないのに、大局的に処理したがる特性がある。
  3. 俯瞰して見てしまう癖=数字や線がたくさんある計算は見る事が苦手。むしろ見たくない。
  4. 大局的に処理をすると、焦る。従って個別の手法を正確に計算方法にあてはめる前に適当に頭に思い浮かんだことで処理してしまう。

簡単に言うと、「これまで覚えた事をどれに使えば良いかわからない」「大局的に処理をしようとする。」「焦る」「慌てる」。。。。

そんな特性と言うか特質が計算能力・応用力に大きく影響しているということと分析します。

小学校時代から全然変わらないですね。

そんなに急に変わるわけは無いんですけどね。

まずは、「自分の事」と意識してもらうことが大事なのかな?と最近は感じるところです。

だって、教えたって教えたってどこかしら他人事と思っている感があって「こんにゃろ」と思う事があります。

もっと、自分で解決しないといけない意識を持ってもらうと、何をしないといけないのか見えて来るとそう感じるのであります。

ただ、ひとつ言える「エライ」と思うところがあります。

  1. 小学生の頃に「大丈夫」と言ったところは、個別では分かっている。それは「不得意」ながらエライ。

それなりに、自分で対処しようとするところが見られてすごいなと思わせる場面がありました。

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むすこの思考を整理するために

ぼくは、どちらかと言うとむすこが計算のやり方に窮してしまうと、先回りして「こうやったら簡単だべ!」とついつい口を出して、やってしまう方です。

算数が得意な数学の先生が言い出しそうなセリフです。

やはりそれではいけないようです。

数学嫌いの妻が教える場合は、じっくり遠回りでも良いので小学校で習ったことをなぞって順番に処理していくのをじーっと見ていてくれています。

妻も忘れているので、自分も確認しながら、昔の事を思い出しながら、一緒に解いている感じだからそれができるのだと思います。

それで良いのかもしれません。

「100点を取って来い」と言う訳ではないのでそれで良いと思います。

ゆっくりでも今までのやりかたに沿って、自分の思考を整理しながら、重ねて正解が導き出せれば。

そこに(全部やらなきゃと言う)「焦り」がなければ、100点とは言わなくても50点以上は行けるのではないかと考えています。

今は、基礎を固めるのが得策。

急浮上は無理でも、じっくりと浮上していけばいいんじゃないかな?と思いました。

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一歩一歩が大事

そんなむすこのやり方、頭を整理しながらのやり方で感心したものがありました。

$4-\frac{5}{6}×(-12)$

=$\frac{4}{1}-\frac{5}{6}×(-\frac{12}{1})$

=$\frac{4}{1}-(-\frac{10}{1})$ ・・・・・

こんな風に、正数と分数が混じった計算をする時はまだ頭が整理出来ていないので、いっそ全部分数にしてから複雑なようで頭の中をシンプルにできる自分なりのやり方をしていました。

ぼくが学生当時の先生なら「そんなめんどくさいことするな!!、いいか!こうやるんだ!」と、なぜか怒られたことがあります。

なんでそうなるのか?指導ではなく、もう自分は何年も使いなれている公式を駆使して、手法を強制するのです。

分からないところ、つまづくところ、どうしても理解できないところは生徒それぞれです。

それで、納得が行って後で、家に帰ってから自分で確認が出来る子ならそれで良いのです。

出来る子にとってその振り返り勉強が後々への大きな力になる事は間違いないでしょう。

でも、むすこのように学習に苦労して困っている場合は、一歩一歩確認しながら見てそれを確認する必要があるとぼくは思います。

こんな簡単だけど複雑な問題、社会に出て必要な時があるのか?と思っちゃいます。

確かに職種によっては要らないかもしれない。

でも、過去に小学生時に教わった事や過去の事を思い出す振り返り勉強は大事な事では無いのかな?

そんな事を思いながらむすこのやっていることを眺めているのでした。

うまく説明ができなくてすみません。

分かる方には分かって欲しい。

画一的な手法を押し付けて、焦って答えや結果を求めてはいけないと思う。

中学生になっても一緒だと再確認しました。

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