|
小6ディスレクシアむすこ。小学校最後の3学期最初の週が終わりました。
文字列を読むことに絶望していた3年前ですが、国語の学習は「漢字を読む」ことだけを考えて取り組んできました。
読み方に詰まると、ミチムラ式漢字カードを1枚ずつめくり「これなんだ?」と「読めるようにしようね」ととにかく読むことを中心に言い聞かせて練習しました。
この3年間でどの程度読めるようになったかと言うのは、具体的には記録していません。
3年生の3学期までは、漢字どころかカタカナも怪しかったむすこでしたが、今では読みの方では「定型児」と同程度に達してきたようになりました。
漢字ばかりか、英語も読みは結構いけます。
動画、テレビ、外出時の表示もかなりいけるようになりました。
ぼくなりのむすこの学習分析
こどもによっては情報量が多すぎる。まじめさからくる苦しさ。
学校での漢字の教わり方のどこが合わないのか?
ぼくなりに分析してきました。
それは、学校の漢字学習は教える情報量が「多すぎる」のです。
「読み」もたくさんあります。
「書き」はトメ、ハライ、ハネ
「意味」もひとつの漢字で複数出てきます。
これを同時に教えてくれるのです。
先生も責任がありますので、教えないのは責任が果たせないと考えています。
さらに何回も反復練習で書かせたりすることで身に付くと考えている方(特に几帳面な先生)もいらっしゃいます。
正しい字が書けるまで何度も訂正させる場面もありました。
いい加減だったぼくみたいに、習った事を勝手に取捨選択して「これは、また次出てきた時におぼえりゃいいや」みたいに「あとでねー、バイバイ!」って割り切って勉強すればよかったのかもしれません。
むすこは、いい加減なところがあまりない子で、まじめ過ぎるところがあります。
そんな特性も災いして「全部覚えないといけない」と考えがあって、気持ちばかりが焦りが、文字をひとつひとつ意味のあるものとして分解して見れなくなっているのです。
そして、文字列、熟語が塊に見えてしまうのです。
目の動きが悪いとか、そんな事も考えたこともありますが、それは無いと専門家には言われています。
運動、特に球技が得意なのでその線は無いでしょう。
従いまして、紙に書かれている文字を一個ずつ拾っていく、脳の特性が悪いだけなのです。
反復練習、むすめとの違い
凸凹特性で、発達傾向がある現在小3のむすめは、見たままのものを覚えるのが得意です。それによって「反復練習」がとても苦痛です。
昨年度むすめを攻撃していた担任のように、細かいチェックをすることによって自信を失わせ、それにより自己肯定感も意欲をなくなりました。
更に「覚えるまで書いて来い」なんて嫌がらせのように言ってきましたので、元来、知識を覚える事が好きなむすめを学習から遠ざけてしまいました。
熱心さなのか、融通が利かないのか、自分を守るためなのな何だかわかりませんが、教員も導き方を間違えると逆の効果になるのです。
むすこの場合は、1年生の時はこのような先生にあたって本人は大変な思いをしていたようですが、3年生になりLDとわかってからは、教員みなさん協力的でむすこに合ったやり方を考えて下さって、とても助かりました。
おかげさまで、「学校は嫌だ!」と毒づきながらも、ともだちに会いに学校だけは通い、真面目に宿題に取り組むようになりました。
そして、不思議な事に「書かせる」漢字練習も適度に出来るようになってきました。まじめさ故なんでしょう。
文章をことばに分解して読めるようになってきた、むすこ。
むすこは少しづつですが、「文章→ことば→文字」を分解して細かく見れるようになってきているように感じます。
低学年の教科書のような「分かち書き」読みが、通常の文章で読めています。
文字列をことばや熟語として見れるようになった証拠と考えています。
文章をことばで区切るところが急速にわかってきたようです。
「触るグリフ」をはじめてから顕著に効果が出てきました。
音読、黙読、書字だけでなく、触ることにより脳を刺激することによって脳機能と脳の配線が変わって来たのは間違いありません。
「森を見て木を見れない」「木を見て葉っぱを見れない」そんな特性が変わってきました。
後は、学習が遅れていることによるイメージの言語化をどうするかです。
これも、「えーっと、えーっと」と言いながらもがいているのはそのことからでしょう。
何かのきっかけを見つけてあげられるか?自分で対応できるか?
そこを模索して見ようと思います。
コメント