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うちは、むすこの「学習障害」の事、むすめの診断はもらえませんでしたが「wiscかなり凸凹」の事は他の親族には話していません。もちろん友人関係にもです。
むすめは自分は至って普通だと思っていそうですので、知能検査の事なんか気にしていませんが、むすこは、「本が読めない」「文章を読むのが苦手」と言う事を「障害」だと言う何か特殊なことのように思ってしまっていて、親戚や他人に知られることを極度に嫌っています。
失敗したのは過去に、文字がわからないのは「学習障害よ」と言ってしまったことです。
当時は3年生男児で、その「障害」と言うことばがかなり気になってしまったことです。
世間一般的にはそのことばで通っていますので、遅かれ早かれいずれ言わないといけないと思ってその語彙を使ってしまったのですが、当時9歳のむすこにはかなりのインパクトが強かったようで泣きも入っていました。
それから、成長したむすこは自分でなんとかしようとがんばっています。
街に溢れる、看板や表示板を見て、読めるものは自分で読んで、読めないものや意味の分からないものは、親やともだちに聞いたりして、コンビニやファストフードでの買い物なんかは日常になりました。
当初は、街中の表示は全部「UDフォントになってくれればやさしいのにな」なんて思っていたことも有りますが、デザインバリバリの字体・字形でも意味が分かれば類推して読んでくれるようになりました。街中の看板等が良い例です。
この間も車に乗っている時に作業服の「寅壱」の看板を掲げているお店の前を通った時に、「おとうちゃん、あれ”とらいち”って書いてあるよ、なにあれ?」と聞いてきました。「寅壱」のロゴは結構上級編だと思うので、びっくりしました。
「あのお店は、鳶って言うお仕事があるんだけど、、(中略)、、おいおい、それより”寅壱”って読めるじゃん。すげーな。びっくりしたよ。」
「あたり前じゃん。読めるさ!」とツンとしています。
絶賛思春期中のむすこ。自尊の気持ちが日常の学習を後押ししているように思えます。
自己鍛錬をしているむすこの今の状態と気持ちを大事にしてあげれば、改善の道は自分で作れるかな?と淡い期待を持てるような気がしてきました。
親族一同に障害や病気の事を話すこと
ぼくの「脳梗塞」の話
ぼくが「脳梗塞」で入院して無事退院して取り敢えず、今は仕事をセーブしつつ、普通に暮らしているということを妻とぼく、双方の親に伝えてあります。
双方とも、いい加減高齢ですので、病気の上っ面の知識は満載で「脳梗塞」ぐらいは症状によっては死に至る大病だということぐらいは知っています。
ただ、その詳しい内容までは、知りません。
そりゃそうで、彼らは加齢のせいもあって、たった一つの病気なんかに関わっている余裕はありません。彼らが気にしている病気・怪我はこれ以外にもたくさんあるはずです。
そこへ持って、実子、義理問わず、身近な人間が脳血管疾患に患ったと聞いて、もう大騒ぎです。
色んな言い方で「気を付けろ!、気を付けろ~」と言ってきます。
それから、ぼくの事を心配して、テレビ等で色々と聞きかじった受け売りな知識を教えてくれます。
それはそれでありがたいのですが、テレビからの知識なんてこっちは百も承知な一般的な知識です。
その度に、「そーだよね、医者の助言でその話はしてるから、その話は正しいよ。」と言っています。
せっかく「どうだ!」といわんばかりに教えてくれる、老親の自尊心を傷つけないように気を遣いながら電話口で火の粉を振り払うのであります。
まぁ、それでもうちの老母なんて戦前生まれの立派な老人です。
「聞きたいように聞いて、見たいように見る」ようになってきています。
自分のむすこの話なんかほとんど都合よく切り取って、自分が都合のいいように解釈します。
まぁ、それで今の彼女を救っている場面というのはあることでしょう。
であるから、できるだけわかりやすく言っても、自分の理解を超えるものは自分の思い込みに合わせて聞いていたり聞いていなかったりするのです。
そんな感じなので、お話しにならない時も多々あります。
ディスレクシアと発達の事を老親に伝えるか?
そうであるので、ぼくのむすこ、むすめの特性の話なんかしても主観的にしかも独自に解釈して、どこから聞いたか分からない持論をまくしたてられる可能性があるので、それぞれの特性の話をして理解してもらうのは危険かと思います。
父母の時代には症状として存在しないものばかりだからです。
「なんかあの子は落ち着きがなくてうるさい」「あの子は、中3になってもアルファベットがわからないみたいよ」と実際にこんな事を、当時こどもであるぼくに言っていたこともあります。
それは仕方無い事です。日本での発達障害に蓋がされてきた時代の人たちです。ぼくも含めて。
当時はそれでもよかったのです。永遠の成長が幻想としてある右肩上がりの日本ですから、自分の役割を全うできなくても、なんとかなるだろうと信じられていた時代です。
そんな時代遅れの認知でにわか知識を得てむすこたちの特性の改善方法を良かれと思って話をする時に、ぼくにだけしてくれるなら良いのですが、本人に達に言い出した時は溜まったものではありません。
今までの苦労が吹っ飛んでしまうこともありうるでしょう。
むすこは「話をしないで」と言っているので、ぼくの口からはもちろん親には言いません。
もし、言う必要があって、むすこが必要な時は自分から祖父、祖母に率直に話をして欲しいと思っています。
それまで、ぼくの母が存命であるかはわかりませんが(笑)
まとめ
むすこ、むすめにとっての祖父、祖母に特性の話をするかしないかと言うことを記述しました。
むすこ自身が「言わないで」と言っていたので、これまでそれが当たり前だと思っていましたが、
もう来年度は中学生です。
自分の道に関わることでもありますので、自分で必要な時は判断すれば良いと思います。
困った時は相談に乗るよ。
ぼくのスタンスは、関わってくれる先生やセラピー等、配慮をお願いしたい方以外には他言無用ということでそれで行こうと思います。
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