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ぼくは小さい頃から高学年頃まで体が小さく、いつも親に「あんたはごはん食べられないから大きくなれないんだ」と言われていました。
食べたく無かったのか?食べなかったのか?貧乏で食べさせてもらえなかったのか?小さい頃の事なのでよくわかりません。
ごはんのおかげだったのか、運動神経が悪かったのかもわかりませんが、とにかく小学生までは、体力が無かったせいで、小学校の頃までは体も弱く、体育はまるでだめで、走るのも遅くて一生懸命やってるつもりでもだめで今でも付き合いのある親友はすごく足が速くていつも羨ましく思っていました。
ぼくの方の家系は代々運動が得意な人が多かったらしいですが、ぼくは運動会のリレーの選手になれるどころか、運動会の徒競走ではいつも最下位を争うような子で、親には常にぼやかれていたと言う記憶があります。
時代が時代なので、徹底的に不得意分野を責められて自信をなくさせるような事を言われていました。
ところが、成長期を迎え背が伸びてくると、たくさん食べるようになって。自然に体も大きくなりました。
その栄養によって強い体と、体力の基礎がついて来て、学校の先生方には走り方を、水泳ではスイミングスクールに通い泳ぎ方具体的に教わって運動は普通に得意になりました。
中学生以降は、人並みに走れましたし運動は出来る方になっていましたが、小さいころから親から運動の事を責められたことがかなりこたえていました。
ですので、運動が得意になっても、好きと言えることは未だにありません。
こどもの頃の心に残った影響と言うものは、この齢になっても残るものなんですね。
気を付けないといけません。
がんばれ!がんばれ!
運動が不得意だったり、学習が不得意だったりする子に対して、おとなは「がんばれ、がんばれ!」と声掛けします。
水泳の話ですが、「がんばれ、がんばれ!」と必死に応援してくださるのはありがたいですが、どうやったら泳げるようになるかなんて教えてくれません。
ともだちを見よう見まねでやっていけば、普通に基礎体力のある子はなんとかうまく泳げるようになると思います。
でも、がんばっていても、無理な子も確かにいるはずです。
「がんばれ、がんばれ」と言われただけでは疲れ切ってしまいます。
じゃあ、どうするんだ?
まずは、「ビート板や浮き輪を使ってみようぜ」と補助具を付けてあげるのが手だと思います。
「おとなになったら、浮き輪なんかつけないだろ!」
「みんな、浮き輪なんかつけてないから、不公平だろ!」
そう言う事を言い出すおとなもいるでしょう。
そうすると、出来ないものもでも出来るようになる方法があるのに、一生できないままで終わる場合があります。
それに、さすがに現代ではそんな事は言い出す方は少ないと思いますが、最初から出来もしない事を要求して、溺れて行く事も防げるはずです。
学習・発達に苦労している子だってそうだと思います。
その子それぞれの方法や補助具を取り入れることによって、成長の可能性につながるんじゃないかと思うのです。
環境を用意してあげて、こども自身が成長し、自分の力で歩むきっかけをつくる。
ひとそれぞれのやり方が必要なんだろうなー
そんな事を考える今日この頃です。
電卓は色々使ってきました。普通の計算だったらこのあたりがぼくは一番使いやすいです。
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