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持って生まれた人間性が変わらないように、つまらない二次障害に陥らないように。

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中1ディスレクシアむすこ。

読めないから書けないのか?

見たものが頭の中でつながらないから書けないのか?

書字については普段は思考から忘れないように急いで書字するので乱れることが多いです。

しっかり頭に定着できそうなもの(小学生レベルの書き取り等)は、きちんときれいに書けます。

だから、両方なんだろうな。

学習に向いてない特性はそんなところから言えます。

学校の勉強のやり方では難しいのを、簡単に「学習障害」と呼んでしまっていいのかな?

勝手にお上がそう決めているだけの課程を、こなす事が出来る子が優秀で理想な子で、それをこなす事ができないのが「学習障害」と勝手に決めていいのだろうか?

昔は平気で勉強が出来ないだけで「落ちこぼれ」とか「落伍者」、親が「恥ずかしい」思いをするとか世間や書物そしてメディアで言われ続けて、ステレオタイプ的にそんな考えが一般的になっちゃっています。

ぼくも、勉強で困った子をはありませんが、たまたま理解が足りない単元のテストが1回きりあって、間違った認識のまま覚えてしまって点数が低かった時に、親に「落伍者」とか「こんなんじゃ恥ずかしい」と言われたことがあります。

たった1回です。くだらない。

それから「ミスには気を付けろ!」「気を付けろ!」「がんばれ!」と掛け声のようにいわれて、逆に緊張してケアレスミスをしてしまうことが多くありました、掛け声は誘発してしまうことがあるのです。

そんな事で、むすこにもむすめにも意識的に「がんばれ!」と言う事は避けるようにしています。

そのように言われたら常に点数を取る事ができない子はどうなってしまうのでしょうか?

「がんばってるし」

「(そのやり方では)がんばってもできないものはできないし」

自分の過去の気持ちを思い出すと絶対にそんな事は言えないし、むすこのことはなんとか、日常生活レベルで困らない程度にしてあげたいそんな気持ちが沸きあがります。

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読めないと書けないよ、意味だってついて行かない。

学校では相変わらずワークでの繰り返し課題の宿題があったりします。

そもそも読むのが辛いのに、書いたって本人は何をやっているのかちっとも理解は進みません。

ワークの反復練習後に試しに「これなんて読む?」と聞いても、さすがに7割は読めるようになっていますが、残りの3割は読めず、更に5割程は意味が他の漢字やことばとオーバーラップしてしまって正確に答えることができないものがあります。

PCデスクトップの複数のウィンドウが開きっぱなしでごちゃごちゃで整理出来ない、そんな状態です。

課題は小学生の頃と変わらずです。

「とにかく読めるようにしよう!」

小学校の時の主幹先生が「読めないと書けないですよね。」それなのです。

それで、課題を勘弁してもらおうと思っても提出物として提出できません。

せっかく、むすこにとって辛い読みの練習をしても家庭内の事なので、認めてもらえません。

じゃあ、どうしようかな?

  • ボイスレコーダーでも提出するか?
  • 書字の代わりにPCで打ったものを提出するか?

勉強の仕方なんか、人それぞれなのに一律の方法の課題や宿題をだされるのが中学生になってからおかしいと思うことに拍車がかかる今日この頃。

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書字以外の課題の提出方法

とりあえず、メモ日誌形式でむすこの勉強記録をつけておこう。

面談の時にこれを見てもらうかな?

担任の先生はむすこの学習の代わりに人間性やサッカークラブチームでがんばっている事を理解してくれているのが救いです。

3年間、担任の先生方は変わらないらしいから、良い相談相手になってくれるように一層の理解を求めよう。

もう、十分理解してくれているけど・・・

後は、細かい認識の違いを埋めていくだけのところまで来たので、そこをやっていこう。

ここまでそれなりに育ててきて、持って生まれた人間性が変わらないように、二次障害に陥らないように。。。

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