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昨日のむすこ小学校最後の個別指導の続きです。
どんな人でも学びなんてものは区切りがなくて、突き詰めていくと永遠に終わるものはありません。
こんなぼくだって、仕事上必要なものは勉強をしていかないと大間違いを犯してしまう場合もあります。
日々勉強です。
むすこの学びは、小学生が終わると言う期間の区切りがあったというだけで、明日から一新されるというのは避けたい気持ちがあります。
「中学生になったら、勉強が難しくなるよー。算数は数学になるし、英語だって。。。」
無責任な親族や他人はそう言ってきます。
知識補充レベル的には、そうかもしれません。
でも、あくまで、今までの延長でやっていってもらいたいのです。
焦らすと碌なことがありませんのでそう思っています。
ひょっとすると、特性活かせて今以上にスピーキング英語が得意なものとして彼の中で再認知できるかもしれませんし、理屈っぽいものが好きなので、論理学的な数学問題が苦にならないかもしれません。
あくまで今は「もしも」の領域の中での予想なんですけどね。(勝手な願望もあるかもしれません?)
そんなむすこへですが、これからも、今までの学習への対策プラス、得意なものを発掘できるようにしてあげて行きたいと思います。
「おれ、中学生になったら”神”になってやる!」と豪語していることですしね(中二病丸出しです)。
見えない障害への社会の意識
最後の個別指導のST先生も、むすこの指導が中途半端に終わってしまった感がいっぱいのようでした。
ひょっとして、小学校分全部終わらせたかった???
無理無理!!それじゃここに療育に来ていません。定型児と一緒です。
実は、通っていた「個別指導」をしてくださった学校は比較的重度の障害を持った子を支援することが多い学校です。
それだけに、情緒的なものも運動系にも問題は無くて、むすこのようなLDだけが問題の児童を見るのはレアケースのようでした。
今後、このようなパターンの障害の子が殺到すると学校も予想しているのでしょう。
それはこの間での3月14日で閣議決定した「障害者基本計画」資料でもわかります。
障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針の変更(411KB) PDF
障害者基本計画(第5次) PDF
そんな、不十分なものもありますが、ぼく的には我々を取り巻く背景や意識が急速に変わって来たように感じます。
ぼくが、このブログを始めた3年程前からはだいぶ変わって来たと皮膚感覚でわかります。
注意しないといけないのは急速に変わって来たので、こう言う時期には一定期間の過渡期が入ります。
この過渡期においては、障害者に括られる方への意識や価値観を変えられない方も多くいますし、更に「見える」障害以上にないがしろにされてきた「見えない」障害への意識や価値観はもっと理解してもらえないが多くあると言う事です。
また、口ではわかった振りをして、個別には旧態依然とした間違った指導をしてしまう担当者もいる事も否定できません。
そう言う担当者は今まで、周りにいなかったからわからないのでしょう。
「根性」が足りないからだと考えて、わかろうとしないのかもしれません。
ぼくは、むすこのLDが明るみに出てからは、日本語の辞書から「根性」「気合」「喝」等と言うことばを凍結して欲しいと何度も心の中で思いました。
ゴールは無いのだ
また、「高校に入学できた!」「大学に入れた!」「ギフテッドだった!」等を、ゴールとして考えたくありません。
また、本人が望む場合は別として、将来の生業を定型児が行うものと机を並べて仕事をするのは、フェアーで無いと考えています。
自分の特性や強みを知っているのは、親であるぼくではありません。
これだけ、取り組んできましたので、本人が一番よく分かっていると思います。
学習障害は決して強みになるものではありませんが、自分の能力に折り合いをつけて将来の生業を自分で見つけて欲しいと思います。
親として言いたい事はありますが、わざと態度に出したり、余計な事を言わずに見守って円滑に社会に出ていってもらいたいなと考えています。
ありがたい学校のお話し
さて、これまでの学校での「個別指導」ですが、先生方としても永遠に続くLDへの指導がここで中途半端に終わってしまったことと、実例に最適な児童(むすこ)がこのまま去ってしまうのは、惜しい感がいっぱいのようでした。
そこでここで終わりと言う訳で無くて、たまには事後報告、それと万一学校での「特支教室」が合わなかった場合には、2学期からでも、1年後でも3年後でも、高校に入ってからでも、復学OKと言ってくださいました。
LDの療育場所を見つけるのが難しいのが相場の中、本当にありがたいです。
これからも連絡を取りながら、中学校へとむすこを泳がせていこうと思います。
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