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今年の夏休みは、むすこの宿題を手にほとんどかけない分、親としては穏やかに過ごせた8月だったと思います。
ここ東京でも、感染爆発していたコロナウィルスは、幸いうちには影響が出ませんでした。
健康第一で、病気も怪我もなくて、取り敢えずこの夏は無事に過ごすことができました。
「普通」の事
ぼくが幼少時はあまり体が強い方では無く、熱をすぐ出すような子だったそうなので、ふたりの子が生まれたそれぞれの時はとにかく生きている間は健康で怪我をしない体力や栄養状態を保って、充実した人生を送って欲しいと考えたものです。
ただそれだけ、それだけでした。
ぼくも妻も、お互いレベルの差はあるにせよ普通に高校と大学を出ています。きちんとやったかは別として受験勉強も経験しています。「普通」です。「普通」の人生です。
当然、むすこが小学生に上がった頃は、「普通」の人生をこどもにも歩ませたいと言うのが親心として出てきたこともありました。
それは、その「普通」をこどもに押し付けて子育てを完璧にして近所のパパママと「普通」の付き合いをしたいと言う事や、または自分の不安を穏やかにしたいということかな?と今思い返すとそんなところもあったかもしれません。
その後、うちのこどもはちょっと「普通」の教育では耐えられない部分が発覚しました。むすこは読字のディスレクシア、むすめは現在wisc凸凹高低差30の特性の事です。
そのせいかわかりませんがふたりとも、新しい世界に好奇心が人一倍あって頭も体も大忙しです。
小さい頃から水代わりに牛乳を飲んでいるのは、セロトニンを上げよう上げようとする脳の命令があるのかもしれません。わかりませんが。。。。
また、まだこどもですので親の愛情もまだまだたくさん必要です。それだけに「普通」の事を押し付けても今はそれどころじゃありません。
そんなこどもたちを見て、ぼくが歩んできた「普通」の人生と言う、こどもたちにはぼくの頭の中で作り上げていたイメージをあてはめるのはやめました。
彼らは彼ら自身で、有り余るほどの暇をスポーツで埋めたり、いつも何かを作成して埋めているのは、これから歩むべく人生を作って行く準備をしている、そう感じてきました。
不確実性
ぼくが、脳梗塞を5月末に患って、人生なんてわからない。そう思いました。
絶対無い事にしたいですが、どこで車が突っ込んで、頭に何が落ちてくるかわかりません。
何人も不確実性の出来事を避けることはできません。
それだけに、この瞬間、瞬間に経験したことを積み重ねて、自分の幸せを掴んで欲しいのです。
それは、おとうちゃんの幸せじゃないよ。
そう思ってくれても気持ちだけで十分うれしいよ。
おとうちゃんがやるべきこと
その為に、ぼくが出来る事は、特にむすこに言えることだけど、
- 読みのディスレクシアを改善していくこと。
- 全体を見てしまう特性をいくぶん和らげて、細部まで気を多少回せること。
いつも言ってる「森を見て木を見ない、木を見て葉っぱを見ない」特性と語彙力を普通のレベルにしていくこと。
この二つが人並みに改善できた「自信」が付いた時は、自分で人生の準備を考えている子は強いと思います。
有り余るほどの暇は今しか体験できません。その間の思考と言うのはこどもを強くしていくそんな気がします。それを矢継ぎ早に一流のドリルや教材、塾に使ってしまうのは、ぼくの不安を払拭したいだけだとかつて思いました(そもそも字がうまく読めなかったからできないし)。
ぼくが考えるこどもの未来は妄想です。
でも、むすこたちの考える自分の未来は将来であり希望なんです。
今一度、彼らが赤ちゃんだった時に彼らに与えたいと思った願いを思い返しながら、むすめの宿題の丸付けをしていたお父ちゃんだったであります。
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