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小6のむすこが、LDだとかギリギリ境界知能とか診断されるまで、「認知」(「意識」)なんてことは全く気にしていない生活をしていました。
ぼくも、残念ながら多くの人が考えるように、決定的な脳・身体障害等がある場合を除いて、人間の知覚はほぼほぼ同等のものを持っていて、下界に対する認知機能を生かすも殺すも本人次第だと言うことを考えていました。
つまり、通常の学級に通っている子が、学習・運動に関しての評点・評価が人によって変わるのは、当人の努力の度合いだと。。。。
目に見える障害は認めるけど、見えない障害に対する認知はそう言うことであって、自分が見たものしか認知できない怖さはこう言うところにあります。
立場変わって今となっては、発達・学習系の認識が足りない教員がいれば、担任だろうが副校長だろうが居たりすると「何言ってるんだ?」と偉そうに教育者に対して真顔でひと言、言ってしまっています。マジで。
担任も副校長もこんなおじさんが学校にカチコミに来て真顔で言われると逆に怖かっただろうと思います。
申し訳ございませんでした。こっちは真面目なんで。
認知機能について
LD何かの事を調べていると「認知」と言うことばが良く出てきます。
認知とは理解・判断・論理などの知的機能を指し、精神医学的には知能に類似した意味であり、心理学では知覚を中心とした概念です。心理学的には知覚・判断・想像・推論・決定・記憶・言語理解といったさまざまな要素が含まれますが、これらを包括して認知と呼ばれるようになりました。
e-ヘルスネット「認知機能」認知機能理解、判断、論理などの知的機能のこと。
これって、結構大事な事で、これが老化によって低下すると「認知症」となったりします。
認知機能とは
「認知機能」は調べてみても、高齢者の「認知症」(認知低下)に関する資料が多いですね、LDに関しては「”視覚”認知機能」等が大きく知られています。
心理学的な「認知」を行うための知的機能を総称した考え方を「認知機能」と言うらしいです。
つまり、外部からの五感からの情報を基に認識、言葉化、計算、記憶、学習をするんだそうです。
例えば、子どもが道路への飛び出しで車にひかれてしまうことが、昭和の半ばには多くありました。
ぼくも小学生の頃、現場を目撃したことがあります。
今は、交通マナーの向上、一部歩道の整備等のおかげで、だいぶ減ってきました。
しかしながら、こどもの道路への飛び出しは、現在でも無い訳ではありません。
車は来ていませんでしたが、ボールしか見てなくて、むすこも道路への飛び出しをしそうだったことがあります。
こどもは認知がまだまだ低下している状態なのでそのような事をやってしまうんだと今思うと理屈がわかります。
ジュニア選手の現状
運動をしていても同じような事が見られます。
小6のむすこは小1からサッカーチームに入ってがんばっています。
小1の頃は、当たり前ですがサッカーというより、お遊びです。
当時は「がんばれー」と応援するより、「かわいいー」と言いたくなっちゃっていました。
ボールが回って来てから考えたり、とにかくボールを取ろうと団子になったり。。。。
楽しそうなら「いいや!」親としてはそんな事を思っていましたし、いまでもそう思っています。
それが、当人たちは少しづつ変わって来て、自分、相手、味方、スペース、、、、認知的に観察するようになりました。
ただ、でもそうは言っても周りを認知的に観察は出来てくるようになっても、実際に親やコーチがもとめるこども選手を認める価値と言うのは、そこではなくて、、、
身体が大きい小さい、足が速い、多少ボールコントロールが上手い、おとなが言う勝利至上で気合があるようなものを持ち合わせた選手。。。。
そんな子が、良い選手の基準のような価値観がある雰囲気があります。
親はこどもが活躍するとうれしいし、コーチは自分への評価、新入部部員の勧誘等につながるから、そう言う方針や思考になって当然と思います。
認知は疲れる
認知というのはすごくつかれる行為だとむすこ、むすめを見てて思います。
特にむすこ。
ギリギリ境界知能ということは、おそらく働くべく脳の部分が少ない訳では無いですが、機能的に認知するべく脳の機能や連携に負担がかかっていると考えています。
それを、サッカーを通じてのトレーニングで脳の機能や配線を融通ができるようになり、少しづつですが、学習にも良い影響が出てきているそんな気がします。
学習をしていても、疲労が少なくなってきたのもそのあたりが良い効果があったように思えます。
LD系でとりあげられる、視覚認知や視野認知についてもそうです。
サッカーだけはうまくなりたいと思っているむすこは、自分でビジョントレーニングを勝手にしているように思います。
コロナ休校の頃に、漢字を覚えることに紙面や机上でのなぞり書きすら嫌がったむすこ。
じゃあ、ということで尻文字を始めて、体を使えばなんとかなると認識して、今はさすがに尻文字はやりませんが、体全体を使って漢字の練習を身振り手振りでやっています。
脳への負担を減らす
そして、この子には脳の機能に負担がかからない方が、安定して学習や認知機能が働くと考えたぼくは、運動は勝手にやるので、学習に関しては学校以外の課題は全て止めさせました。
むすこみたいな子は、とにかく現時点では脳を疲弊させてはいけないと思ったからです。
ただでさえ忙しいむすこです。
それに、嫌いな勉強や生活態度に関して「あーだ、こーだ」言っても、疲れるだけで何も出来なくなります。
脳が疲れると、体も疲れて、成長に不安も出てきます。
そんな感じで、しんどいことは言わない方が良いと考えてここまで来ている次第です。
まとめ
ぼくは学者や医者じゃないので、一般的な精神学、心理学、脳の認知機能に語れるわけではありません。
その情報を色んな本やネットを見て、読んで、むすことどう違うんだ?むすこはどう違うんだ?とむすこにあてはめて考える癖がつきました。ついつい。
認知、脳への影響と言うのをむすこを見て思うところを記述しました。
個々に記述したことは一般的なものではありません。
もし、ひょっとしてと思われる方は、これが運動ではなくて、それぞれの子が好きな事、得意な事をに置き換えてみても良いと思います。
いま、ガミガミ言っても成長の先食いなんかできる訳ありませんので。
偉そうに言ってスミマセン。
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