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来年度から中学生も2年目の我がむすこ。
相変わらず勉強に関しては他人事のような素振りです。
さて、彼らが学校で学ぶ意義について考えるとき、学力のみに焦点を当てるのではなく、その背後にあるさまざまな能力の育成の重要性を理解することが大切だと言うのがぼくの考えです。
学力は確かに重要ですが、それだけが全てではないということであります。
人間としての豊かさを育むためには、コミュニケーション能力、体力、芸術的センス、能動的な態度など、多面的な能力が必要とされます。
たまたま、ぼくら夫婦はたった5教科の偏差値で生徒はそれで全てだと測るような時代を過ごしました。
小学校中学校は総合的に学べる場であり、子どもたちが社会で生きていくための基礎を築くことがその目的だと考えております。
自分の事を思い出すと、むすこには学習を他人事とは思わないで欲しいことを分かってもらいながらも、伸び伸びと過ごして欲しいなと思うのであります。
ここに、(聞いてもらえるかわかりませんが)むすこに勉強が必要な理由を伝えるためのことを思いつくままに記述してみます。
勉強が必要な理由
- 基本的な知識の習得: 学校での学習は、社会で生きていくための基本的な知識とスキルを提供してくれるところです。
例えば、読み書きや計算といった基礎的な能力は、日常生活で遭遇する様々な課題を解決するために不可欠です。苦手と言っても少しづつは進化(!?)してるかな?
また、悪い人に騙されないための批判的思考能力も、学校教育を通じて養われるだろうとも思っています。 - コミュニケーション能力の向上: 学校での学びは、他人の話を正確に聞く能力と、自分の意見をはっきりと伝える能力(言語化)の両方を高めるところでもあります。これは、今後何を極めていくにしてもとても大切なものです。
特支教室の先生も、1年でだいぶ進歩があったとおっしゃっております。それを額面通りに受け取ったとしても外での活動(サッカークラブチーム等)が役に立っていることだと思います。
このコミュニケーション能力と上記1の基本的な知識を習得できたら、異なる背景を持つ人々と効果的にコミュニケーションを取り、協力して作業を進めるために必要なスキルとなり幅が広がることだと考えています。 - 興味・関心の拡大: 学校教育は、様々な興味あることもつまらない事も含めて分野に触れる機会を提供してくれるところです。
こどもたちは何が心に刺さるものがあるかわかりません。
これらによって、自分の関心を広げ、未知の領域に対する好奇心を育てることができるかと思います。
自分の好きなことや得意なことを見つける過程となることは、自己実現への重要な一歩となると思います。 - 将来の夢への橋渡し: 学校で学ぶことは、将来の夢や目標への重要なステップです。
医者になりたい子どもがいれば、科学や生物学の基礎が必要ですし、芸術家になりたい子どもは、美術や音楽の教育が必要になります。
義務教育は、これらの夢に向かっての第一歩を踏み出す場所になるでしょう。
まとめ
学校教育の目的は、単に知識を詰め込むことではなく、子どもたちが多面的な能力を身につけ、社会で自立して生きていくための基盤を築くことが理想だと思っています。
時代は変わって、テストの点数が低迷していてそれについて叱られることも無くなり、逆に学習についての配慮をしてもらいながらも、得意な事をしっかりみてもらい、本人が自信を喪失してもらうことを避けようとする姿勢が学校側から受け取っています。
学校からの方針を生徒側も共有しているようで、生徒間のお互いに出来る事を尊重しあっているようになっているようです。それによりむすこにも活躍の場ができることもあり、それなりに学校生活を楽しく過ごしているようです。
スポーツも出来て勉強も出来て品行も優れている模範的な生徒が「優等生すごいねー」と、一目置かれる時代は終わって、ある分野では出来ると言う、ある種分業的なことが若い子達の間では起こっているような気がします。
学校と言う小さな社会でのオブジェクト指向的な考えが若い先生、現代のこどもたちにあたり前のように染みついているように思われます。
全然時代は変わっています。
そう考えると、全員が全員同じものを全部習得できてあたりまえと言う時代ではなくなるのかな?とも思います。
今の中学生の教科書ってぼくの時代よりかなり高度ですよ。全部やれる訳無いだろと言わんばかりに・・・
勉強が苦手な子どもでも、得意な分野を見つけて伸ばすことができれば、それは大きな自信となります。
そんな中、親としては、子どもたちが自分自身を理解し、自分の道を見つけることを支援することが最も重要です。
勉強はそのための一つの手段に過ぎません。
子どもたちが将来社会に出たときに、自分の足でしっかりと立って、自分の人生を切り開いていけるよう、幅広い学びと経験を提供することが、私たち大人に求められているんじゃないかな?と思わざるを得ないのです。
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