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冬休み年末年始は、おとなもこどもも忙しい。
それでもなんとかやりきってしまえるのは、世間が完全休日で安心して自分の身の回りのことができるからかもしれません。
かつて独り暮らしの時だって、年末年始は寝てても良いだろと安心していられたのは、他人からうるさい事を言われない安心感があったのかもしれない。
そんな風に個人的には平和な正月を過ごしたいですね。
ところが、自分の首を絞めたと気付いて元旦から営業するところが減って来てはいますが、90年代初頭ぐらいから、いつの間にか元旦からスーパーやデパートが開くようになりました。
ぼくがこどもの頃の正月に行くところと言ったら神・仏参りでしたが、お店が元旦から開くようになった頃から、それにつられるように、自分もなにか忙しくしていないと「充実していない」と思われるんじゃないかと言う、何か焦燥感みたいなものに尻を叩かれてきた「失われた30年以上」だったように思います。
お正月に海外に行くと、まだ街中にはクリスマスの飾りが残る中、平気で午後3時ぐらいに閉まっちゃうショッピングモールや、完全休日を取っているお店やスーパーあったりして、そんな中、日系のデパートやコンビニだけが店を開けていたりするのを見ると、「売上もそりゃ大事だけどなー」と複雑な思いをしたことがあります。
ぼくは、どちらかと言うと親は「他人に迷惑をかけないように」と育てられた戦後教育を受けた昭和の申し子です。
それに加えて親は「世間体」が第一だから、高校だって、大学だって、就職先だって、近隣のおじさんもおばさんも、おじいさんもおばあさんも、ひと言言えばわかるところに行く事を望みました。
たまたま、いちおそんなところには行けたのですが、
そう言うところに行くと言う事は、何千人も入学、採用して、同じような常識・思想、学力を持った人間を、理念とかフィロソフィーとか精神とか社是とか、、、そんなもので各機関に所属し右に倣えの教育を定年までされるわけです。
要するにみんな一丸となってと言うことです。ぼくの友人の多くはその類なのでそれを良しとする人も一定数いるのは皮膚感覚でわかります、それで今の日本経済がまわっているのでしょう。それはそれでとても素晴らしい事だと思います。
戦後や災害復興の時はそれが大いに役に立って、この「失われた30年以上」が始まったころまでグリップが効いていたわけですが、こんなに働いてもこんなもんになっちゃうニュースを見ると、本当にこれまで信じて疑わなかった価値観を変えないとやばいよ。と思うのです。
これまでの路線でと言うのは良いのですが、やり方ではなく価値観と言う抽象的ものなのですが、そこが難しいですよね。
みんなに助けてもらっているむすこ
上記のようなことを考えることは考えるのですが、将来の事はよくわかりません。
そんな中、ぼくにも40過ぎてからですがこどもができました。
40歳以上も離れていると、孫みたいなもんです。
むすこは中1、むすめは小4。
親バカで申し訳ないですが、何を言われても「かわいい」としか思えないです。
そんなむすこが産まれた時は、「学習障害」なんてことばすら知りませんでした。
そのことばを知らずに、または学業も普通にこなせるような子でしたら、嫌なもの(勉強)を自分が親にしてきたように得意も苦手も関係なく強要していたでしょう。
でも、この4年間むすこと一緒に勉強してきて、彼と向き合ってきて、それをしないでよかったなと感じます。
学校に入学して6年ちょっとですが、彼が自分で得意な分野を見つけ出し、不得意なものも不得意なりに懸命に取り組んでいます。
「みんなに、助けてもらうの得意だもんな。」そう先生が言います。
得意なコミュニケーション能力を使って、みんなと同じように理解したいから助けてもらっているのでしょう。
全てのことがわかるなんてありえない。
むすこの場合、わからない事がみんなよりちょっと多いだけ。
それを補う処世術が備わってくれて、親としては安心しているところです。
嫌いで無くなったもの。
不得意なものが嫌いでなくなったもののひとつに「書道」があります。
むすこ、冬休みの宿題の書き初めも張り切って、練習紙もたくさん使って満足するものを仕上げていました。
国語の先生曰く、書道の時の「集中力」が半端ないそうです。
「え、おとうちゃんと同じで書き初めなんてめんどくさいもの嫌いじゃなかったの?」
「お、そんなことねーよ。おれいつも書道は先生に褒められるんだ。」
と、書き上げて提出用のものを見せてくれました。
書道のことはよくわからんけど、確かに落ち着いて書いているように見えるぞ。
サッカーの試合で、フリーキックをよく蹴らせてもらうそうですが、その時の集中力がここにつながっているのかな?
成長期、やって無駄なことは一つもない。
って、そんなことを考えたお正月でした。
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