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漢字テストの調子が最近良い、小5ディスレクシアむすこ。
親としては、そりゃ点数が高いと「よくやったね~」とほめるきっかけにもなりますし、
本人だって、得意気になったりします。
そして、次のテストで90点以上だったら「ジョナサンに連れていけ」と要求されています。
まぁファミレスぐらいだったら、そんな条件なくても連れていきますが、彼にとって特別な気持ちも出てきて普通に食事に行く時よりも良い気分になるのでしょう。
何食べるの?と聞くと
「ピザ!」
え?ステーキとかハンバーグじゃないんだ。
これも、小学校前と変わらない彼が注文する定番です。
それでいいんだ。
横で小2むすめが「わたしも~」と言うと
「おまえはいつも100点だから、100点じゃないとだめだ」と厳しい。
どっちにしても、むすこが90点取ったら家族4人で行きましょう。
約束ね。
漢字テスト
しつこいですが、なぜか最近小5むすこの漢字テスト(書き取り)の調子が良いです。
5年生になって最初のテストは「20点」。
「あ~、また一からやり直しじゃ。」と思っていたのですが、なんとか持ち直しました。
実は、ぼくはむすこが漢字書き取りテストの点数が良くても別にどうでも良いと思っていて、逆に点数が良いと「どうした?大丈夫か?」と彼に負荷がかかりすぎていないか不安になります。
漢字の書き取りテストは、むすこにとっては模写にすぎません。
小5になって抽象的で文字の部品に説明がつかないものが多くなってきた今は特にそうです。
いかに、頭の中に文字や部品が覚えていられるかということだけです。
テストがあるまでは緊張感を持って覚えていられますが、その後は頭の奥底にしまい込んで忘れてしまいます。
しかしながら、テストまでの限定とは言え、その模写が1週間ぐらい覚えていられるようになったのが出来てきたのは、成長なのかな?と思います。
学生時代では、漢字、文字を実用的に使う事が少ないので、記憶から消えてしまうのも早いですが、その模写の仕方がむすこが自分で決めた職業または自分の能力を発揮できる職業につながっていけばと思います。
漢字、文字を記憶することを将来就労時のスキルを覚えることに応用できればと思います。
今は、ぼくは覚え方の支援をする、むすこが自分に合った方法をみつける。
そんなやり方でいけば良いなと思います。
非言語的認識
できれば、むすこがディスレクシアだと言う事が小学校上がる前に分かってあげていればと悔やむところですが、今更仕方がありません。
保育園時代は、字を読まなくても画が目印になっていることもあります。
例えば「ほら、このトラックのシールが貼ってあるのが〇〇くんの持ち物だよ」と言えばわかるようにしていたと思います。
他の子も漏れなくそのような支援がされていて、そんな「非言語的認識」世界にどっぷり漬かっていた保育園時代。むすこはそれが当たり前だと思って過ごしてきたと思います。
ところが、小学校の入学式の時に黒板に書いてあった「ごにゅうがくおめでとう」と言う文字。配られた教科書、ノート。壁にはってある教室のきまり、お知らせプリント。。。。。。
それを見てむすこはどう思ったでしょうか?
「ごにゅうがくおめでとう」という黒板の文字は文字として認識しないで、ただの落書き?画?
先月まで、文字に触れなくても過ごせてきた生活から、小学校入学初っ端から黒板の文字を見せられて必要以上に複雑なものを感じたと思います。
(だれか、あれ読んでくれないかな?)と思っていたんじゃないかな?
たぶん抽象的なことはあまり当時の思考として考えられないと思いますので、「ごにゅうがくおめでとう」と言う文字を具体的に別のものを想像してしまっていたと想像します。
この時のことを、この時に、あの文字をみて何に見えたか?むすこに聞いて見たかったです。
これが、あの時にディスレクシアと分かっていなくて悔やむ理由の一つであります。
「ごにゅうがくおめでとう」からはじまったむすこの苦労
われわれ、普通にことばが読めて書ける人間は、この場面でのこの字はこう読む、こう書くと言うルールを知っていて、それ程苦労もなく瞬時に分別ができます。
むすこは、書き方、読み方がひとつと言うルールがあっても、たくさんの文字の書き方・読み方を選ぶことに苦労しているように見受けられます。
それが、文字なんだろうけど複雑で何が何だかわからなかった小学校入学式当日の教室の黒板に書いてあった「ごにゅうがくおめでとう」と言う文字から始まったと思うのです。
例えば、昨日教科書音読の手伝いをして迷っていた熟語「引用(いんよう)」小学生には難しい漢字ですが、中々読めなくて違う読み方をいくつかしていました。
「ひくよう? ひきよう? いんよう?」(自信なさげに。。。)
そうやって、自分の頭のDBから知っている漢字から当てはまるものを片っ端から引き出してきて読もうとしていました。
こんなことを、おぼえきれていない漢字全部でやっています。
これが、読書で疲れてしまうと言われていることの一つだと思います。
そりゃ、出てくる漢字をいちいち、頭の記憶をひっくり返していたら疲れちまうにきまっています。
そんなことぼくにはできん。
もっと楽したいですな。
自信がない
先ほどの「引用」と言う文字を読むときも、どこかしら自信なく読もうとします。
誰だって失敗したくないからそんな態度になってしまうと思います。
または、わからない自分に腹を立てたりすることもあります。
でも、知らなかったり、忘れているから仕方がありません。
その態度を事情の知らない親や先生は「何でわからないんだ!練習が足りんのだ」と怒りを含んだ感情で反応してしまうことがあると思います。
口に出さなくても、態度で示してしまうと、怒りを言ってしまうのと同じです。
どんどんディスレクシアが進んではまる危険性があると思います。
親以上にストレスがたまっているのはディスレクシア本人の方だと思います。
もう小5になっていますが、むすこの気持ちになって対応していくのが、親として一番の支援だと思うのであります。
まとめ
漢字テストの話しから、むすこのディスレクシア分析を記述してみました。
文字が読めない、書けない、と自覚をしてしまう、小学校。
学校に行ってなければ、ディスレクシアと言う事は自覚も無く10歳になっていたでしょう。
学校が12歳からであれば、中学校で気付いたでしょう。
また本人も、「読めなくても、書けなくても良いもん」と思っていればディスレクシアにならない。
でも、そんな訳には行きません。
これから一人で、電車に乗るんだって、外でごはんを食べる時も、買い物する時も、仕事をする時も、最低限の文字を理解する必要はあります。
自分で全て解決するわけにはいかない。
だから学校にも行くし、自分で選んだ、ともだちとも遊ぶし、スポーツもするのです。
これから社会性をもって暮らしていけるように、見守っていこうと思います。
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