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相変わらず「サッカー試合も練習も見に来なくていい」と言われています。
そう言う割には、学校公開等の行事は「来たければいいよ」と言ってくれます。
ただし、こっそりね。
こっそりって言ってもほとんどの子に面がバレてるので隠れようがありません。
サッカーの場合は、4年生の終わり頃から言い始めたのでぼくはもう長い事見に行っていません。
妻の方は、スポーツ少年団の会長もしてましたし、今のクラブチームも近場であれば他のおかあさんに誘われた時だけ見学に行っています。
ぼくは、さっぱりです。
むすこの話や、写真を撮ってくださるおとうさんがいるのでそれをみたり、噂を聞く程度です。
今は、勉強を一緒にやっているのは妻の方ですし、ぼくが関わる事が大分減って寂しいやら、楽になったやらです。
江戸時代までの男性はよく泣いてたらしいよ
在宅で仕事をしているので、日常的にむすこと関わる事が多い方だと思います。
でも、肝心な事からは距離を置いた形になってるので、反抗期・思春期に向かう大事なところでむすこの「お気持ち」を尊重出来るようになったような気がします。
- 自分の立場を自分で考えておとうちゃんに世話を焼かさない。
- この時期特有のある程度の秘密を持つ。
- 自分で大事な決断ができる。
- 立ち止まって休むことも自分の判断でする。
ぼくの親・先生世代から見ると「グズグズ、ダラダラしてんじゃねーよ」「男の癖に涙をみせんじゃねーよ」と怒鳴られたり、時には鉄拳制裁が飛んでくることもあるでしょう。
しかし家庭内は軍隊じゃあないんですから、休んだり、泣いたりすることは自分のこの時期を振り返っても、大事な事で大事な人権だと少し距離を置くと気付いたりするもんです。
妻が言ってました。
「江戸時代までの男性はよく泣いてたらしいよ。人目を憚らず声をあげてたらしいよ。それがいつからこんなことになっちゃたんだろうね。」
人間だって動物的だし感情を吐き出すのは一定の精神的な効果があると思う。でも良い齢したおっさんが急に泣き出すと周りの人はびっくりするよね。
その感情がいけないのかな?
ブレない原点
まぁ、成績の事言うとまだまだ声が小さくなってしまうのですが、それは最もむすこが苦手な分野です。
状況を詳しく知れば知るほど、あれこれ言いたくなってしまうのが親心です。
客観的に「共感」しているような事を言っているうちは良いのですが、そのうち核心を突き過ぎて「毒親」認定をされるのが落ちです。
ディスレクシア的な症状がわかった時、ぼくはむすこにどういう事を目指そうとしたのか?
それは「自信を取り戻す事」です。
- 自己肯定感を育む事
- 自尊感情を維持できるようにする事
その原点は一貫してブレないように気を付けないといけません。
ありのままのむすこを受け入れて、決して主語がぼくにならずネガティブな考えを押し付けないようにしていこうと思います。
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