昨日のブログで、少し小5むすこが変わってきたと記述いたしました。
そんなむすこが「明日の用意は自分でする!おとうちゃん何もしなくていい」と言い出しました。
で、その通りゴソゴソ明日の準備をしていました。
「じゃあ、えんぴつも削らなくていい?」と言うとこう言います。
「昨日はえんぴつは1本だけしか使って無いから、他の使うからいい」
ぼくは、以前にも記述しましたがむすこたちのえんぴつを毎朝削ってランドセルに入れてあげるのを楽しみにしています。
それは、筆箱の中ってこどもの小学校での生活や心の動きが見えるような気がするからです。
筆箱が落書きだらけで、カッターで切ったりよくわからん状態になっていたり、筆箱の中身には噛まれ、どう考えても短すぎたり、どうやったらこんな折れ方するんだと思うえんぴつ。それにバラバラになった消しゴム。それに買ってあげたものではないものが入っていたり、筆箱の中が大混乱しているような状態だと、大体何か闇を抱えていることが多いように思えます。
むすこの筆箱は3代目。2代目まではディスレクシアがわかる前で上記のような様子でほぼ破壊状態になってしまっていて、去年療育が始まったころに新しいものに替えてあげました。
それなりに、対応をしてあげたら今は落ち着いて、3代目筆箱をそれなりにきれいに使ってくれています。
ぼくは、LDに理解が無かった頃は筆箱等の学習に関するものに、当たっていたのじゃないかなーと推測しています。
ノートだってお道具箱だってぐちゃぐちゃで酷いものでした。
急に来た!成長かな?
話は戻りますが、「明日の準備を自分でする」なんて、普通の小学5年生であれば自分でやるものなんだと思っていました。
でも、むすこの場合は帰ってきたままランドセルを開ける事は無く、水筒だってそのままだし、今は連絡帳はGoogle Classroomで送っていただいていますがそれでも、毎日の体温だって書かなくてはいけないし、買って用意しておかないと行けないものもあって親がチェックしないといけないものも結構あります。
毎日、「めんどくせー」と思いながらランドセルを開けたり、用意をしたりしていましたが。。。
突然「自分で用意する」です。
体温だって自分でチェックしていました。
むすこの持ち物チェックなんて、ゼロ歳児の保育園時代からやっています。
それだけに、こんな日がこんなに急に来るなって、ぼくは信じられません。
急におまかせして、忘れ物は無いか?心底心配をしてしまいますが、忘れ物だって一つの経験で積み重ねて自分で修正できるものは修正してもらえればそれでいいかな?と思うのであります。
さて、いつまで続くかな?
しかし、色々と成長するもんだなー
昨年末にお話しを聞いた、進学予定中学の校長先生が「この1年でびっくりするぐらい変わりますよ」と言っていたことを眉唾もので聞いていたのですが、本当に変わってくるのかもしれませんね。
まとめ
学校の「明日の準部を自分でする」なんて、当たり前のことかもしれませんが、学校の勉強が大嫌いで見たくも無いものにも関わらず、自ら手に取って用意するなんて本当にぼくとしては負担が減ってうれしい限り!
自分でやって、忘れ物も経験して、社会への準備をここでやっていけばいいのではないかな?と思います。
ただ、ぼくは朝のえんぴつ削りが出来なくなるのが寂しいなー
それもひとつの「親離れ」「子離れ」のきっかけになるのかな?
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