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音読至上主義

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ディスレクシアむすこ。

音読の宿題は今年から出ていません。ひょっとしてむすこには出て無いのかもしれませんが、とにかく音読はやっていません。

音読至上主義的な考え方に踊らされて、5年生までは必ず毎日出ていた「音読」の宿題。

文字を読むことが苦手な事が気付かない頃から、感情を込めて教科書を読めていたのでさぞかし意味を理解しているのかと思うと、初見で読んだ段落は声を出して読んでも、お話しが全く理解していないことがわかりました。

「音読」と「理解」を同時にできないんですね。そんな特性です。

こんなんで「音読」を進めながら、ことばの意味の勉強をしたって、あらすじどころではありません。

ところで自分達が本を読む時に「音読」をしますか?

「黙読」として、頭の中で声にして読んでいると思います。

試しにむすこには「声を出さなくていいから、頭の中で音読してごらん。」と言いました。

そうすると「意味がわかった!」とは言いませんが、「わからない漢字がたくさん分かってきた」といっぱい質問してきました。

ぼくはこれで良いと思いました。

「わからない事がわかる」なんて良い事だと思います。

めんどくさい「音読」を排除する事によって、置き去りにしてきた疑問点が事が見えて、文を読むことが楽になってきたならそれで良い傾向です。「音読」もひとそれぞれなのかもしれません。

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勝手読み

音読イメージ

以前は勝手読みも多く、書いてある通りに読まない事も多かったむすこです。

しかし、それによって速く読むことができていたのも事実です。

今考えると勝手読みによって大きく意味が違ってきたりしなければそれでいいんじゃないか?と思うようになりました。

これもぼくの勝手な解釈ですが勝手読みによって読書力が育ってきているんじゃないかと。

丁寧に正しく読める方がそりゃ良いですが、たくさん文章や本が読める子の方が良いのではないかと考えるようになって、今では勝手読みを指摘するような事をあまり言わなくなりました。

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文字情報と音声の情報

むすこは文字によって情報を得ることが難しい傾向があります。

他の子がスラスラ話し言葉のように音読できるのに、自分が読めないのは恥ずかしいと考えていたようです。

みんなができるのに自分ができないのはとても悔しいと思っているんですね。

そこで、低学年の頃はクラスの一斉読みで、耳で全部文章を覚えてしまっていました。

短い詩だけでなく、長い文章もです。

すごい集中力です。こんなにがんばってるのです。

先生もそれには気付いていて「本当に、疲れていますよ。あれは。」と言っていた事もあります。

学習、発達の弱さってなんでしょうか?

逆に強みもあると思います。

こんな強みがあるのに、弱点ばかりクローズアップされて、それのカバーの方法は定型の子と同じ方法と言うのはちょっとおかしいと思います。

だから、余計な事と思う事は排除して学習を自らさせるようにしています。

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まとめ

音声で聴きとるのが得意と言っても、基礎的な文字情報の意味等を知らないといけません。

フレーズとして覚えるのは昔から得意です。

音の雰囲気として右脳で覚えることは得意であっても、左脳で言語化されたものを結び付けてアウトプットすることが苦手なそんな特性です。

従って文字情報も右脳で雰囲気で覚える傾向があります。具体的にアウトプットにつなげる左脳に届かないので、テストの点数が悪かったりします。

「経験から学ぶ」特性はそんなところから来ています。

わかっていても、具体的にアウトプットが苦手なところからです。

感情とダイレクトな右脳とそれを制御していく左脳。。。

同級生よりまだまだ幼さが残るのはそんな傾向から来ているそんな気がします。

今、一生懸命「卒業文集」を書いています。

自分のやりたい事をたくさん書いています。

これまで体験した事で好きな事を将来の夢に結び付けて、左脳を働かせてキーボードをポチポチ打っています。

もう少し大きくなったら、右脳と左脳の連携がある程度できてくれば、きっと良い傾向になることでしょう。

がんばりやのむすこ。

見守っていくよ

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