|
昨日、ぼくが小学生に戻って「ピュア」な気持ちで「ごんぎつね」を読んで「珍・読書感想文」と題して記述しました。
取り敢えず、妻にも読んでもらいました。
そしたら。。。。
「すごいね。これ、もし小学生が書いたとしたら私が審査員だったら絶賛するけどね。
でも読書感想文コンクールには出せないね。」と一蹴されてしまいました。
「えぇぇぇぇ。。。。」
折角、渾身の力を込めて書いたのに、痛恨の一撃を食らったようでした。
ただ悔しがっても仕方ない。そのこころを説明してもらいました。
「これは読書感想文ではないね」
評論文だよ
率直にどこが悪いのか聞いて見ました。
「おとうちゃんが書いたのは、感想文じゃないよ。それは評論文になるんだよ。」
「なぬ?」
「そもそも、読書感想文と言うのは、自分の反省を書かないといけない。感想じゃない、反省だよ。」
「反省文かよ」
「そうそう、文章を書くことは国語かもしれない。でも、読書感想文の本質は道徳なんだよ。だから、おとうちゃんはおとなだし読書感想文にならないんだよ。」
「でも〇〇くん(むすこ)は、道徳人間だし、きちんと読書感想文に自分の反省みたいなこと書いてるよな。すごいよな。」
「それで「すいすいシート」だよ。そう書くように仕向けている教材だね。私はあの「すいすいシート」には懐疑的な立場を取るよ。今年は無くなったからまともな小学校になったと思うけどね。彼の道徳人間は彼の素質だし。これから反抗期でワンチャンどうなるか分からないけどね。」
「そうか、そう言えば昨日のぼくのごんぎつねの文は何の反省も無いもんね。」
「自分で、中山城のこと調べたり、マクベスの事書いたりしたじゃん、あれ書いても良いけど、本来読書感想文としては、必要の無い話なんだよ。コンクールで入賞は難しい。」
「ブログでも、仕事でもそんな文章しか書いてないからね。」
「そうでしょ。読書感想文は普通の生活をしているおとなには必要のないものなんだよ。だからこども教育に必要とされている道徳なんだよ。塀の中でも書くでしょ。」
「へー」
「大学の授業で散々言われたよ。所謂、全国各地から優等生が集まるわけじゃん。それって、みんなコンクールとか提出させられて常にそんな文章を書くのが慣れていている子が集まるんだよ。そんな子の集団に、1年生の時に文章書かせても、みんな読書感想文になっちゃうわけ。そこで、教授が(感想文のような)こんな文章は要らないって一蹴しちゃうんだよ。おまえらの反省文なんか大学の研究には必要無いって。そこで、大学では評論文が書けるようにみんな必死に勉強するんだよね。私も含めて。」
「最初から感想文なんか書けなくてよかったよ。」
「大学の先生は、学校の教育をもう少しやり方を変えた方が良いとまで言ってたよ。ここで教えないと一生反省文を書くようになっちゃう。個々の反省文なんか要らないってね。」
そんな事を畳みかけられるように言われてしまいました。
別にそんなつもりで書いてないんだけどなー
じゃあ、その「ごんぎつね」の評論文が書けているということは、「反省」するような悪い事はしてないし、普通に生きている証であると良い方向に考えたのであります。
読書感想文→大学で一蹴される
妻は相当「読書感想文」には辛い思い出がたくさんあるようです。
なにがあったか聞くつもりはありませんが、小学生の頃はとにかく一生懸命取り組んでいたようです。
コンクールの常連で大体県あたりまでは大体入選していたらしい。
聞いてないし、言われないけど、全国にも行ったようなことも匂わせてるし。
小学校では期待されていて、いつも先生や親から「今年も出せ」とプレッシャーが掛かってたそうです。低学年の頃は良いけど、高学年になると自我が目覚めて嫌だったんじゃないかなぁと思います。
そんな文章が書けるヨシコちゃん(妻:仮名です)は、読書感想文のような文章が良いものだとずーっと信じていて、大学に入ったら入ったで課題提出文書が「違う」と教授に否定されて、そりゃ、これまでなんだったんだと18歳のヨシコちゃんは思ったことでしょう。
そこで、自分なりにがんばって修正できたのはエライと思います。
読書感想文コンクールへの道
そこで、妻が自信満々に言う読書感想文を書く上でのコツを教えてくれました。
- 本は課題図書から選ぶ(自由読書は避ける)。
- 指定字数は守る。
- 原稿用紙の最後のマスに「句点」が来るようにする。
- (上記のように)文章を読んで、反省文を書く。
こんなアドバイスをもらいました。
上記1,2,3はむすこの学年主任も言っていたので現在もそうなのでしょう。
まぁ、これができれば当時のヨシコちゃんのように読書感想文コンクールで入選が手に届くかもしれません。
中学か高校の推薦入試狙う方は、一考していただくとよろしいかもしれません。
いえいえ、そんなアドバイスは、ぼくには要りません。
むすめに言ってくれ。
まとめ
以上、昨日の「ごんぎつね」の感想文だと思っていたものが、「評論文だよ」と妻に一蹴されたことを記述しました。
妻は、この話は絶対に、むすこ、むすめにはアドバイスしません。
なぜって??
「読書感想文は反省文だ!」と言っている以上、感情の表意ですので模範解答はありません。
従って、作文だって、図工だって、答えの無いものだから、自由な発想で作って欲しいという願いがあるそうです。(評価は別の話ですよ。)
課題でも落書きでも、何か書いてあればとにかくほめています。
相当辛い思いをしたんだろな。
そう察して、いっしょになってむすこ、むすめの成果物をほめちぎって親バカぶりを発揮している夫婦です。
コメント