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twitterでは何度も投稿させていただいていますが、学校の行事でWBC(ワールドベースボールクラッシック)を観戦に行ってきました。
試合観戦のみで、3月9日のオーストラリア対韓国の試合です。
東京都教育庁の「子供を笑顔にするプロジェクト」と言う企画で、むすこたちの学校も応募多数の中から抽選でえらばれたんだということらしいです。
スポーツは大抵好きなんですけど野球は馴染み無しなんです。
むすこの場合、おかげさまでスポーツだけは好きで、短距離走でも、長距離走でも、バスケットボールでも、卓球でも、水泳でも喜んでやる方です。
でも、残念ながらなぜか野球だけはあまり馴染みがありません。
別に嫌いな訳ではありません。野球やってる同級生とも仲良しです。
きちんとやったことも見学する機会もありません。この東京ドームでのWBCが初野球観戦です。
おとなと価値観が全く違う。
一度、サッカーチームの「お楽しみ会」的なもので「キックベース」をやりましたが、むすこはショートストップの守りの位置でおしゃべりをしているし、なかなかボールが飛んでこないし、走り回れないので「つまらない、つまらない、試合したい、試合したい」と連発してるし。
攻めでも、ピッチャーからのボールを蹴って、適当なところに走って大笑いです。
しかも、蹴ってどこかのベースに到達すれば点数が入ると勘違いをしているし、、、、
野球の基本的なルールや動きを全く知らないのです。
まずは基本ルールの説明をする必要がありましたね。
おとなの方も、キックベースぐらいだったら危なく無いし良いだろうと思って提案したのでしょうが、これまで日本人の常識と思われていた野球を現代の小学生はルールすら知らないのです。
かつて、ぼくの小学生時代では野球中継が、ほとんど毎日テレビ中継されていました。
会社から帰って来たお父さんがビールを飲みながら野球中継をお茶の間で見ていて、それを一緒にこどもも見ると言う家庭の風景は、ステレオタイプ的なものとして我々の心に染みついているものですが、それはほぼ絶滅した固定観念になってしまってしまっています。
それにより、こどもが野球の流れやルールを覚える機会は失っていき、その代わり情報機器やメディアが限りなくパーソナライズされてしまって、逆にそれぞれに合った趣味趣向を選択できるようになったのかな?と思うのであります。
そもそも野球に限らず興味がなければ入り込む余地なんてあるわけではありません。
他の例としては「ラジオ体操」。
サッカーチームのイベントで準備体操として「ラジオ体操」のプログラムがありました。
「6年生だから、下級生にお手本を見せろ!」と監督に言われても、誰一人として6年生で最初から最後まで出来る子はいなくグダグダでした(1人ぐらいいたかな??)。
「ラジオ体操」だって強制ではありませんので、別に出来なくても構わないと思うのですが「当然できるだろう」とおとなは思っていたことが、大きな勘違いの元になっていることがあります。
これまでの「常識」と思っていた事が通用しない事があるようです。プログラムを組むある程度の根回しが必要な事を覚えました。
やらせるなら「おとなが手本を見せろよ!」ですよね。
それより「ラジオ体操なんかじゃ準備体操にならない!これから、走ったり、サッカーするんだから、それぞれ足首伸ばしたりストレッチとか、自分で調整した方がいい!!」とむすこが言っていたことにはさすがだなと思ってしまいました。
そうか「ラジオ体操」はこれから激しい運動する人用のものではないのだな。確かにな。
そんな老若男女問わずの「ラジオ体操」で息が切れているおとなが居て吹いてしまうのであります。
まとめ
学校行事でWBC観戦に行ったむすこたちの事を記述しました。
むすこたちのWBC観戦の感想だけを聞いても、この30年程で社会で当然染みついていると思っている価値観が大きく変わっているなと言う事を感じざるを得ないのであります。
みんなが同じ方向を向いてと言うのはある意味大事でしょうが、全ての人が同じ趣向で同じ方向を見ると言うのはもうありえないことだと感じます。
全ての人が違った価値観で、どう社会を作って行くか?
今までの価値観にどっぷり漬かってきてそれがよかれと押し付けることは、社会の構成員にストレスを与えるだけのような気がします。
やっぱりね、一体感を持たせるには、押し付け強制より、いい意味での仲良し仲間意識なんだよね。
仲間意識を持った集団であれば、野球やるにしてもきっと何とかするはずだし、強いチームになる。
新入社員がイヤイヤ参加するGWあたりに開催される企業内のソフトボール大会なんかは、しばらくすると破綻していくんだろうね。
と、そんな事をこの映画を見て思ったのでした。
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