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【dyslexiaディスレクシア】一点を見るのが苦手な子

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先日、空間の把握と俯瞰力が素晴らしくそれに加えて画を描くのが得意なディスレクシアの方の画を拝見しました。

誠に素晴らしい画で、食い入るようにみてしまいました。

これらの能力が重なり合うと、ここまで細かく奥行のある画で表現できるのだと、羨ましく思いました。

さて、うちのディスレクシア小6男児ですが、サッカーをプレイしている時やその辺を歩いている時等は、「上から見ているような感覚がある時がある」といつも言っています。

最初は何か不思議な事を言うなぐらいだったのですが、スルーパスが得意のようでうまくいってアシストが毎試合できるようになってきたので「なんでそんなにうまくパスできるんだ?」と言うと「行けそうな子に目で合図する」と言っていました。

しかも「相手の動きも見えるし、敵が近づく音も聞こえる時もある。」と何だかオカルト的な事を言う始末です。(過度ではありませんが音に過敏なところがあります。)

どこに人が居て、スペースはどこにあるのか、予め把握できている時もあると小さい頃から言うのです。

先日も、ぼくは行っていませんが妻が試合を見に行った時コーチが「すげー、〇〇ちゃん(むすこ)いつも痺れるパスするな~」と何人かの方で感心してたようです。

うちのむすこは画を描きませんが、全体と空間の把握を画描きとは違う利用方法で活用しているようです。

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上から見える(全体と空間の把握)をむすこに聞いてみました。

サッカーコート
サッカーコート

「グラウンドでさ、上から見えるってどんな時?」とむすこに聞いて見ました。

「プレイに集中している時は無いけど、笛が鳴った時とか、シュートした後の合間にボーッとする時があるんだよ。」

「試合中に考え事するの」

「考え事じゃなくて、頭の中に何も無くなって、そんな時に上から見てどんな位置になってるのか見える。」

「へー、いつもじゃないんだ。」

「そりゃそうだよ。ドリブルしてる時はボーッとは出来ないじゃん。でも大体みんなの位置は覚えているよ」

「外で遊んでる時も?」

「外でみんなと騒いでいる時は無いけど、ひとりで帰ってくる時とかにボーッとなった時に、上から見てるような感覚になる。だからね。建物の中は嫌い。何が何だかわからなくなる。」

「へー、それを生かせればいいね。」

「だから、おれはサッカーがんばってる!」

そんなことを教えてくれました。

むすこ曰く「ボーッとすると」上からみるような感覚があるのですね。

常にではないところが肝だと思います。

実は、2年前ぐらいにも同じことを聞きましたが、こんなには話してはくれませんでした。

まだまだ拙いですが、言語化もだいぶできてきましたね。

これで、「イオンの中に入ると迷路に入ってるみたいで不安になる」と言ってたことがありますが、何となく謎がわかったような気がします。屋根があるとだめなんだ。

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全体や結論を先に知りたい特性

授業中や他人の話を聞かないといけない時、むすこはそっぽ向いたりしていて一見「ボーッとしている」ように見える時があります。

授業やおとなの話がつまらないと言うのもあると思いますが、教えてもらっている時でも聞いてる振りをしない子です。

そんな時はどんな事を考えているのか?

むすこに聞いて見ると「何をするためのことかわからないから、何を言っているのかわからない。」と言うようなことを言っていたことがあります。

学校やおとなは、基礎から積み上げようとこどもに強いります。

むすこの場合は、まずは全体を見てしまう特性から、基礎の積み上げに必要な小さな小さな一点の部品や方法を見る事は苦痛なのでしょう。

「だからそれは何が必要なのか?先に教えろ!!」と頭のどこかで叫び疲れて、そっぽ向いてしまうのだと考えています。

だから最終的には、どんなプロセスで最後はどうなるんだと言う好奇心が向き注意が散漫に広がってしまうのです。

全体がわかってとしても、その構成する部品や方法は探求したくないので、学習には結びつきません。

いつも言う「山を見て木を見る事ができない」のはこんなところなんでしょう。

大抵の事、特に学問は最後に全体にまとめとして出すのですが、まずは全体を捉えて、全てを把握してしまおうとするそんな特性があるのであります。

全体を教えて、何をしないといけないのか?そんな流れを丁寧に掴ませないといつまでたっても学力の向上は無いでしょう。

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文章や他人の話を聞く時

文章を読んだり、他人の話を聞く時も同じです。

文章を読む場合は単語が目の中にパッと全部飛び込んで来て嫌な気持ちになって読みたくなくなります。

これは、低学年の頃は顕著にみられました。

そして、全部暗記したり、またはズレた意味で推測して文章を適当に行飛ばし等をしながら読みます。

そんな事を繰り返して文字や文章を読んでいたのです。

話を聞く時もそうです。

はやく結論を頭の中で急ぎます。

話下手で冗長的な話をするおとなの話は聞きません。と言うか耐えられません。

最後の結論である、自分が知っておくべきことだけを聞きたいのです。

途中に大事な話があったとしてもです。

先日、発達診断で他人の話を理解することが遅そかったり、何度も聞き返すことがある、そんなことで境界知能と言う診断がでました。

心理士さんがおっしゃる、話を区切って、大事な話を短くまとめて伝えることが必要と言うのは、なるほどそんなことからなんでしょう。

なるほど、ディスレクシアむすこの特性の全体像の一部が分かってきたそんな感じです。

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まとめ

全体を把握しないと気が済まないディスレクシア特性のむすこの事を記述しました。

物事には流れや順序があります。それが適切な順に沿って教育課程等は出来ているのだと思います。

それを、勝手にすっ飛ばして理解すべきことが前後してしまうと、教育を受ける過程としてはそんな風には出来ていませんので、理解が遅れてくるはずです。

教える方も、学年を越えて前後して指導するのは大変だと思います。

また、教わる方も、教える方も、きっちり6年で終わるように効率を考えて指導要領が考えられているとも考えられます。

ただ、それは素直にそれが受け入れられる人のみなんでしょう。

一定数の子はそれが耐えられません。

うちのむすこはどこで帳尻が合ってくるかわかりません、一生帳尻が合わないかもしれません。

先の事はわかりませんが、将来困らないように一緒に付き合っていこうと思います。

その細部がある程度みれることが大事だと言う事もわかってきたので、気が触れない程度にがんばってるむすこです。

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