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先日、小中学校時代のともだち(うち何人かは中受して私立中に行きました。)が何人か会ってくれてぼくの脳梗塞「快気祝い」の会を開いてくれました。
病気のぼくを飲み会に連れ出すなんて変な話ですが、出来るだけ夜の都心には出たくなかったのですが、ぼくを肴に飲んで楽しんでくれるなら、それもアリかなと思って新宿まで出向きました。
みんなもういい歳なので、社会的に地位のある人ばかりです。
ここで挙げる訳には行きませんが、大企業の重役だったり、「テレビで見たことある!」と言う文化人ぶったタレントまがいの事をしている人もいます。
そんな、いい歳こいたおじさんおばさんですが、こどもがいる人はもう(うちはまだまだ義務教育ですが)こどもは独立している人ばかりです。
このご時世ですのでそれなりに「大学はでたけどなぁ~」と自分と価値観の違う道を歩もうとしているこどもに対して戸惑いはあったりするようで、子育ての悩みは深いなと思うところです。
そんな中にみんなは、ぼくの病気の状況に興味津々です。
聞いてくる事は、やはり病気の話や、リハビリの話です。
地道なリハビリをコツコツやってるとの話をすると、みんな口を揃えて
「昔から、まじめだったもんな~」と言ってくれます。
「そうかな~??努力は嫌いなんだけどな~」
「いやいや、努力家だったよ~」
あ、みんなぼくに対する印象ってそんなイメージなの?
実は、自分としては努力をすると言う事は苦手だったし、体裁をよくするために努力家のようにしていた気はしますが、適当に手は抜いてたしぃ。。。。
義務教育時代では、計算ドリルを渡されても、やり過ぎると集中力が下がって最後の方の精度が悪くなるので全部やらないといけないドリルも7割、8割ぐらいで止めていたし、覚えている漢字なんか絶対反復練習すると夢に出てきそうなのでしませんでした。
うちの父親は「書いて覚える”教”」でぼくに大量のノートをわざわざ買ってきてそれを渡すぐらいの筋金入りの信者ですごく迷惑。自主性もくそもありません。
「うん」とうなずかないと叩かれるので、心の中ではそんな宗教なんか絶対入信しないと誓っていました。
とにかく反復練習は辛かったです。少し漢字が複雑化してきた小学2年生でやめる事にしました。
辛い事を我慢して毎日学校に計画通り与えられた勉強方法と言う事はおかしいとその頃から思っていたのが正直なところです。
そんな苦手なことをこなすのが「努力」というのはちょっと意味が違う。とずーっと感じていました。
むすこ、むすめに反復練習が無理ならやめさせているのは自分がそうだからかもしれませんね。
反復練習=努力??
逆に、そんな「努力」をコツコツやるのが得意と言う人個人差であるのも事実です。
一部の人々は単純な反復作業に対して集中力や忍耐力を持っている場合も見て取れたこともあります。
ぼくがやっぱり反復作業や練習をコツコツやるのはやっぱだめだと思ったのは社会人になって2回あります。
ひとつは会社に新入社員時に工場研修をした時。
精密機器を生産しているラインがありますが当時は人の手を介するものが多く、たくさんの人が働いていて電子機器の基盤の処理をしています。
事業場周辺の町名に会社の地名が付いていた地域でした。それだけ地域に貢献していた工場だったのでしょう。
ぼくには出来ませんでした。しかも、ぼくが入った時だけどうしても歩留まりが悪くなったそうです。すみません。。。会社的には損失です。
しかし、同じ新入社員の他の子でうまくできていた子もいました。しかもぼくは気分も悪くなってくるし。。。。
今でもあのライン研修のことを思い出すとイライラします。
それと、会社から取れと言われた国家資格試験の事。あれは試験で論じるためには初めて見る知識・用語等を入れるだけ入れないとだめ。
知識を覚えるための反復練習は欠かせません。無理なので欠かせないと思いながら適当にやりましたが、こんなの苦手も良いところだから1発合格しないとと思って、がんばってなんとか物になっていますが、あれを何回も受験しろと言われたら、今でも考えると気が狂いそうになります。
ぼくにとっては、「反復練習」=「我慢」なもの何物でもありません。それで世間的にはそれをこなせて初めて「努力」が実った、ということなのでしょう。
あれから20年、30年たっても「反復練習」=「我慢」=「努力」の構図は変わらないように思います。
普遍的なんですね。「努力」の日本人の構造って。
今でもそんな職業や仕事の仕方ってたくさん残っていて、やれる人は良いけど、全員に同じようにやらせることに無駄となって露呈してきているように思います。
学校に入学するための受験や、資格試験制度なんかはそんなものを前提に作られているのでしょう。
でも間違ってはいけないのは、その構図通りの「努力」もしてなさそうなのに合格してる人が居るよ!ってのは間違いで、やり方を自分なりもしくは親御さんが「工夫」しているってだけなんだとそう思います。
「工夫」だって立派な「努力」なんだと思います。
技術習得には反復練習は欠かせないかも
また、繰り返し行われる作業には習熟度を高めるメリットもあるものもあると考えています。
例えば、楽器の練習やスポーツの技術習得などは反復による訓練が必須です。
ぼくも過去下手の横好きでギターを借りて練習したことがあります。
こればかりは反復が必要でした、やればやるほど弾けるようになるのを実感したことがあります。
あと、うちのむすこのサッカーもそうですね。
何度も何度もリフティングやフリーキックの練習を両方の足でそれぞれやっているんです。
それであれだけ足さばきができるとなると、技術習得の反復練習はこの手の分野には欠かせないものだと考えています。
うちのこどもらは「反復練習」は苦手
小中学生の場合、注意力の持続性や集中力がまだまだ発達途中であることが見てて思います。
特にうちの特性ありありのこどもたちは、興味を持てない教材や単調な練習に対しては飽きやすい傾向があります。
異なる学習スタイルや能力があるので、反復学習が得意ではありません。
それにもかかわらず、反復学習は重要な学習方法であり、知識やスキルを深めるために必要な場面もあります。
かなり苦手な事はわかっていますので、ぼくたちは工夫を凝らして興味を引くような学習方法を提供するように様子を見ているところです(オリジナル漢字練習方法等・・・)。
あ、それとむすこが「筆ペン」を愛用して筆入れに入れているのは、一筆一筆変化があって新鮮に感じるからかもしれません。
また、ディスレクシアむすこが長文が無理なので、読書感想文の題材は本の代わりに動画を見せる等、、、もう中学生で改善が進んでいるようなので本に切り替えて、今回夏休みの宿題で読書感想文が出たら、幼児用の「絵本」でも良いかなとも考えています(むすこが良いと言えばの話ですが。)。
まとめ
「反復練習」=「努力」と見られてしまっている、苦手イメージについて記述してみました。
どこで聞いた話か忘れてしまったのですが、こんなような事を聞いたことがあります。
「人間の脳は新鮮な情報や刺激を求めるように進化していて。
そのため、単純な反復作業は興味深さや意義を欠き、人々が退屈や疲れを感じることが多いです。
また、長時間の反復作業はモチベーションの低下や注意力の散漫化を引き起こす可能性がある。」
総じて言えることは、人間は新鮮さや挑戦を求める存在であり、単純な反復行動に対してはそもそも苦手意識を持つ傾向があるということなんでしょうね。
こどもだって反復学習が苦手であること自体は一般的であって、特に未だ未成熟なためにその程度の度合いがそれぞれ違うのもあって、それぞれこどもの特性や状況に合わせてサポートすることが重要なのかなと思うところです。
そう言えば、自動車の自動運転開発のエンジニアが「人間は単純作業が苦手だからこの技術は必要」って言ってたっけ。
オートマチックトランスミッションの車で単調で真っすぐな長距離道路は眠くなるとか意識が遠のくとか聞くことがあります。とすると人間の手でこの条件で運転するってのがそもそも狂気なのかもしれませんね。
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