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文字については、3年生~4年生中期ぐらいまで漢字が積み上がってきた、ディスレクシアなむすこです。
おかげさまで、小3むすめがやっている漢字ドリルや計算ドリルを見ると教えることもできます。
人に教えると言うのは、記憶の定着にも良いようです。
むすこも、わかっているのか、意図しているのかはわかりませんが、むすめとは限らずに忘れないうちに習ったことを披露することが多いむすこです。
授業で聞いたことはよく覚えてきているのでそんな事ができるのでしょう。
でも、紙に書いてあるものを覚えてこい!となるとそこは厄介なようです。周りの方の手助けや、読み上げ、それから動画(NHK等)の動画が必要になってきます。
紙に書いてあるものが判らなくなると言うのは、それはディスレクシアだからです。
見たものが、共通の認知として意味をなしているものが、違うものに見えてしまうからです。
要するに、脳の機能障害って言うのでしょう。
いや失礼。共通の事での苦労がある方には、その「機能障害」と言うことばはどうかなと思います。
そう見えてしまうから仕方がありません。
文字・数字の認識
計算の数字、特に筆算の桁が揃わなかったり、数字が正確に例えば「5」と「6」を分別して書けなかったり。また文字でも極端にカタカナが不得意なのは普通に文字がそう見えなかったからだと思い出します。
見たままの文字を無理やり学校で習う文字に修正させようと親や教員が「字をきれいに書きなさい!」なんてスパルタが始まってしまうと、ますます混乱して、いざ自分から書字をする時も混乱したままの文字・数字の認識で書いてしまうので、他人が見て解読不能なものを書いてしまうこともあるのです。
「あなたのためなのよー」っと、こどもを思うおとなの気持ちはわかりますが、その思いというものを本当の理解が無い場合は悲惨なものになってしまう場合もあると聞きます。
これまでの学校教育をパスできた人間には理解不能なこの特性です。ものすごく奥深い、深淵をのぞくように慎重にその理由を考えていかなければいけないのだと思います。
IQ検査の残酷さ
脳の機能が共通のものが見えない読字、書字の苦労がある場合に、次に悩むのはIQ検査です。
周りに関わってくださる方の一つの指標としてはありです。決して各種IQ検査を否定するものではありません。
むすこも、これまでいくつか条件の違うIQ検査をしてきました。
どれも「知的障害まではいかないけど、、、劣るねー」と言う「境界知能」ってやつと診断されます。
当たり前です。
読めなければ意味分からないものが出てくるし、違うものに見えることもあるから、心理士さんへの正確な応対ができる訳がありません。
でも言っていることは覚えてきます。意味がわからなくても、その時聞かれたことがわからなくても覚えてきます。
その意味がわからないものを一生懸命に家で説明してくれながら、ぼくの間違いの指摘で意味を確認していくのです。
なんて、健気なやり方なんでしょうか。
IQなんかで人の優劣を決める風潮があるのはとても腹立たしいです。
それより、まじめに、自分の穴を埋めるように、ことばの確認をする方が余程、人間的に立派なような気がする。親ばかなぼくです。
遺伝のこと
遺伝するのかどうかと言うのも、ある場合もあるし、ない場合もあると思います。
うちの場合を申し上げると、妻もぼくも本は好きです。マンガも好きです。ぼくの父母も本は好きです。義父義母も好きで義母なんかうちに来てくれるとまずうちの本を漁って読み始めるぐらいです。
ぼくの父は活字中毒といえるぐらいの人でした。
こんな家系ですが、むすこは本(長文)には苦労しています。マンガは一切読めません。
親子でディスレクシアと言う話もお聞きしますが、うちにはあてはまらないようです。
詳しくは調べていませんが、書字より、読字の方が遺伝的なものは比較的薄いのかなーと思うところです。
まとめ
このLDがわかって約3年の間で思うところを記述してみました。
多分なのですが、テクニックだけでは改善は望めないような気もしています。
本人が、他人と同じようになれないのはなぜか?と言うのをまじめに捉えて、近づこうとする気持ちが出てくると、自分から普通の生活ができることに近づけるような気がしています。
そのためには、気分のムラや体調等もよく見て、手綱を引くことが大切なんでしょう。
親御さんには無い特性が違う場合は、理解が出来ないでしょう。
ぼくもそうでした「なんでこんなのわからないの?」と言ったこともあります。
うちの場合、正解は出ていませんが心穏やかに、楽しみながら対応していこうと思います。
不安な事は不安ですけど。
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