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ディスレクシア中1むすこ。
大好きなサッカーとディスレクシアの関係について、中学生になって思った事を記述してみたいと思います。
むすこは本当にサッカーが大好きです。中学生になるにあたって、クラブチームに入って週2回の休養日を除いて毎日サッカー出来てうれしいと言っています。
ディスレクシア(特に読み)を抱えていますが、プレイについては問題無く自分で思ったようにやれる時が多いようです。
納得のいかないプレイの場合があった場合は、自分自身で振り返り小学校の校庭開放や公園で練習したり、Youtubeのプロ選手のプレイ動画を参考にしています。
Youtubeと言うのは、ある意味ではこのように使うのはアリだと思っていますので、放任して見させています。
むすこが、Youtubeに触れたのは3歳ぐらいの頃でした。
その頃から、自分で好きな動画を選んで見ていました。
その延長で、今では自分に役立ちそうなものを選んで見ている様子です。
もちろん、中には「しょーもねーなー」と笑ってしまう動画も見ていますが、社会勉強にもなるんじゃないかと思って何も言わずに見せています。
サッカーについては研究と練習を重ねて器用に個人的な技出来たとしても、サッカーはチームスポーツなので、コミュニケーションや思考等の言語化も大事な課題です。
ディスレクシアなむすこ。技や体力に自信があってもそこのところはどうかな?
コミュニケーションと言語化
中学生になって、体力が付き、体の成長もあって、ぼくが言うのもなんですが、サッカーのプレイにも貫禄が付いてきました。
今のクラブチームのコーチにも「うわー、そんなこともできちゃうの???」と言われることもあるそうで、本人の研究と努力の賜物だと思っています。
そんな、ディスレクシアむすこで一番気になっていたのが「コミュニケーション」と「言語化」です。
果たして、試合中ひらめいた事をみんなに的確なことばで指示ができるか?とことばによる指示を正確に理解して行動できるか?
それと、ミーティング等で、自分の考えた事や行動を振り返って正確に「言語化」出来るか?と言う事です。
正直言って、ディスレクシア発覚前夜(小3ぐらい)までは他人の話や、書いてあることがよくわからなくて、頭の中がボーッとして、ぼんやり窓の外を眺めていることが多かったむすこです。
体力はあるけど、学力や文字が読めないと言う事で自信を無くして気持ちがどん底な頃でした。
従って、サッカーの時でもそうでした。正直、精彩のあるプレイは期待できず、ボールが来た時だけ対応すると言う事が多かった時期がありました。
やりたい事とやらなければいけない事の仕訳
そしてひとつひとつ無理に無いように自信を取り戻してあげようと考えました。
「大好き」と言っていたサッカーもぼくは口を出さずに好きなようにやらせてみました。「おとうちゃん今日は見に来て」と言われた時や、付き添い当番の時以外にはいかないようにしました。
当時、キッズの間で大流行していた「フォートナイト」も思い切りやらせました。
ともだちとの外遊びも、生きて帰って来てくれればそれで良いと思いました。
同時に、学習面でのディスレクシア対策では色々と試してみました。読み上げ教科書、通信教育。。。
学校の勉強は、ほとんど「宿題」1本に縮小して行きました。
後に、むすこの特性がおぼろげに分かって来た頃には、ディスレクシア対策としての事を減らしていきました。
小5の頃に担任の先生から「ありゃ、相当疲れてるよ」と聞いてましたので、あまり無理をせずに、家では出来るだけリラックスして欲しいと思ったからです。
そうして、やりたい事と、やらなくてはいけない事の仕訳が頭の中で出来つつあったのかと、今思うとそう感じます。
後には、成績は別として漢字テスト前には自分で書けない漢字を潰していくように努力するようになりましたし、サッカーも「自主練」を多くやるようになりました。
コミュニケーション上手
心配なコミュニケーションの方ですが、オンラインゲームやサッカーのおかげで他人に指示をしたり、他人の指示がよく耳に入ってくるようになってきたようです。
本人が会話中心の生活をしていることと、個別指導等で語彙が頭の中で積みあがって来たために、他人との会話も対等に近い形で出来て来たのかと思います。
その代わり、口も悪くことば遣いは感心しないものも多いのは確かなのですが・・・まぁ良いでしょう。
思考等の言語化・・・正直わかりません。
考えたこと、思ったことの「言語化」は正直言って現場に居合わせている訳では無いのでわかりません。
ただ、学校で対話を重視したアクティブラーニング的な授業で発表するのが得意と言っていました。
どんな事を授業で言っているか知りませんが、担任もそれなりに評価をしていました。
そんな中でも、ことば遣いに間違いはまだまだあるかとは思いますが、ひとつひとつ経験を重ねる事によって、修正ができるかと期待はしているところです。
今回入部しているサッカークラブチームは勝つこと以前に、こどもたちとの自主性、対話、そして思考の言語化を期待いるチームです。
学校、特支教室、クラブチームとむすこから見ると絶え間ない、思考等の「言語化」が求められている事でしょう。
持ち前のコミュニケーション能力で、自分の主張を正確にできるようになれることを期待するのであります。
まとめ
サッカーとディスレクシアの関係について、コミュニケーションと言語化の件から思ったことを記述してみました。
ディスレクシアはその人の脳の特性なので治ることはありません。
それでも、他人との関係で円滑にしないといけない部分で、生きづらいところを改善してもらおうと、ぼくは考えています。
それが、今後生きる上で一番大切な事かと思っています。
運動等、体を使った彼なりの方法で脳を刺激し、自分にとって最適な思考のプロセス経路を作って欲しいのです。
そして、自分が生きるために何が必要なのか学習して行くのです。
サッカーの外国人選手が英語で何言ってるか知りたいから、Youtubeで英会話の勉強をしてるのを知ってるよ。
英語でブツブツ繰り返し言ってるもんね。
日常で無駄な事なんか何もないんだ。
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