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さっき、朝のみんな通勤に急いでいる時間の駅でですが、白い杖をついているご高齢の方に声を掛け駅までついて行かれていた方を見かけました。
その場所は駅前にも関わらずに自転車に乗ったままでは、越えるには難しい段差があるところ(構わずみんな乗り上げてるけど)で、目が不自由な方には危ないと思われるところです。
ぼくは、最初は杖を確認できないぐらい離れていたところにいたのですが、近づいてみたら白い杖と目が不自由そうな感じの方でしたので、声を掛けてくださった方はナイスプレイでした。
目に見える事の為のユニバーサルデザイン
むすこがこんな感じ(LD)なのでここ数年、ユニバーサルデザインなるものにも目が行くようになりました。
築30年以上のものまで(バブル前後)に作られているものって、建築物も含んでユニバーサルデザイン的なものを考えられていないものが多いですよね。
作るスペースも無いし、お金もかかるし、なんてのがその理由の主だと思いますが、そんなことより所有者、管理者の思いやりに欠けるようなところもあるような気がします。
該当の段差だって、改良しようと思えばスペースなんか要らないし、あとはお金の問題?もう何十年もそのままであるのが時代にあっていないと思います。
所有者さんも車いすに乗るような事があって初めて不便さを感じるのでしょう。
ところであそこの駅前の所有者さんはだれなのかな?都?区?それともどこかの外郭団体?
登記簿見ればわかるか。
目に見えない事の為のユニバーサルデザイン
このような、目に見えるユニバーサルデザインでさえ、昔のままであるのですが、目に見えない生まれつきの障害に対しては更に声をあげていかないと到底分かってもらえないのが現実です。
一見普通に見えても、読み書きが苦手な方、黙っていればわからないけど情緒的なコントロールが難しい方、要するに脳の特性に関するものです。
うちのむすこの場合みたいに、検査をして色々あって学力が追いついていないという結果が出ればそれなりの学級で支援計画立て自治体の方で対応してもらえる場合があります。
でも、読み書き苦手でもこれまでそれなりに一生懸命やってきて、見た目以上に基準の指標結果が良かったりした場合はどうなるんでしょう?
支援がされない、もしくは打ち切りになる事があると聞いています。
WISCでかなりの凸凹結果が出たにも関わらず、支援級はまた今度ねとされてしまった、うちのむすめが良い例です。
数値で基準を作らないと、際限なく関わる子を作って行かないといけないのはわかります。
それは、これまでの教育の限界なんじゃないでしょうかね?
今年度はそんな事をよく考える1年だったような気がします。
おかげさまで、むすめの方は昨年度と違って、担任以下良く対応をしていただき、普通級だけでだいぶ落ち着いてきました。
ユニバーサルデザインの穴を塞ぐむすこ
「おとうちゃん、今日も良い事してきたよ。」
「何?」
「あのね、目が不自由な男の人がいて困ってそうだったから、”何か手伝いましょうか?”って聞いたら、駅に行きたいっていうから、手を取って案内してきた。」
「そんなことできるのー、すげー!よくやったね。階段も案内したの?」
「うん、あたりまえ!学校でね、困った人がいたら助けてあげましょうって習ったからね。」
ユニバーサルデザインデザインが必要な子の方が、自然にユニバーサルデザインの穴を塞いでくれています。
こどもはすごいですね。
むすこは、自分が困り人だけによくこう言うことによく気がつく方です。
人間だけじゃなくて、その辺飛んでる鳥にも、動物にもです。
細かい変化や状態に敏感に気づく方で、不思議なところがあります。
この時はともだちもいたんだろうけど、駅まで行けない君たちがよく行けたね。
次の遠征の時は、集合場所の駅まで付き添うのはやめてみよう。
自立の道がまたひとつ開けるかもしれません。
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