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字を読むのが難しかったりする、特性って本当にあるのか?
ぼくは、2年ちょっと前まで考えられませんでした。
当時は何がなんだかわからずに、何の検査を受けたら良いのか?どこへ相談して良いのか分からず、本当にそんな特性ってあるの?と半信半疑でした。
そんな疑問が沸いてから、2か月後ぐらいにたまたまとある機関が見つかって、むすこが初めて、WISC-Ⅳを受けました。
まだ、3年生だったむすこ「検査・試験」と言うだけで逃げ出したくなる子でしたので、結果はボロボロ。
まず最初に「境界知能」と言われ、それから「ディスレクシアでしょうね」という診断をされました。これまで何人も診断してきたことばや発達のプロフェッショナルが言うんだからそうなんだろうとこれまでに至ります。
それから「ことばの教室」には通っていて、じっくり着々と小学校でならうことばを積み上げて行っている途中であります。
書字の方はすぐに修正できました
3年生までは、書字の方もあまりうまく行きませんでした。
よく先生に「ていねいに!」とか注意を受けていました。
ぼくの方も、先生の言う事は絶対的なものだと思っていましたので、
「ほら、読めるように書きなよ」と言ったりもしました。
オリジナル漢字、枠からはみ出るなんて普通で、簡単な文章を書くのも嫌ってましたし。。。
「ディスレクシアでしょう」と診断をされてから、むすこが何が不得意なのか見つめて、
それをまず修正いくことにしました。
具体的には「ひらがな」と「カタカナ」でした。
3年生なので、学年関係無く、ことばを見直すことが必要と思い、通信教育の「すらら」を利用しました。
基本的なことばの読みをやり直すことにより、彼の頭の中が整理出来たのか、適当に文字を書くことが減りました。
つまり、「頭の中で唱えた文字を表記出来る」ようになったと言う様子でしょうか?
焦って文字を表記してぐちゃぐちゃになるということが無くなり、書字に落ち着きが出てきました。
それで、文字を普通に書けるようになっていきました。
ただ、思い浮かべた文字や発音した文字と書字しないといけない文字が一致しないことが多くありますので、例えば「て、に、を、は」等はまだまだ苦手なものであります。
事情がわかっている妻とぼくや担任の先生は、その辺は配慮して意味が分かればOKを出すようにしています。
書物が遠ざかるのは当然
うちの家系には、活字中毒の人が何人かいます。
本当に読んでいるかはわかりませんが、ぼくの父親はよく本を読んでいました。おじいちゃんもよく本を読んでいました。
父親はもう亡くなりましたが、瘦せこけた腕で死の間際まで本を広げて読んでいました。
まだ、現役だった頃に「本を読まないなんて考えられない」とか「本を読んでいる時に他のことを考える事が出来ない」とか色々自分の読書の持論をよく言っていたことがあります。
まぁ好きだったことは好きだったのでしょう。
うちの妻も本は大好きで、たくさん持っています。
目に付くと読み始めて、他の事は忘れるような人です。
特に、難しい本を読むのが得意なようです。
周りが見えなくなってしまう特性のこの人は、ちょっと違う特性があるとぼくは見ています。
でも、本から得た知識をたくさん持っています。むすめは多分その血を継いでいると思います。
ぼくは、そんな親から育ったので、知識を得るのはインターネットより書物からまずは考えます。
それは、本好きかとは別で、インターネットが全く無い時代に学生だったので「知らない事はまず本からだな」と言う癖があるだけだと思っています。
最近、むすこの特性を分析すればするほど、ぼくに近いものがあるんじゃないかと思い当たる節が出てきました。
文が一つの塊に見えてしまう事がある。
大学生の頃から、専門書を読む機会が今に至ってあります。
そこに記述されている文章が、一つの塊に見えてしまうことが多くあります。
正確には、塊にはなっていなく文字であることは認識しています。
だから、「エイヤッ」と気合を入れてひともじひともじ読んで行きます。
そうすると、初見では行飛ばしをしてしまったり、文章の理解なんか出来ない箇所があったりします。
仕事や勉強に使う文章であれば、文字の塊に見えてしまい理解し難い箇所は何度も何度も読み直します。
朧げに分かってきて、最後にもう一回自分に説明するように読んで行きます。
あのゴチャゴチャ書いてある、契約書なんかそうです。
法律の条文なんか大変です。「19条の通りに」なんて書かれていると、前後を参照しないといけないのでめんどくさいです。実務で使う六法なんか2冊欲しいぐらいです(高いから買わないけど)。
ぼくが、速読術を勧めて来た友人に即「本はゆっくり読みたい」と言ったのはそんなところがあるのかと思います。
知識欲はある方ですし、書いてあることの意味は知りたい方だと思っているので、なんとかやっていますが、ゆっくり誰にも邪魔されない環境がぼくには必要です。
むすこが森を見て木を見ないのはぼくのせいか?
ぼくは、知識を得るには本しかないと思っているので、時間が掛かっても読みますが、むすこにはそのような考え方はありません。
むすこの文章の読み方を見ていると、ぼくのようにひともじひともじ追えば、読むことができ、理解もしていることが最近わかってきました。
昨年の「読書キャンペーン」のおかげで教科書の読み方が変わってきました。
単元によりますが、国語の読解問題が出来てきたりすることがあります。
自分に近い出来事の文章や、興味のあることの文章は意外な点数を取ってきます。
そんな場合は、文章の塊が分解されるツボがあるんじゃないかな?と思います。
分解されなくてもも、前後のイメージから読み解くことができているのかもしれません。
あと、やらないといけない!と言う気持ちも少し芽生えてきていることもあります。
本を読んでいないので絶対的に、文字の使い方、文法の理解や知識が欠けています。
漢字の読みも一苦労です。
その辺りは大変不利でありますが、ぼくが塊に見えてもなんとかやっているように、むすこもそれなりに文章の意味が通じるようにがんばっているように思えます。
すごく疲れることですが、何とかがんばってやっていこうと思います。
今年の読書感想文は、読み聞かせをしてあげようかな?
いやいや、夏まで待たずに何かむすこが要求してきたらやってあげよう。
口が疲れるけど。
まとめ
コロナ休校から2年、むすこのディスレクシア発覚から2年。
それなりに、むすこと一緒にやってきたつもりです。
文章は読めても意味が通じなければ意味がありません。
特に、街場の表示等は日本語が読めなければ、誰かに聞くしかありません。
将来困らないようにむすこを導ければと思っています。
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