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知りませんでした、
小5の算数って、体積の次が「小数点」の「かけ算」と「わり算」だったのですね。
てっきり「小数点」の計算も4年生の時にやっていたと勘違いしておりました。
かけ算の方は、「桁を書くところ」と「九九」の間違いがなければやり方は覚えることができているようです。
問題は、「わり算」です。
なかなか、みんな苦戦をしているのか?計算ドリルだけでは足りず、
小数点の「わり算」のプリントを毎日のように宿題に出されています。
20問もあるので、半分ぐらいはぼくがやり方の見本を見せています。
それで、流れを覚えてもらおうと思うのですが、齢50過ぎてわり算の筆算をやるなんて思いもよりませんでした。しかも毎日10問も。
1万円以上する仕事用電卓が手元にあるにも関わらずです。。。。。。。。
計算プリント攻略
計算プリントなんてめんどくさがり屋で全体を見てしまい過ぎて、やる前からパニックになるむすこ。
筆算なんか見るだけで嫌がってるのがわかります。気持ちはわかります。絶望しますよね。
まず、宿題のプリントを広げ取り組み始めるむすこの気持ちです。
サッカーグラウンドのように広いところを俯瞰するのが得意な事が裏目に出ます。
ここで、計算プリント(20問)の宿題をサッカーの試合をしているサッカーチームに見立てましょう。
個々のひっ算の計算問題は選手です。監督はむすこです。
監督は、グラウンドの中にいるチーム(プリント)の、選手(ひっ算問題)の動きは個々の能力に任せっきりです、細かいところを見るにはまだまだ指導者として経験不足。
更に、選手(ひっ算問題)の能力(レベル)や気持ち(解き方)の理解は不完全です。
これでは試合中はうまく行くわけがありませんので「なにやってんだ!」と大声をあげて嘆いているだけ。
これでは、スパルタブラックチームの監督のように未熟です。
それをホワイトチームの監督にして行くのが、ぼくのコーチとしての役割だと思っています。
これは、個々の選手(ひっ算問題)を理解をすることから始めて、初めてチーム(プリント)をまともなものに育てていこうと言う、単純なものです。
ところが、計算問題の気持ちなんか分かるわけ無いので、単純だけど、難しいものです。
むすこの様子を見て、最初から無理にやらせない。
プリントやドリル問題のひっ算問題が多すぎて最初からパニックになっている場合は、ぼくが副監督として指揮を執ります。
まずは、ぼくが見本を見せます。
飽きてきて、余所見することもあり最低な監督ですが、気にせず進めます。
見たいものだけ見てもらいます。
それで、計算しながら要点を話していきます。
小数点わり算のひっ算の場合
例えば、こんな問題。
- 「小数点が邪魔だから、右左両方とも10倍するよ」(小数点を動かす)
- 「74の中に、62はいくつ入ってるかな?」→ 「1個」(すぐ答えられなければ62×1を一緒にやる)
- 「74上の1の位の上に商を立てるよ」(74の4の上に1と商を立てる)
- 「74の下に62×1の答えを書くよ」(74の下に62を書く)
- 「74-62をするよ~」(計算して12を書く)
- 「12の中に62は無いから、お尻の4を下すよ、124になったね」
- 「124の中に62はいくつあるかな?これは62にいくつ掛ければいいかでわかるよ」
- 「62×1、62×2、、、、2を掛けると124になったね、できたじゃん!」
- 「744上の1の位に2を書いて、124ー124をやるよ」
- 「12あまり0だ! できたよ~」
こんなことを、何問も何問も説明しながらやっていきます。
副監督世代だって失敗するってことも、わざと見せながら解いていきます。
力業です、わからなければ永遠に、忍耐です。正直疲れます。
こればっかりはICT機器は役に立ちません。正直言って。(良いものがあったら知りたいです。)
出し抜けに「ぼく、ひとりでやってみる」と言うまでがんばる
ぼくも、むすこの生態は大体わかっていて、全く理解不能な時は「分かった?」と聞いても無理です。
ところが、急に「ぼく、ひとりでやってみる」と言い出す時があります。
そのフラグが立ったらチャンスです。
計算式の解法プロセスが見えてきた証拠です。
ぼくは黙って、一人でやってもらいます。
そしたら、できるのです。できちゃうのです。嘘のように。
見事に、計算のプロセスをぼくから盗んでくれました。
ただ、細かい小数点の位置や桁の修正は必要になります。全体を俯瞰し過ぎた故に仕方がありません。
これで、2.3問やれば、むすこの揮発性の高いワーキングメモリの都合で2,3週間は覚えていられる事が可能です。それ以降は多分忘れるでしょう。
男の子の生態について
男の子って、急に突拍子の無いことを「やるぞ!」とか言い出したりすることが多いと思うんです。
その事って、何も考えていなかったようでよく考えていた結果で、相当悩んでから言う結果が多くて、最後まで悩みに悩んで、自分で結論を言い出すことが多いと思います。
決断力と言うのは褒めてあげましょう。
しかしながらそのまずい事は、周りの人に影響を与えることが多大なことも考えずにです。
「悩みを人に知られたくない」、「人に言う程でもない」、「間違ってたら恥ずかしい」とかそんな見栄見栄から美学みたいなものに囚われて、途中経過を言い出すことができないのです。
それに「やるぞ!」と言われても、「抜け」も多くて甘いので、周りの人間がその「抜け」をフォローする羽目になるのです。
勉強の時のむすこが正にこれ。
「間違っていたら恥ずかしい」もんだから、ジーっとお手本を研究して、自分で「できる!」と判断できたらやっと取り組む。
最初から学校で、よく話を聞けるようであれば、ぼくの苦労は無いのですが、それが出来ないし、ぼくも出来ないのは分かっているから、むすこの生態をジーっと見ながら勉強に付き合います。
まぁ、「できる」と言っても、小数点抜けのミス等「抜け」があって、ぼくが間違いを指摘しないといけないのは、一般的な人と一緒なんですね。
そんな感じです。
立ち悪いんですが、これって結構おっさんになってもやらかしますので、「あー、あー、そうそう」とうなづく方もいらっしゃるのではないでしょうか?
他人の事は言えませんが。。。。
大事な事は早めに言おう!
まとめ
小数点付のわり算筆算の事や、男性一般的な生態について記述して見ました。
LDの子の勉強に付き合うのは本当に忍耐の要ることなのであります。
どうせ学習が人より遅れているので、正しい解答と言うのも大事ですが、それを導き出すプロセスということの方に重点におこうと思います。
そうすれば、学習ばかりでなく、日常生活においての考え方にも良い影響を与えるかもしれません。
こんなめんどくさいひっ算なんか、正確にできなくったってそのうち電卓持込可にしてやろうとも目論んでいます。
未だ未熟な面が多いですが、直にみんなに追いついて落ち着いて出来るようになった時に自分で答えを導きだせる時が来ることを願っています。
その時は、おとうちゃんの良い事だけでも思い出してくれれば、、、、うれしいなぁ
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