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小4ディスレクシアむすこ、おかげでさまで算数の応用的な問題は理解して手を付けられるようになりました。
簡単な文章への苦手意識が少しづつ無くなってきたというのがあるのかと思います。
ところが、せっかく答えを導き出す方法は出来ていても、九九が頭に出てこないものが未だにある関係で、答えを微妙に間違えることがあります。
昨日はこんな宿題の問題。
たての長さと横の長さが変わると面積はどんな風に変化していくかを答えさせる表です。
この問題を、「どこがむずかしかった?」と聞くと
「問題の意味はわかってかけたけど、かけ算を忘れちゃって出来なかった。。。」
このノートには九九の表か電卓を打って面積の値を書き込んだみたいです。
問題のプロセスが分かってきたので、ぼくは親として満足です。
しかし、本人は答えが九九を思い出せなくてすぐに出てこないのは、遺憾におもっているようです。
「考えが合ってるからこれでいいよ。それが大事だよ」と言って慰めましたが。
がんばったのに、泣くのを我慢していて、ちょっと可哀そうです。。。。
覚えても、覚えても、忘れる「九九」
いちお、本人の名誉のために記述しますが、むすこが2年生当時「九九」を教わった時に、
「九九の暗唱テスト」みたいなものをやっていました。全部、暗唱できれば「合格!」ありがちなやつです。
そこはバトル好きで一夜漬けの暗記が得意なむすこ。ゲーム感覚ですぐに覚え、クラスでも5本の指に入るぐらいの早い順位で合格していました。
その後しばらくすると、もちろん7の段とか8の段とか言いずらいものは忘れるのは当然と思っていましたが、1の段以外はすっかり忘れてしまいました。
思い出しても、頭から順番に言って行かないと出てきません。9の位なんか上から全部言わないと出てきません。
ぼくも、ことある毎に言いずらい九九「しちろく?」とか聞いているのですが、だめです。
どうも、どの段も1の位から9の位まで唄のフレーズのように覚えていて、途中から唄うには高度な歌詞だし、歌のフレーズを1個だけ抜き出すと言うのは大人でも逆に難しい。
そんな感じのようです。
「九九」を「九九」のフレーズ(語呂)として覚えさせるのをやめる。
いっそ、それを真っ新にさせようと考えるようにすることにしました。
6×4=24を「ろくしにじゅうし」では無く、「ろくかけるよんはにじゅうよん」と出来るようにします。
すぐに出るまでは、「6を4回足す、その答えは24、それが6×4!」と言う風にする。
一度、リズムで覚えてしまった「九九」ですので、「九九」は「九九」表のように覚えないといけないと頭の中に染みついてしまっています。
リズムから入ってしまったせいで、中々進まないと思います。
ところが、かけ算の理屈もこの四角の面積問題でやっと理解をしてくれました。
今がチャンスだと思います。
覚えることはやめて「九九」を頭の中や紙の上で面積をイメージさせてやらせる。
その方が近道ではないかな?と感じるのであります。
「九九」ごときで未だにつまづいていますが、急がば回れです。
時間が掛かっても良いので、理解させてみたいと思います。
まとめ
あれだけ出来なかった漢字もがんばってある程度はできるようになりました。
「九九」もある程度行けると信じています。
語呂合わせも時には必要な時もありますが、理屈無しで覚える語呂合わせなんかむすこのような頭の中に記憶が埋もれてしまう子には効果が疑問な場合があります。
3年生の時にやった、上水道、下水道の一連の流れを未だに流暢に教えてくれます。
このように流れの中に理屈がまず先にこないと、いきなり「フレーズでおぼえよう!」と言われても、無理なんだと思います。
学習と言うのは、本当に人によって千差万別だと感じます。
ちなみに、むすめはお風呂に貼ってある九九表のおかげで、九九はだいぶ覚えてきています。
現在日本では、一斉教育が基本です。それについていけないと「落ちこぼれ」と言うレッテルが貼られます。ぼくがこどもの頃もそう言われてきました。
「落ちこぼれ」上等です。一斉教育による学習で良い点数が取れたからってそれだけだったら何にもならないと思います。
自分のむすこがそうだからそう思うのですが、決してそれだけではないと、自分の周りを見ていてもそう思います。
「個性、体力、道徳、学習」。
こんなものをバランスよく大事にして育てていってやろうと思います。
「九九」のせいで色んなことを考えてしまいました。
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