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多様性の中で見た日本語習得の姿

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このブログでは通常、仕事に関する話題は避けていますが、今回は現在の業務を通じて気づいたことを簡潔に述べたいと思います。

特に、外国人との会話が多い職場環境で感じた、文字(日本語)の習得についてです。

多種多様な外国人と接する中で、ほとんどの人が日本語を流暢に話し、コミュニケーションに困ることはありません。

中には、日本語の冗談も理解し、それを巧みに使う人もおり、さすがだと感じることもしばしばです。

東京では特に、駅の表示板が3カ国語以上で表示されるのは珍しくなく、行き先に応じては不自由なく移動できる人も多いでしょう。

しかし、表示板がどれだけ親切になったとしても、旅行者を除く中長期の滞在者にとって、日本にいる以上、日本語の習得は必須と言えます。

環境や仕事、社会的立場によって、「日本語なんて必要ない」という人もいれば、「日本語を勉強して来日しました!」という熱心な人もいます。

「日本語なんて必要ない」という人の中には、配偶者が日本人で代わりに話してくれる人や、短期間の転勤であるために必要ないと感じる人もいて、それも一つの考え方だと思います。

「日本語を勉強してきました!」という人の中では、アジア出身者が多く、クールジャパンに関心がある人が目立ちます。彼らの発音は比較的良く、日本語学校に通わずとも独学で日本語検定1級を取得したという人もいます。

「どうやって日本語を勉強したのか?」と尋ねると、多くの場合、アニメやドラマを通じてです。意外にも90年代のトレンディドラマのファンもいます。

「好きこそものの上手なれ」という言葉が当てはまるようです。そのような熱心な人は、書く能力も高く、メールの文もしっかりしています。

もちろん、話すことは得意でも書くことが苦手な人もいますが、その逆に出会ったことはありません。

書くことに苦手意識を持つ人は、多くが日本に来てから日常生活の中で日本語を身につけたようです。つまり、「必要に迫られて」学んだというわけです。

そのような人はどんな人かは、読者の想像にお任せしますが、環境から学んだため、礼儀正しい日本語を話す人は少ないように見受けられます。

これらの人々の母語については私には理解できないことが多いですが、恐らく彼らの母国語でも同様の言葉遣いをしているのだろうと推測できます。

人それぞれ生き方がありますが、言語の習得方法は個人の特性や能力に大きく影響されると、仕事を通じて感じています。

言語習得が苦手だからといって、それに見合った扱いをすると、その通りの人間になってしまうと私は考えます。

それぞれの得意分野を見極め、その分野に一生懸命に取り組むことができるような環境をこれからも作っていきたいと思っています。

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