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この間、小6むすこの担任との面談で印象に残っているのは、、、
「まぁ、大学入学が最終地点では無いですからね~」
先生も何気に言ったことばなのですけど、まぁそうなんだろうな。
ぼくも、いちお大学は出ていて学士さんの免状をいただいております。
学生時代の生活費等は自分でアルバイトをしましたが、大学への学費は親が負担してくれました。
社会に出る前の4年間のモラトリアム期間を親が保証してくれたってやつです。
ただ当時の事なんか半分、親が「大学ぐらい行けるはずだから、行け」と言うから行ったようなもので、目的を持ってその学士免状を取りに行ったと言う意識はありませんでした。
右肩上がりの当時の日本ですので大学出ていればなんとかなるでしょ。と言う意識は持っていました。
悲しい話ですが現実にはそう思っていました。
それに、そのモラトリアムの期間に何か探せればと言う感覚です。
そんな意識しか無いから、その大学4年間に熱烈にこれをしたい!という事が見つかれば学校は辞めている可能性もあったかもしれません。
でも、親にこれだけ負担させてるし、自分もせっかく入った大学だからと言うことで、そんな勇気もなく。大学時代を楽しんでしまいました。
30年で様変わり
現在は、二人の小学生の親になっているぼくですが、その親から言われていた「大学ぐらい行くもんだ!」と言う念仏のようなことは、一度もこども二人には言ったことはありません。
本人が「行きたければいけば」とそんな風に思っています。
時代はこの30年の間に様変わりしてしまったからです。
なんとかしよう
当時の「なんとかなるでしょ」と言う意識では「なんともならない」そんな時代なんでしょうね。
でも、「なんとかしよう」とすれば「なんとかなる」場合もある日本ですので、まだまだ捨てたもんじゃないと思います。
ただ、「なんとかなるでしょ」という旧態依然とした制度に乗っかって生きてきた世代は現役でいるわけですから、これからのこどもたちはそんなおとなを見て成長をしないといけません。
しかしながら、そのようなこどもたちですが自然に身についた勘や想像力で、これまでの制度にあぐらをかいて乗っかってきた時代からはこの変化に慌てふためいている大人を冷静に見つめているように感じます。
特に、LDなむすこは字や図形を細かく見ることが苦手な分、まちがいなく動物的な勘が長けている子です(その代わり言語化が苦手)。
そんな子ですので我々のような旧態依然としたトンチンカンな考え押し付けて、勘を鈍らせ、彼が発見・創造するものを壊すような事はしたくないと考えています。
むすこは、彼なりに色々と将来の事について考えていて、稚拙な考えではありますがしょっちゅうがんばって言語化してぼくに話してくれます。
そこからはいつも(将来を)「なんとかしよう」と頭の中をグルグル回しているように感じがします。
その話を否定をしないで自分と意見が合わなくても怒らずに、聞く耳をもつことがぼくの役割だと思っています。
いまは稚拙な考えであっても、それが成長と共に積み上がっていき「なんとかなりそう」→「なんとかなった」と変化していくと考えてます。
目的を持った進学
まぁ、高度な学習を要するものであれば「なんとかしよう」を目的を持って大学で勉強をすると強いと思います。
おそらくですが(ごめん)、うちのむすこは大学に行って専門性を持って何かを学ぶタイプでは無いでしょう。
(大学に)行くことを目的にしていても「なんともならない」そんな時代になっているのだと先生は言っているのかもしれません。
これから、むすこが生き延びて行くにはどうしたらいいのか?自分の頭で考えておとなや仲間の意見を聞いて修正していく。。。。
柔軟に人の意見を聞きキャッシュを書き換えていくそんな性質なんでしょう。たぶん。
そんなむすこを手助けをしながら、持って生まれてきた特性をうまく楽しんで暮らして行こうと思います。
でもね、基礎的な学力は付けてもらうよ。何年かかってもいいから。
ぼくが死んだ時は自分でやらないといけないしぃ。
その時はその時で自分でなんとかしそうなむすこなんでしょうね。
死んだら、上から見てるよ。
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