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【ディスレクシア】思ってることの言語化のこと

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思ったことを口にすることができないことはよくあることだと思います。

頭で考えているけど言葉に出せない、あのもどかしさです。

こどもが小学校中学年、高学年になってくるのを見ていると、表現の変化に気付きます。

幼児の頃で少しおしゃべりになってきた頃は、何か言いたいことがあって話を聞いていると、話が長く、「うん、うん、そうだよねーえらいねー」と適当な相槌を打ちながら聞いてあげることが多くあったと思います。

まどろっこしい話の説明から入るんですね。

それから保育園でもおともだちとのトークが始まった時から、興味のある事の専門用語(トミカがどうのとか、プリキュアがどうのとか)が多く入って来ました。

小学校に入学してからは、表現や説明の仕方や語彙が増えてきて話が段々短く、情報量が濃いものに進化していき、今では、意思表示も端的に短く話すことがうまく出来るようになってきつつあって、ことばの修得によって、表現する力がついてくるのだなと感じるのであります。

うちには、(文字の読みが苦手な)ディスレクシア小6男児と、逆にことばの修得が旺盛な小3のむすめがいます。

2人ともおしゃべりな方なので、保育園時代から、トークは好き勝手なものを選んで話をしていればよかったので傍から見た、ことばの修得は良いように思えました。

学校に入ってからはそうはいきません。

特にむすこの場合は、好き勝手な世界ではありません。色々な趣味趣向をもったおともだち、それからたくさんの先生もいらっしゃいます。様々な人たちに自分の考えを伝えるのは相当苦労していると思います。

外の世界にポーンと投げ込まれた気持ちになったことでしょう。

社交的な特性は十分に持っていたのが幸いして、なんとかがんばっているようです。

むすめの方は親が敵わないぐらいことばの修得は速くて良いのですが、むすこの方は話を始めようとしても一歩二歩遅れるし、「え~っと、え~っと」となったり、自分の頭をバシバシ叩きながらまるで「ことばよ出て来い!」と言い聞かせるようにすることも良く見られていました。

耳から聞いたことはよく覚えられるようですが、耳から聞いただけでは意味も、読み方の応用も効きません。

辞書みたいなものを与えても、情報量が多すぎて紙に書かれた文字が、文字と分かっていても「インクのよごれ」程度にしか見る事ができない場合もあるむすこは、漢字のドリル練習等、比較的大きな文字で書かれているものを使ってことばの修得にがんばっているようです。

聞いたことあることばと、テキストに書いてある文字を一致させるのは相当疲れると思います。

最近は、その学習の要領を得て漢字テストでも合格点までは至らないですが、それに近い正解を得て来るようになりました。

それだけにこれまで、ご配慮を下さった学校関係者の方々や個別指導の先生、それに各教材や書物を提供して下さっている各社のみなさんには色々なヒントをいただき大変感謝しております。

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考えている事を「言語化」しよう!

ことばの個別指導の先生には「なんとか、3年生、4年生レベルぐらいには(ことばが)積みあがって来てますよ」と言われています。

これは本人には、すごい自信になっているようです。

何もやっていなければ、「カタカナ」さえ難しかったのに、ようやくここまで来てくれました。

そこまでくれば、他人が話していることも理解することができるようになってきましたので、ミーティングや授業でも、余所を見ていることも減ってきました。

他人の話が理解できたら、次は自分の考えや思ったことを分かりやすく「言語化」ができるようになれば、どんな人とも良いコミュニケーションを取ることが可能になります。

自分の考えを言語化するって言っても、思いついたことを好きな勝手な事を言っていることではありません。

コミュニケーションですので、相手の話を理解し、自分の考え・体験した事を思い返し、お互い共通の話題として表現することが必要です。

そのためには、

  1. 自分を客観的に見て
  2. 論理的に考えて
  3. 話を簡単に明白に表現

する必要があると思います。

その為にはむすこには現状、圧倒的に「語彙」が不足しています。

中学生になって、半分大人の対応を要求されることが多くなると思います。

そのためには、小学校3年生レベルではまだまだ足りないと考えています。

話し方は上手で「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どうして」の5W1H(知識としてはありませんが)のように話をしています。主語がなかったり、動詞がなかったりするような話し方はしません。とても丁寧に話をします。

このように意外に、論理的思考と要約した文章を考えるのはなぜか嫌いではないようですので、上記の3点はあまり教える事は無いのですが、反対に知識としての「語彙」を頭の中から想起していく力と言うのが得意ではないようです。

脳みそからの情報の取り出す方法、それはむすこには「経験」と言う方法が一番近道です。

よく体を動かして、外の世界と触れ、脳の細胞をつなぐ回路を活性化させるチャンスが今後も必要かと思っています。

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むすこにはサッカーでの経験かな?

サッカーノート

中学になって、サッカークラブチームに入ることを希望しているむすこは、今は半分遊びでやっているサッカーも益々高度になっていくでしょう。

ぼくはサッカーの詳しいところまではわかりませんが、

戦術や敵・味方・コーチ等とのコミュニケーションも。もっと大事になってくると思います。

自分のプレイひとつひとつに責任をもっていく必要もあります。

コーチやチームメイトにプレイの説明をしなくてはいけない立場になってくるでしょう。

そうなったら、嫌でも自分の語彙力、会話の能力を上げる必要があります。

これから、むすこたちが直面する問題は受け身のサッカー技術だけではなく、コミュニケーション能力、言語化能力を積極要素として用いると言う事に悩みながら、それぞれの精度を上げて行かなくてはいけません。

大変だよ。それぞれがんばれ。

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まとめ

考えている事の「言語化」と言うのは、むすこが今後生きていく上でとても大切な事だとぼくは考えています。

自分を見つめる事、責任を持つために、言語化と言うのはこれからの子たちには特に大切なスキルと思っています。

うちのむすこのスポーツのように、日常暮らしている上で、好きな事からスキルを上げる事が可能(?)かもしれません。

今学校で行われている「アクティブラーニング」的な授業はそれを見据えているものでしょう。

普段は統一の課題で意見を言い合ってますが、解答が無い事を多くやっているので、教科書はあってないようなものです。課題なんか何でも良いと思います。

そうなると当たり前のようにあった教科書もページ数が減り、基礎学力に必要な事はドリルやプリントでOKってことになり、電子教科書云々と出ますが、その前に教科書自体必要の無いものになるかもしれません。

学校の方針がしっかりしてれば良いと言う話ですから。

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