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ぼく(父親)は字が汚い。と言うかきれいに書けません。
仕事上のメモ書きはぐちゃぐちゃなので、必ず帰りの電車の中で忘れずに見返して話したこととノートメモのぐちゃぐちゃな文字の付け合わせをします。
それをすれば、頭の中が整理出来て良いのと、帰ってから仕事につかうことも頭に残っているので、もうメモを見る事はほとんどありません。
ただ、誰かに「今言った事のメモ見せて!」と言われると、他人が見ても読めないの見せたくないし、説明しないといけないからめんどくさい。
「メモなんだから、汚くていいじゃん」と言われます。
確かにそうなんです。
それで、ずーっとやってきたので別に困ることもなかったし、間違っていそうだったらもう一回聞くし。親族にメモを覗きこまれ「もうすこし字を綺麗に書いたら!」と指摘される時以外は気にしていませんでした。
ただ、一つ頭に来たのは「字が汚いとバカに見えるよ」と言われた事。
父が死んだときに、法務局とか年金事務所とか役所に行ってやらないといけないことを賢明にメモしていた時の事です。全部ぼくが処理しているにも関わらずです。
内心(お前なんかよりずーっと、他人のための仕事してるわ)と毒づきたくなるのを抑えながら、役所の人の話を聞き洩らさないように、耐えるのでありました。
だって、ペンを持つと震えてフリーハンドだと字が躍って書けないんだもん。
昔気質の人にこんなこと言ったってわかってくれない。
人に見せるためのものは下書きして読めるように書いてるよ。
働くようになった90年頃にはワープロもあったし、いまはMS-Wordもあるしね。
最初の就職先がたまたまコンピュータ作っていた会社で、当時はMS‐DOSが全盛で事務で使える方法「一太郎Ver.3」教えてくれる人いっぱいいたし、それでいいじゃん。
それはむすこがLDとわかった時までは、他人が読めるような書字が出来ないのは、自分のことだけだと思って胸にしまっていました。
むすこの書字
低学年~3年生ぐらいまでの、むすこの書字は文字の構成や文字自体の記憶・理解していなかったらしく、オリジナルの文字を作って書いていることがよく見られました。
不思議と鏡文字は無し。(むすめは1年生の初期は鏡文字を書いていた。)
それでも、何て書いてあるかわからないから「なんて書いてあるの?」と聞くと、口頭ではきちんと文章になっている。
まさに、シュールです。
文字を記憶から出せていなかったことが大きかったようで、何となく記憶にある曲線と直線を組み合わせて(こうだった気がする)と言う感じで文字を書いていたようです。
まるで、絵画です。
また、書いていて自信がないので、あやふやなものをぐちゃぐちゃに書いて誤魔化していました。
それで、自分の思い通りのものが書けるまで消しゴムを使いまくる。
当時の消しゴムの消費量ったらすごい。破壊された消しゴムまで合わせると何個買ったかわからない。
まとめ買いした消しゴムが今でも買い置きとして残っています。
文字が書けなかったストレスったらすごかったのでしょう。
前にも、記述しましたが、ついでに筆箱も傷・落書きだらけ。
そんなむすこ、書字については、4年生の2学期ぐらいには大分落ち着いてきました。
オリジナル文字が無くなり、わからないものは「わからない」と言うようになりました。
字もがんばって他人が見ても読める文字を書いてくるようになりました。
そのレベルまでになってきました。
但し、文章を書くことが1年、2年ぐらい遅れてしまっているかなーと言う印象です。
句点がほとんどなく、1文がかなり長いものを書いてしまいます。
多分ですが、考えたことを忘れないようにするために1文に全部埋め込んでしまうんだと思います。
メモをしながら書くなど、テクニックがわかってくればまともな文章が書ける日がくるのではないかと思っています。
たぶん。
むすめの書字
むすめの場合は、いつも何かしら書いています。
常に何かを頭に思い浮かべているのでないでしょうか。
2年生なので、作文は短文しかみたことがありませんが、書き取りはよくやらされています。
たくさん書かされても苦ではないようです。
書写も嫌いではないようです。しかもきれいに書いてきます。お手本かと思ってしまう時もあります。
字もきちんと記憶していて、字の成り立ちもわかっているので流暢に書くことができるようです。
余裕があれば、フリーハンドで提出の書写の紙に画を描いたりしています。
「見てかいたんじゃないよ。思い出しながら描いたんだけど、あんまり上手じゃないかも」と言っていますが特徴を掴んだ絵を描いてきてくれます。
(書写の清書用紙に画描いていいのかな?)と思うんですが、先生も何も言わないのでまぁいいやってとこです。(先生も画を描いていいよと言ったのかもしれません)
ぼく(父)、むすこ、むすめそれぞれの書字を見て
書字について、うちの三者、それぞれを見てみると。
以下のようなことが必要なのかな?と考えました。
- 文字自体の記憶
- 文字の成り立ち(構成要素)
- 文字の読み
- 書くことを決める事
- 書くことを予測する事
書く目的によってこの中でひつような要素があやふやになると、書字が崩れてしまうのかなと考えています。
そんなような事なんだろうなーと思うのです。
(ぼくの場合は、他人が話すことを書く時にぐちゃぐちゃになるので、5番かな)
しかし現状、学校で教える方法では文字の構成や文字の読み方を覚えられない場合があることが、むすこの場合はわかっています。
そんな覚えられないことの取りこぼしをひとつづつ拾っていくのは、親のぼくでも大変です。
今後、むすこが一人で生きて行くために、どんな方法で必要なことを覚えられるか?
多分、本人にしかわからない事が多いと思います。
やはり、親に出来る事なんか何にもないのかな?
きっかけになるようなことを見つけて上げられるように、お手伝いをしていければなと思います。
まとめ
むすこが低学年時の書字の不自由さは、ぼくからの遺伝か何かでそうなっていると思っていました。
ところが、最近音韻認識が改善されつつある中で、書字については気にするようなレベルでは無くなってきましたので、安心してきたところです。
低学年の頃は「ぼくは字がきれいに書けない」と連発していたのですが、そんな事も言わなくなりました。
書字について、「プレッシャーをかける事をしない」、「気にするようなことを言わない」と気持ち的なものの他に、前より、音韻認識が改善され、「短文」であれば文章を読めるようになってきたことが改善のきっかっけにつながっていると考えています。
そう考えると、むすこの場合は、
書字は、書字だけの問題。
読字は、読字だけの問題。
と独立して考えるのではなく、総合的に取り組む必要があるのかと思うのであります。
これから、高度なことばの使い方が新たに出てくるでしょう。
その時には、勉強、遊び、人付き合い、、、、多方面から自分なりにマスターの仕方ができるように見守ってあげていきたいとそう考えています。
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