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昨日は、小3むすめの「RISU」タブレット講座の話をしました。
それを見ていた小6むすこ。。。。
いつまでも計算の感覚がわかっていないと思っていたのですが、小3レベルのものでしたら見てわかるようになっているようでした。
「お!それカンタン。」と言って暗算して、むすめに言おうとすると
「言わないでよー、わかってるんだから!こっちは真剣にやってるの!!」と怒るむすめ。
そりゃそうです、まじめに取り組んでいる時に外野がわかったからと言って、自分は分かっている問題とは言え、答えを先に言われるのは野次にしかなりません。
気持ちはわかります。
でも、算数の感覚で、わからなかった事が、わかるようになってきてないか?
なんかむすこの発言を聞いて喜ばしく思ってきました。
国語に自信が付いたかな
むすめの算数好きなところを見てむすこは「おれは算数だめだ!でも国語が良い!!」と言うむすこ。
「え?なんか言ってるぞ?」と突っ込みたくなりましたが、そこは押さえて。
先日の「漢字50問テスト」で合格点(90点)では無くて泣きが入っていたとはいえ、自分ではあれだけ練習して惜しい所まで行けたのが、自信になっているのかもしれません。
先生から何か励ましのことばがいったのかな??
算数苦手の要素
むすこの算数苦手な要素と言うのは大体わかっていたので列記しますと。
- LD特性のせいで、目や書字のせいで、計算式の桁(特にひっ算)が合わなかったりした(今は改善)
- 数量感覚が無い(計算の自動化が出来ていなかった)
計算式(特にひっ算)の桁を合わせること
1の筆算の桁を合わせることは相変わらず下手です。
筆算は小学生に課す計算方法としてはかなり高度なものだと思っています。
これに桁が増えてきたり、小数点が入って来ると、不注意や全体を見てしまう特性の人には難題です。
むすこにこんなひっ算を30問も40問もやらせるのは拷問だと思っていました。
やるなら、3問程度を式を分解して丁寧にやらせる方が効果がありそうでした。
ぼくだって、おとなになってからはこんなひっ算をするぐらいなら、頭の中で出来る訳じゃないし、正確だしイライラしないので電卓やエクセルシートを使ってしまいます。
いまでは、多少のとちりはありますが、成長と共にひっ算式を一個一個慎重に見るようになったようで、改善してきました。(但し、たくさんあるとかなり疲れるようです。)
数量感覚が無い(無かった)
2の数量感覚は、物体を見て数を数えると言う意味ではありません。
数字を見て数の概念と言う量的なイメージを思い浮かべると言うことです。
小さい時に「なんか変だな?」と思った時があります。
ミニカーのトミカを並べて、ミニカーを数字で数えることをしていました。
そこで「何台あるの?」と聞くと、さっと答えられなくてまた数字を言い直します。
それを何度も繰り返して、やっと「5こ!」と言ったりしていました。
そして、小学校に入ってからも指折り計算をかなり長い間やっていました。
一桁上がるともう大変パニックです。
「なんで、なんで???」こっちから見ると不思議です。
ところが、電卓使えばいいじゃん!と言い始めた小4の頃に突然、簡単な暗算やひっ算が出来るように改善してきました(但し全部は合わない)。
「なんで、なんで???」すげー不思議です。
それは実は、それまでは「数字」をトミカや指を「数量」としてではなく数字の「ラベリング」をしていただけだったと言う事に使うものだと、固定した考えをもっていたからだったようです。
つまり、「数字」は「数量」ではなく「順序」を数えるために、トミカや5本の指に「1,2,3,4、5、、、、、」と「ラベリング」していただけだったようです。
そんな子に低学年の頃に、おはじきや点棒を渡したって「数字」を量として考えられっこありません。
そんな事には全く気付かずに4年生ぐらいまでは数字としての量的な感覚がわからないまま成長していました。
それでこんなような事を連発していました。
「そんな車は、1億万円するよ」とか「ボルトは100キロを9秒で走る」「その船は1千万キロ長さがある」等々と「え?今なんて言った」と言うような荒唐無稽な数字を平気で言っていたことで言えるのかなと思っています。
数字の意味に気付いたむすこ
そんなむすこ。
ともだちとの会話でおかしなところを指摘されたり、意味が通じないことが中学年時代に気付いたんだと思います。
それは「数字」の数え方には2種類あると。。。
- 順序付け
- 量が増える
こんな感覚はすでに幼児の時代に持っていてあたりまえだと思うかもしれません。
そんな自分とは違う感覚のこどもがまさか自分のこどもなんて。。。。と想像すらできません。
そう言えば、この頃のむすこ。
ちょうどリフティングの練習、ゴールの数、ボールの数等スポーツを通して数が増えれば量が増えることに触れる機会が増えたり、おこづかい、お年玉等お金を数えて合計いくら?なんて実際のお金をじゃらじゃら数えだしたことを一生懸命やっていたことを思い出します。
そんな、数量感覚を日常で確認しながら身に付けていったのでしょう。
突然簡単な暗算やひっ算に真面目に取り組めるようになったのだと思われます。
計算の自動化
計算はある程度の自動化が必要です。
これには申し訳ないですが、訓練が必要です。
むすこが、5年生ぐらいになって「7+7=14」とか、「6+5=11」等、片手に余る数字のたし算ひき算を唱えていました。
計算に強いむすめに負けては悔しいと言う気持ちが強いのもあるようです。
計算の自動化については、本当はフラッシュカード等で訓練すると良いのかもしれません。
でも、それを提示すると「やらされる」感を持ってしまうので、あくまで自主的やると言う事でぼくは聞き役になっていました。
そして、「たし算ひき算」をクリアし、(意味のある)「九九」まで自動化できるまでになりました。
今では、むすめに生意気にもアドバイス出来るほどに。。。。
やったぜ。
自動化にもまだまだバグがあって、間違えて覚えている事もあります、そこはまだまだ修正の余地ありです。
がんばってね。
まとめ
数量感覚について、記述しました。
LD症状に気付くのが遅れてしまうのは、ぼくは「九九」を2年生で覚えることにも要因があると考えています。
数量の感覚が無いまま「九九」を覚えられる子はたくさんいます。
そのひとりがうちのむすこでした。
小2の頃バトルと勘違いしてクラスで2番目に覚えられた!と喜んでいましたが、それは歌のようにフレーズとして覚えているからで、何の為にあるもんだか全く理解していませんでした。
あんなの、「反対から言えるように」とか「よこから言えるように」とか「バラバラで言えるように」とかなんて、フレーズで覚えてしまっては何の意味も無いと思います。
逆に、むすめは全部は覚えていません。頭から最後までスラスラ言うのはめんどくさいそうです。
言いずらい段もあるのでそれが嫌いな理由でもあります。
この間も「こんな(九九)の全部覚えなくていい」と割り切った発言をしていました。
要所だけはきちんと覚えていて、頭の中で足したりしているので、計算間違いはしません。
効率的なやり方だなと感心しています。
算数だけではありませんが、学習のやり方と言うのは人それぞれで、一律にやれる子、やれない子をきちんと分けて指導されると言うのが大事なんじゃないかなと思います。
「九九」を覚えること、ひとつとっても毒になる子もいるし、薬になる子もいると言う事です。
むすこに関しては、今となってはだいぶ遅れてしまいました。
それが、親しか気づいてやれなかったことが、本当に悲しいです。
ごめんね。
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